第1回 パスポートナンバーTK49494949の叫び
第2回 落下の山村
第3回 笑いを灯す人


第4回 摂氏四五・一度の異邦人
2017年6月27日
ウズベキスタン・サマルカンド―ヒヴァ―ヌクス
 


1.
 ここウズベキスタン・サマルカンドは「青の都」「イスラム世界の宝石」「東方の真珠」とさまざまな異名で呼ばれている。かのティムール一族が眠るアミール・ティムール廟、荘厳な神学校がぐるりと取り囲んだレギスタン広場、中央アジア最大のモスクであるビビハニム・モスクと、歴史的、景観的にすばらしい見どころが多いのだが、そんなことより問題はコカ・コーラ。さっき買ったばかりなのに、もうない。
 あわてて近くの商店に駆け込んだ。
 冷蔵庫を開き、お店の人に申し訳ないと思いつつも、奥のほうのペットボトルに手を伸ばす。どこの商店も節約のためか冷蔵庫の温度を高めに設定しているし、当然ながら客は手前のほうから取っていくため、だいたい手前のものはぬるいと相場が決まっているのだ。
 冷えたコカ・コーラを頬にあて、おでこにあて、一息。
 一口。
 二口。
 あぁ、すこしずつ、すこしずつ体内にオアシスが充ち満ちてゆく。
 日本ではあまり飲まないのに海外、こと暑い国に来るとほぼ毎回のようにコカ・コーラを飲んでしまう。たまにセブンアップだったりファンタだったりスプライトだったりするが、しゅわっとした喉越しが欲しいため、そして夏ばてのせいか本能が甘いものを希求しているため、いずれも甘い炭酸飲料だ。かつてエジプトやイスラエルを訪れたときにはしょっちゅう一・五リットルのコカ・コーラをラッパ飲みしていたので、旅の仲間に引かれた覚えもある。それに比べればいまは五〇〇ミリリットルだし、まだかわいいもの。
 そう言いわけして、また一口、二口。
 あぁ、オアシス。
 昭和のテレビコマーシャルの決めゼリフにありそうだな、と思いながら次の観光名所、シャーヒズィンダ廟群へ。
 途中、アンティークショップに立ち寄り、一九八〇年モスクワ・オリンピック関連のアンティーク・ピンバッジがかわいかったのでいくつか購入。その後、近くのチャイハネ(寄合茶屋)に招かれ、地元のおじさまたちとカードゲームに興じる。織物工場があったので、地元の女性たちの機織りを見学した。
 そうこうしているうちに、またもやコカ・コーラが底を突く。
 辛い、ダメ、もう死ぬ。
 商店。
 あぁ、オアシス。
 こんな立て続けに飲んだら健康によろしくないことは百も承知だが、あの得もいわれぬ快感を知ってしまった以上もう止まらない。やめられないのだ。
 こんな辛い想いをするなら恋なんてしなければ良かった、と誰かが言っていたが、それはこの場合もおなじ。こんな辛い想いをするなら冷たいコカ・コーラなんて飲まなければ良かった。

 前回のキルギスタン編のあと、ぼくはカザフスタン・アルマトイ、ウズベキスタンの首都タシケントを経て、ここサマルカンドに入った。実を言うと今後の旅のルートに関して、中央アジアを周遊したあと最終的にコーカサス方面、つまりは西の方角を目指すというひどく曖昧な構想しか最近まで抱いていなかったのだが、それもウズベキスタンの地を踏むことで一気に、半ば強制的に明確になった。
 ひとつめの要因は気候だ。
 最高気温は日に日に上昇を続け、いまや摂氏三八度に達している。これまでは中国、パキスタン、キルギスタンと標高数千メートルの高地に滞在することが多く、気温も一〇度前後と寒いぐらいだったので、このとつぜんの気温上昇はかなり肉体的に堪える。
 加えて、国土の大半を砂漠が占めるウズベキスタンは七月上旬から「チッラ」という酷暑期に入るらしく(これ以上暑くなるというのは想像できないし想像したくもない)、灼熱地獄から逃れるためには先へ突き進むほかない。
 もうひとつの要因は、のっぴきならないビザ問題。
 ほかの国で時間を使いすぎ、あと一〇日ほどでウズベキスタン・ビザが切れてしまうので、一刻も早くこの国から抜け出さなくてはならないのだ。
 そこで地図を見ながらねじ切れるぐらい頭をひねった。
 まず、空路はお金がかかるので陸路にしぼる。
 サマルカンドから南東に進めばタジキスタンに入れるし、行きたい気持ちもあるにはあったが(ビザもインターネットで簡単に取得できる)、それだとルート的に引き返すことになるため今回はあきらめる。南西にはトルクメニスタンがあるが、ウズベキスタンでビザを取得する場合は一週間前後の時間を要するため今となっては論外(しかも取得可能なのは滞在期間五日間のみのトランジット・ビザだ)。いちおうアフガニスタンも隣国だが、一部地域はいまでもタリバンの巣窟なので論外中の論外。
 この消去法のすえに残ったルートは、サマルカンド―ブハラ―ヒヴァ―ヌクス―カザフスタン西部と、ただひたすら西を目指すというもの。
 その先に待っているのは、カスピ海!

