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1 奇妙な料理本との遭遇

1.jpg  料理本が好きだ。特に映像作品や文学にまつわるレシピ本に目がない。私のような活字中毒で、映画マニアで、食いしん坊という快楽主義者には、この手の書物は「特別料理」である。欧米ではこの種の料理本が数多く刊行されており、だから洋書店で見つけると、ついつい購入してしまう。おかげで書棚が一杯になってしまった。
 その中から、まずはミステリ関連の変わりダネをご紹介すると――。

The James M. Cain Cookbook(ジェイムズ・M・ケインのクックブック)ロイ・ホープス&リンネ・バレット編(カーネギーメロン大学プレス刊・1988・未訳)

 これは、犯罪小説の古典『郵便配達は二度ベルを鳴らす』(1934)や、『殺人保険』(『深夜の告白』)(1943)、『アドレナリンの匂う女』(1965)