2.
 かくてサマルカンドを早々に去り、ブハラを経て、西へ、西へ、乗り合いタクシーでヒヴァに到着。ホステルにチェックインして早々、列車のチケットを買うべく外に出た。
 ウズベキスタンにかぎった話ではないが、長距離列車のチケットは事前に購入しておかないと売り切れてしまう場合があるため、いまのうちに次の目的地であるウズベキスタン・ヌクス―カザフスタン・ベイネウの夜行列車のチケットを購入しておきたいのだ。
 だが、ヒヴァは砂漠のど真ん中に位置しているためか、ほかのウズベキスタンの町々より数段暑く、道を歩いている人もなきに等しい。公道の照り返しがすさまじく、反射的にまぶたが閉じ、かわりに全身の毛穴が開いてぶわっと汗が噴き出してくる。商店から商店へと渡り歩き、聖火リレーのように冷たいコカ・コーラを絶やさず飲みながら、どうにか町はずれにあるチケット・オフィスに到着。
 冷房のきいた室内では、数人の地元民が椅子に座って涼んでいた。かたや窓口には大勢が列も作らず野放図にむらがっている。
 ぼくも仕方なく人混みにまざって、虎視眈々と購入の機会をうかがった。そのさなか、四方八方から好奇な視線を浴びせられる。いまにはじまったことではないが、ぎょろりとした大きな目に囲まれるのは、あまり居心地が良いものではない。それにしても汗びっしょりのぼくとは違って、彼らは汗ひとつかいていない。育った環境や慣れの問題なのか、それとも体質そのものが違うのか……。
 と、そのとき背後で大声が。
 振り返ると、ふたりの女性が怒鳴り合っていた。現地語なので内容はさっぱり分からないが、黒髪の若い女性がえんじ色のスカーフを巻いたふくよかな中年女性に激しい剣幕で食ってかかり、中年女性のほうも多少たじろぎながら負けじと反駁している模様。刺繍帽をかぶった男性がなだめるが、両者ともまるで聞く耳を持たない。
 言い合いはむしろ激しさを増してゆき、しまいには唇が触れ合わんばかりに顔と顔を近づけ、若い女が平手打ちを食らわせた。
 中年女性はとっさに頬を押さえるも、目を大きく見開いて佇立。
 周囲があっけにとられて固まるなか、若い女は捨てゼリフとともに相手の顔に唾を吐きかけ、大またでオフィスから出ていった。
 バタンという激しい扉の音とともに、時がふたたび動き出す。いまだ驚きさめやらぬ様子で立ちすくんでいる中年女性に、さきほど仲裁に入った男性がハンカチをわたした。周囲はあきれ顔でたがいを見やり、ちいさく首を振る。
「なにがあったんですか」と近くの男性に英語で訊いてみるが、無言でかぶりを振られた。だれに尋ねても、おなじような反応がかえってくる。
 英語が通じないのか、答えたくないのか(それにしても理由は分からないが)、それとも単に誰も真相を知らないのかてんで分からないが、数十分ほどで無事列車のチケットを購入。となりの商店でコカ・コーラを補充し、来た道を戻った。
 炎暑と静寂。
 黄土色の家並みと遠方に立ち込める陽炎が、一種幻想的な景観を織りなしている。いや、陽炎などではなく、立ちくらみのせいであたり一面が揺らいで見えているだけなのかもしれない。
 朦朧とした意識のなか、さきの女性同士の争いがフラッシュバックし、カミュの『異邦人』が脳裏をかすめる。あの小説の主人公は殺人の罪に問われた際、太陽がまぶしいから引き金を引いたと証言していたが、ここヒヴァであれば、暑すぎたからケンカしたという不条理も起こりえるのではなかろうか。
 そんなあらぬ妄想が真実味をまとうほど、とかく暑い。
 死に体でホステルに帰還。
 ウズベキスタンの残り滞在日数も少ないし、このまま観光しに出かけたいところだったが、冷房のきいたドミトリーに入ったとたん気持ちが急速に萎えてゆく。そして、何気なくインターネットで見た今日の最高気温がとどめに。
 摂氏四二度。
 ベッドで、大の字。

 気を取り直して翌朝、イチャン・カラなる内城へ。
 長さ二二五〇メートルの黄土色の高い塀に囲まれたイチャン・カラはヒヴァの観光名所で、小規模ながら数々のモスク、ミナレット、メドレセがひしめきあい「博物館都市」とも呼ばれている。
 西門の売店で複数の名所に入場できる共通チケットを購入し、モスクをいくつかまわったあと、ヒヴァでいちばん高いイスラム・ホジャ・メドレセのミナレットに入った。らせん状に続く急な石階段を、壁面に手を添えながら慎重に一段ずつのぼってゆく。

写真1_イスラーム・ホジャ・メドレセのミナレット.jpg  高さ四五メートルの頂上は半径二、三メートルほどの円状のスペースで、分厚い石壁がぐるりを取り囲んでいる。石壁には縦長の隙間が等間隔に開けられており、そこからイチャン・カラの全景が窺えた。城壁のなかに土気色の建物がたくさん詰めこまれ、あでやかなターコイズブルーの尖塔がつくしのように顔を出しており、どことなくイスラム建築のおもちゃ箱といった印象を受ける。
 だがいちばん目を引かれたのは、石壁一面をびっしりと埋め尽くしている「M+D=L」といった数式であった。はじめ、大学の慰安旅行で訪れた数学教授たちがここでブレイクスルーしてとっさに数式を書き留めたのかと複雑な想像をめぐらせもしたが、LOVEやハートマークをみるかぎりどうやら恋人たちの落書きらしい。なかには数式の解として名前が書かれているものもあるが、もしかすると子供の名前かもしれない。だとしたら、とっても合理的でスタイリッシュ。

写真2_落書き.jpg  いや、そもそも落書きなんてしちゃダメだけど。

 昼下がり、刺繍布のスザニや木細工の土産物屋でにぎわう目抜き通りを歩いていたとき、ひとつ前に滞在した町ブハラで知り合った三人の旅行者とばったり再会した。
 まずは、日本人のカオリちゃん。元薬剤師のかわいらしいメガネ女子で、現在は世界一周中、日本を出て九ヶ月になるという。
 日本人のマゴオリさん、通称マゴさん。世界一周中の元長距離トラックの運転手で、ブハラで会ったときも、このときも『キャプテン翼』の日向小次郎みたいに白いTシャツの袖をたくし上げているのが非常に印象的だった。すべてを達観しているかのようにもの静かで、謙虚で、比類なき良い人。
 そしてドイツ人のミレナちゃん、茶褐色のショートヘアで、ぱっちりお目々と鼻ピアスがチャーム・ポイントの女の子。
 日本人のふたりとはブハラのホステルで一緒になり、けっこう言葉も交わしていたのだが、ミレナちゃんとはブハラのとある商店ですこし立ち話をしただけだった。にもかかわらず、ぼくのことをちゃんと覚えてくれている様子で「良かったら一緒に見てまわらない?」と満面の笑みで誘ってきた。
 オッケー。
 なんでも三人はヒヴァ行きの乗り合いタクシーで一緒になって、いまもおなじホステルに泊まっているらしい。
「わたしはブハラに自転車を置いてるから、またすぐに戻るんだ」と鼻にかかった甘い声でミレナちゃんは言う。「そこからトルクメニスタンに抜けて、イランに向かうつもりなの」
 彼女はチャリダー(自転車で旅をする人の総称)で、これまでも東南アジアやインドを走破してきたという。ちなみにチャリダーは日本人、外国人を問わず世界中どこにでもいるが、中央アジアは景観がきれいだったり走りがいがあったりするのか異様に多い。
「でも、この暑さだとさきが思いやられるよね」と彼女は続ける。「トルクメニスタンとかイランは砂漠だらけだし、真夏だと五〇度になるときもあるっていうじゃない」
 そんなたくましいミレナちゃんであったが、ふと足下を見ると、裸足だった。
 Coccoか!
 思わずそう突っ込みたくなったが、言ったところでミレナちゃんに分かるはずがない。ぐっとこらえて「なんで裸足なの? 足の裏、熱くない?」
「ぜんぜん熱くないよ」と彼女はひょうひょうと答える。「このほうがかえって気持ちがいいぐらい。地面の感触がよく分かるし、自分が歩いていることも実感できるからね」  不思議ちゃんか!
 ……暑さでなんかテンションがおかしい。

 みなで仲良くヒヴァ観光。
 が、どこもかしこも人だらけであまり落ち着かない。
 とあるホステルの従業員から、気候的に旅行しやすい春や秋には一日で一〇〇〇名近くの観光客がヒヴァに押し寄せると聞いていたのだが、こんな酷暑でも午後に入るとおびただしい数の観光客がやって来る。主としてドイツ、フランス、中国、韓国の団体客が多かったが、なかには日本人のツアー客もおり、上品な服装で扇子をあおぎ、高級そうなカメラでぱしゃぱしゃ写真を撮っている。そのなかで、心持ちみすぼらしい身なりをしたぼくらはやや場違い感すらあった。
 ヒヴァで唯一、ぼくらがのんびりできたのはタシュ・ハウリ宮殿。敵勢の侵入を想定して造られた入り組んだ狭い通路を抜けると、ハーレムと王の間のある広々とした空間がぱあっと開けた。
 豪華な幾何学模様や色タイルが美しい。そのうえ、静謐だ。
「ここは落ち着きますね」マゴさんも淡々と言う。「ただ人がいないっていうだけで良いところに感じられます」
 ぼくらも観光客であることは変わりないけど、うだるような暑気に加え、これだけ人が多いとやはり静穏を求めてしまう。おのおの日陰を見つけると、柱にもたれかかり、床に寝そべって、頭上に広がる空とイスラム建築の目の覚めるような青の共演を慈しんだ。

写真3_タシュ・ハウリ宮殿内部.jpg  日没後、レストランを求めてあたりをさまよっていたとき、ぼくとおなじホステルに宿泊しているロシア人の青年ブラッドと出くわした。
「この時間でもまだ暑いよな。どこも見る気がしないよ」
 みな、思うことはおなじらしい。
 ブラッドも加わって、引き続き五人でレストラン探し。イチャン・カラ内のレストランはどこもツーリスティックで値が張るため、城壁の外でローカル食堂を探したのだが、なかなか良いところが見つからない。
 ぼく個人の勝手な所感だが、ここヒヴァのみならず、ウズベキスタンはどこもレストランが少ない。しかもラマダンはとっくに終わっているはずなのに(ラマダン期間は閉店するレストランも多い)、メニューに載っている料理が半分ぐらいなく、余りものを食べることを余儀なくされる。おまけに質もそこまで高くない。素敵なレストランもあることにはあるのだが、ハズレ率が他国より高い気がするのだ。
 それはぼくらが迷いに迷ったすえに入った某レストランもおなじだった。
 バスケットに入れられたパンはいつのものとも分からぬほどおそろしい堅さで、ブラッドも「まるでトンカチじゃないか」と苦笑しながらパンとパンをカンカン打ちつけ合う。この国であれば、パンで人を撲殺してそのまま凶器を食べてしまうというミステリ小説も成立するのではなかろうか。
 そしてカオリちゃんが、あれもない、これもないとウェイターに言われ続けたすえに注文した肉料理は、ただ見ているだけで吐き気をもよおすほど油まみれ。彼女も目の前に出された瞬間絶句し、うなだれ、向き合い、受け入れ、ようよう口に運び、案の定、残した。
 サラダはどこの食堂もだいたいトマトときゅうりで、ここのはかなりしなびている。
 まともなのは、食後のデザートとして出されたスイカぐらいだった。
 そんな意気消沈とした夕食の席でいちばん盛り上がったのは、職業を訊かれたミレナちゃんが「わたしはマッチ売りなの」と答えたときだった。
 一同の視線が彼女に集中。「はい?」
「ふふふ」ミレナちゃんは無邪気に笑う。「なにそれって感じかもしれないけど、いろんな国でマッチを集めて、マッチ箱のなかをペイントして、それを売ってるの。だからいまも旅先で集めてるんだ。アンティークじゃなくて、こういうお店とかにあるふつうのマッチを」
「非常に有意義なアクティビティだとは思うけど、それはちゃんとお金になるのか?」とブラッドがいたってまともな質問をぶつける。
「ちょっとだけね。友達が買ってくれるのよ」
 果たしてそれは仕事と呼ぶのか。たぶんそのとき誰もが思っただろうが、誰も言葉にはしなかった。
 夕食後、ミレナちゃん、マゴさん、カオリちゃんはべつのホステルなので、いったんお別れ。明日、ミレナちゃんはブハラに戻るが、マゴさんとカオリちゃんはぼくと一緒にヌクスを目指すことになった。
 去りぎわ、マゴさんがなんの前置きもなしにとつぜん言い放った。
「スウィート・ドリーム」
 決めポーズとでも言わんばかりに、親指もぐっと突き立てる。
「……いきなりどうしたんですか、マゴさん」ふだん無口なマゴさんが突然そんなことを言ってきたので面食らい、訊き返してしまった。
 するとマゴさんも困惑した様子で「これで合ってるよね?」とさらに訊き返してきた。詳しく話を聞いてみれば、なんでも彼は世界一周をはじめる前フィリピンに英語留学をしたらしく、今しがたの英語もそこで習ったフレーズなのだという。
 あぁなるほど、そういうことでしたか。
 では、あらためて、
「スウィート・ドリーム」

3.
 朝八時、日本人旅行者三人を乗せたタクシーは荒野を走る。
 目指すヌクスは、ウズベキスタン国内にあるカラカルパクスタン共和国の首都。とあるホステルで働いていたカラカルパクスタン人の従業員から、カラカルパクスタンの文化や人びとの気質はウズベキスタンよりもカザフスタンに近く、パンもウズベキスタンのものよりずっとおいしい、そして人びとはおだやかでとても優しいと聞いていたので、内心楽しみでならない。
 それになにより、嗚呼、カラカルパクスタン。
 カラカルパク語で「黒いぼうしをかぶる民族」を意味するらしいが、その愛らしい響きだけでもドキドキが止まらない。想像力がかき立てられ、二、三の短編ぐらい余裕で書けそうな気になってくる。
 そんな声に出して読みたいカラカルパク語。
 カラカルパクスタン。
 さあ、みなさんご一緒に。
 カラカルパクスタン。

 さて、タクシーは三時間ほどでヌクスのホテルに到着。ヌクスには安宿が存在しないため、ぼくら三人で六〇〇〇円強のトリプルルームを借りた。ひとり換算でも今回の旅の最高価格だが、それだけにエアコンはもちろんのことバスタブまであるかなりきれいなお部屋だ。
 エアコンの涼風をめいっぱい堪能したあと、カオリちゃんが両替をしたいというのでバザールに向かった。
 なお、ウズベキスタン(カラカルパクスタン含め)では闇両替が主流で、闇レートは公定レートより三倍ぐらい高く、ATMで現金を引き落とすとたいへん損をしてしまう。闇レートはバザールがいちばん良いが、ホテルのレセプションや駅前などでたむろしている両替商からも闇両替は可能である(だからといって闇両替は違法だし、ぼくらが闇両替をしているというわけではないですよ)。闇両替は世界各地に存在しており、一時期のベネズエラ、キューバ、ミャンマー、アルゼンチンなども有名だ(いえいえ、だからといってぼくが闇両替したわけではありませんよ)。
 だがホテルから一歩出ると、ここに来たことを一瞬で後悔するほどの灼熱に襲われた。ヒヴァが最高潮だと思っていたが、ヌクスの体感温度はそれを軽く凌駕している。
 息が詰まる。
 くらくらする。
 冷えたコカ・コーラが飲みたい、いやもう全身に浴びたい。
 地獄の業火に焼かれながらも、貧乏バックパッカー三人はタクシーを使わずあくまで徒でゆく。カオリちゃんは日傘を差し、こんな猛暑のなかでも日焼け対策として長袖を着ている。さすがは女子。かたや、日傘どころか帽子すらかぶっていないぼくとマゴさんは、並ぶ民家の影に沿って隠密部隊のように歩を進めた。
 バザールに到着。
 カオリちゃんが無事両替をすませたあと、地元民でにぎわう食堂で腹ごしらえをした。噂どおり、パンはサクサクでおいしい。さらにヌクスのプロフ(中央アジア版炊き込みご飯)はウズベキスタンのものより脂っこくなく、かなり薄味でチャーハンに近かった。
 しかしこともあろうかエアコンが故障中で、一口食べるごとに身体が尋常ならぬ熱を帯びてゆく。汗がひっきりなしに流れ、食べ終わるころにはマラソンでも完走したような疲労感に打ちのめされる。暑い国での食事はもはや修行に等しい。
 バザールの大きな建物に入ると、誰もが暑さにだれていた。青果売りはうちわをぱたぱたあおぎながら上の空、チーズ売りもショーケースにひじをついてうなだれている。民族楽器屋に入ってみたが、誰もおらず、静まりかえっている。いろいろな楽器を眺めていると、どこからか「適当に見ていってくれ」という生気のない声が聞こえてきた。見まわすと、店主が棚のしたに寝そべり、カーテンの隙間から生気ない顔を覗かせていた。『空飛ぶモンティ・パイソン』とかでありそうなコント設定だが、ぼくら三人とも笑う気力すらない。
 バザールのあと、民俗学者サヴィツキー氏が旧ソ連時代に収集した美術品が展示されているサヴィツキー美術館へ向かった。
 中心街とは思えない完璧な静けさ。街じゅうの人間が建物内に避暑しているのか通行人は皆無で、店々はところどころシャッターが閉まり、廃墟と化している。旧ソ連の街に共通して言えることだが、ここヌクスも交通量があるわけでもないのに道幅がやたらと広く、一つひとつの区画が広大だ。こうした街並みもふだんであればたいして気にならないが、喉から手が出るほど日陰が欲しい今日にあっては致命的。逃げ場なく、切っ先鋭い日差しに幾度となく身体を射ぬかれる。
 命からがらサヴィツキー美術館に到着。

写真4_サヴィツキー美術館.jpg 個人的にウズベキスタンでいちばん楽しみにしていたところだったのだが、念願の場所に来られたことよりも、冷房のきいた館内に入れたことのほうがずっと嬉しい。気力を振りしぼって展示品を見てまわるが、一時間と経たないうちにカオリちゃんもマゴさんもソファにぐったり座り込んでしまう。いちばん意気込んでいたぼくもやがて力尽き、ソファでまどろんでしまった。
 ろくすっぽ鑑賞できないまま、ホテルに帰還。夕食で外出したことを除けば、あとはずっとエアコンをガンガンにきかせた部屋に閉じこもっていた。

 そんな具合で、当初の期待とは裏腹に味気ない滞在に終わったヌクスであるが、唯一、就寝前にはじまった「バックパッカーQ&Aコーナー」は盛り上がりを見せた。主として質問者はぼく、回答者はカオリちゃん、オーディエンスはマゴさんである。これからバックパッカーをはじめようと思っている方々、とくに女性にとっては面白いと思うので一部を披露しましょう。
「カオリちゃんはバックパックどれぐらいの大きさ?」
「五〇リットルぐらいですね。ムネさんは?」
「ぼくは八〇」
「けっこう大きいですね」
「エクアドルで買った完全な登山用だから。でも五〇も、女の子にしては大きめだよね。じゃあ、女子ならではの持ち物ってなにかな」
「やっぱり化粧品とかじゃないですか」
「まぁ、それもそうか。カオリちゃんは旅中でもけっこう化粧したりする?」
「ファンデーションぐらいは塗りますけど、あとは日焼け止めですかね。ほかの化粧道具はただの荷物になってますよ」
「旅人の女の子ってあんまり化粧しないよね。はじめは頑張ってても、しだいにしなくなってく。個人的にはそれでも良いと思うけど」
「わたしもはじめのうちは日焼け止めがんばって塗ってましたけど、最近はだんだんおざなりになってきましたし。だから化粧をちゃんとしてる子を見ると、おおってなります」
「そういえば一度、めっちゃギャルの長期旅行者に会ったことがあるんだけど、彼女、ほかの誰より早起きして、みんなが目を覚ますころにはマスカラからアイラインまでばっちりメイクしてたな。あとにもさきにもそんな女の子は彼女ひとりだけだったよ」
「へぇ、それはすごいですね。見習いたい」
「べつに見習う必要はない気もするけど……。じゃあ、バックパックにあるもので意外と重宝してるものは?」
「うーん、パッと思いつかないですけど、折りたためる洗濯物ハンガーですかね。ムネさんは?」
「うぅん、延長コードかな。ドミトリーで枕元にコンセントがないときとか役立つんだ。パソコンとかスマホとか同時に充電できるし。あと、ぼくは持ってないけど、知り合いの旅人は、水泳で使う速乾性のタオルとか良いって言ってたな。タオルってよく使うし、移動が激しいときとか乾かすひまもないから」
「あぁ、乾きにくいっていうと服もそうですよね。移動が続いたりすると、洗濯するタイミングを見つけるのが難しくて。永遠のテーマです」
「旅あるあるだと、着替えがないから洗濯したての服を生乾きのまま着て、その日一日着ながら干すとかね」
「あはは、わたしはやったことないけど、たしかに知り合いでいました」
「ちなみにカオリちゃんはいつもどうやって洗濯してるの?」
「ふつうですよ。シャワーのついでとか、洗面台とかでさっとやっちゃいます。ムネさんは?」
「シャワーついでに、折りたたみ式の釣りバケツで洗濯してるよ」
「あー、釣りバケツ、けっこう持ってる人いますよね」
「ぼくも前にほかの旅人が使ってるのを見て、いいなって思って買ったんだ。そういえばさ、女の子っていつもどうやって下着を干してるの?」
「んー、わたしが知るかぎり、ほとんどの女の子はふつうに干し場に干してますよ。男子とおなじです。あとは、枕元とかですかね」
「でも日本人宿とかだと、たまに喫煙所が洗濯場を兼ねてるところもない? そういうところだとみんなに見られたりするよね」
「うーん、でも、わたしは気にしないし、たぶんほかの子もそんなに気にしてないんじゃないですかね。恥ずかしがりやの子とかは、タオルにはさんで干したりもしますけど」
「へぇ、それで乾くの?」
「タオルが水分を吸い取ってくれますから」
「そうなんだ、面白いね。じゃあ、勝負下着的なものは持ってきてる?」
 ここでおしまい、そして弁解しておこう。
 日本社会であればセクハラで訴えられそうな質問もまざっていたが、カオリちゃんがなんでも訊いてくださいと言っていたし、本当になんでも答えてくれたので、ついいろいろと訊いてしまった。さらに付け加えるなら、さきに述べた『異邦人』のたとえしかり、きっとこのときのぼくはヌクスがそらおそろしく暑かったからこんな質問をしてしまったに違いない。
 ということで、消灯。
 最後の締めは、マゴさんよろしくお願いします。
「スウィート・ドリーム」

4.
 翌朝、カオリちゃんとマゴさんとお別れ。ふたりはアラル海に行き、その後、カオリちゃんは夜行列車でタシケントに向かい、中国方面へ。マゴさんはミレナちゃんとおなじくブハラに戻り、トルクメニスタンへ抜ける予定だ。
 なお、アラル海は旧ソ連が灌漑事業のためにヌクス近辺まで水を引いたせいで、さらには地球温暖化の影響で、五分の一まで干上がってしまった。現在では、陸に打ち捨てられたままの船の墓場なるものまで存在するという。ぼくもアラル海には興味があったけど、すでに列車のチケットを買ってしまったし、いずれこの暑さだと行く気がしない。
 ふたりを見送って、チェックアウトの一二時ぎりぎりまで部屋で涼んだあと、ホテルの中庭で列車の時間まで待機した。
 この間、このウズベキスタン編を通じて右肩上がりに上昇し続けてきた気温がクライマックスを迎えた。数字を知るのが怖かったのでインターネットではチェックしなかったが、あとでホテルの従業員から聞かされたところ、この日、最高気温は約五〇度まで達したとのこと。
 言うまでもなく人生最高の暑さだ。
 これまでの最高気温体験はインドのヴァラナシで、湿気も著しく高かったので夜一睡もできず、ベッドとシャワーを行ったり来たりしているうちに夜が明けてしまった。それに比べれば湿気がないだけまだ良いが、日陰にいてもオーブントースターに全身を突っ込んでいるかのよう。日向にすこしでも踏み入れば、高熱を帯びた真っ赤な鉄棒をぐりぐり押しつけられているかのよう。いや、古今東西の暑さに関する表現、比喩を総動員してもこの猛暑は筆舌に尽くせない。三文作家のぼくだけでなく、きっと歴代の文豪だって表現に困るであろう超文学的暑さである。
 長距離移動の日はなるべくトイレに行きたくないのでいつも飲食をひかえるようにしているのだが、この日ばかりは水を飲まずにはいられなかったし、ただ冷房のきいた場所にいたいがためにホテル併設のレストランでごはんも食べた。
 そしてマゴさんとカオリちゃんの無事を祈った。
 アラル海のように干上がっていないと良いけど。

 一六時、ホテルから一歩も出たくないので、従業員にタクシーを呼んでもらった。しかしいざ乗り込んでみれば、タクシーは冷房を使わず、開け放たれた窓からドライヤーさながらの熱風が吹き込んできて、結局、汗まみれで駅へ。
 夜行列車は定刻どおり到着。入線してきたのはソ連時代のものと思しき旧態依然の車両で、上半身はだかの車掌たちが総出でバケツに水をくみ、車輪にかけていた。おそらく過度の熱で変形してしまうのを防ぐためだろう。
 急に不安に襲われたので、列車のチケットを見直して自分を鼓舞する。こんなこともあろうかとすこしふんぱつして、ビジネスクラスのコンパートメントの寝台チケットを購入しておいたのだ。
 だが、行ってみると狭いし、汚いし、ぼろい。
 四人部屋で、ぼくの寝台は左上。手すりは錆びつき、寝台はシングルベッドの半分ぐらいの広さだ。
 下の両側の寝台には、双子みたいに似通った白髪のおばあちゃんふたりが腰かけており、無表情にぎろりと目を向けてきた。挨拶してみたが、まったく英語が通じない。唯一、ロシア人であることは分かったので、ロシア関連の言葉を適当に並べてみた。
「モスクワ、サンクトペテルブルク、ウラジオストク」
「ドストエフスキー、トルストイ、プーシキン」
「クラシーボ、ハラショー、ウラー!」
 ふだんであれば変なアジア人だと思われて笑いのひとつやふたつ取れるのだが、このおばあちゃんたちはくすりともしない。うさんくさそうな目つきで、じろり。
 そそくさと上の寝台に退散。
 天井が低いため、前こごみに座る。
 やがて列車が走り出す。
 ひたいからは大粒の汗が流れ出す。
 天井には冷房らしき通風口があるが、いっこうに冷風が出てこない。窓も、カーテンも閉め切られており、おばあちゃんたちはコンパートメントの扉も閉めてしまう。熱気がむんむんこもって、サウナ状態。これだったらコンパートメントではなく、仕切りのない開放寝台のほうが増しだったのではなかろうか。
 身ぶり手ぶりで窓を開けるようふたりに提案するが、およそ理解してもらえず、なぜかにらまれさえする。さっき調子に乗りすぎたせいだろうか……。そうだ、こういうときこそGoogle翻訳、そのためにウズベキスタンではSIMカードを買っておいたのではないか。そう思ってスマホを取り出すが、こともあろうかバッテリーが切れている……。
 ええいままよ!
 身を乗り出し、勝手に窓を開ける強硬手段に打って出た。
 だがおばあちゃんたちがとつじょカラスのようにぎゃあぎゃあ騒ぎ立て、いまだ無言の空調を指さし、しかめ面で首を振る。
 なにがなんやら分からないが、こわい。「ソーリー、ソーリー、ソーリー」とおとなしく引き下がり、コカ・コーラを飲んだ。ぬるい。オアシスは完全に干上がっている。
 真下では、ひとりのおばあちゃんが涼しい顔でクロスワードパズルをやっている。かたやぼくは、シャワーでも浴びたように全身汗でぐっしょり濡れている。おなじ空間にいるのに、どうしてこんなにも差が出るのか。
 たまらずTシャツを脱ぐが、なんの効き目もない。全身が燃えるように熱い。服だけでなく、皮膚も、肉も、骨も、ぜんぶはぎ取ってしまいたい。寝台からおり、通路に出ても蒸し風呂状態は変わらない。通路の窓ガラスは乗客の熱気のせいかうっすら曇っている。
 前方のコンパートメントでは、上半身はだかになった赤ら顔の車掌が椅子にぐったりもたれていた。英語が通じないので、空調を指さし、冷房を身ぶり手ぶりで催促するが、彼はおもむろに人差し指を空調に向け、くるくるとまわしてみせる。どこをどう見ても、壊れているようなジェスチャーにしか見えない。
 うちひしがれ、通路の壁に寄りかかった。こういう長距離列車なら、アイスクリームだとか冷たい飲みものを売り歩く売り子がいてもおかしくないのに、いくら待っても来やしない。
 このままあと約一二時間? 嘘でしょ?
 暑さをすこしでも紛らわすためいろいろなことを考える。ミレナちゃんのこと、Coccoのこと、冷たいコカ・コーラのこと、カオリちゃんのこと、マゴさんのこと、アラル海のこと、ウズベキスタンのこと、抹茶アイスクリームのこと、マンゴーアイスクリームのこと、カザフスタンのこと、カスピ海のこと、海水浴のこと、モヒートのこと、白い砂浜のこと、真夏のこと、日差しのこと、暑い、暑い、暑い……。
 折よく、列車が停車駅に止まった。
 びしょ濡れのTシャツを着て、プラットフォームに飛び降りた。外も依然として暑かったが、若干日がかげってきており、そよぐ風がこころなしか気持ちいい。すぐ近くで、車掌らが車輪に水をかけていた。ほかの車両からも大勢の男たちがおりてきて、日陰にしゃがみ込み、タバコに火をつける。みな一様にシャツを濡らし、顔いっぱいに疲労の色を滲ませている。
 ぼくだけではないのだ。
 すこしだけ勇気づけられる。

 次の駅で、アジア人風の目鼻立ちをした長い黒髪のおばさまが乗り込んできた。
 真向かいの寝台にあがり、ぼくを一目見ると「たいへん、ひどい汗じゃない」とすっとんきょうな声をあげる。彼女も英語はほとんど通じなかったが、ロシア人のおばあちゃんたちより表情や身ぶり手ぶりがずっと豊かで、なんとはなしに言っていることが伝わってくる。
「ちょっと下におりなさい」
 そう促され、ふたりして降り、おばあちゃんたちの寝台に座らせてもらった。それから黒髪のおばさまが、半分ぐらい凍ったペットボトルのミネラルウォーターをぼくの頭に、そしてTシャツにかけてくれる。
 あぁ……。
 コカ・コーラを飲んだとき以上の至高のオアシスが肉体の隅々にまで広がってゆく。
「ハラショー! スパシーバ!」
 さきは出鱈目に並べたロシア語を、今度は真心を込めて何度も繰り返した。そんなぼくを見て、黒髪のおばさまは聖母さながら優しく微笑む。
 すると、そんなやりとりをあきれ顔で眺めていたおばあちゃんのひとりが、うちわを貸してくれた。もうひとりのおばあちゃんも、ピロシキらしきパンをお裾分けしてくれる。優しいのか優しくないのかよく分からないけど、「スパシーバ! ウラー!」
 一心不乱にうちわをあおぎ続けること小一時間、黒髪の聖母が優美な微笑とともにぼくの肩をたたき、ふいと天井を指さした。
 手をかざしてみると、なんと吹いているではないか。
 微風だが、生命の息吹が!
「ウラー!」
 その後も、冷風は列車の速度に応じて出たり止まったりを繰り返した。どうやらこの空調は、列車がある一定のスピードを出すと作動する仕組みになっているらしい。さっきまで作動していなかったのは十分なスピードが出ていなかったせいなのか、それとも壊れていた空調設備を誰かが修理したのかさっぱり分からないが、今となってはもうそんなのどうでもいい。大事なのは、たとえ断続的であろうと冷風が出ていること。それがすべてだ。
「ウラー!」
 そんなふうにして冷風が出たり止まったりを繰り返し、それに応じて「ウラー!」と落胆を繰り返しているうちに、コンパートメントの温度が徐々に下がっていった。そしてついには、ずっと待ち焦がれていた売り子がやって来た。
「とびっきり冷たい水を!」
 ほとんど泣き叫ぶようにして催促すると、売り子の少女がバスケットに入ったたくさんのペットボトルのなかから、かちかちに凍った一・五リットルのミネラルウォーターを見つくろい、晴れがましい笑みとともに差し出してきた。
 黒髪のおばさまが聖母なら、この子はまさに天使。
 天にも昇る心地になって、あまっていたウズベキスタン・ソムをチップとしてわたした。
 
 それからぼくは氷のペットボトルをタオルでくるみ、赤子のように両手で大事に抱いて寝台に横たわった。
 やがて冷風がコンパートメントいっぱいに行き届き、胸のうちにも至上のオアシスが広がって、それまでの酷暑が嘘だったかのように平穏なひとときが訪れた。真夜中の国境越えのときも、早朝、黒髪の聖母が見守るなか列車をおりたときも、天使がくれた氷のペットボトルは常に変わらずぼくと一緒だった。
 やがて氷が溶け、すべて水になってしまうと、今度はすこしずつ、すこしずつのどの奥底に流れていった。それからは肉体をめぐり続けて、常に変わらずぼくと一緒に旅をすることになった。 


■ 石川宗生(いしかわ・むねお)
1984年千葉県生まれ。米大学卒業後、イベント営業、世界一周旅行、スペイン語留学などを経て現在はフリーの翻訳家として活躍中。「吉田同名」で第7回創元SF短編賞を受賞。2018年、同作を収録した短編集『半分世界』で単行本デビュー。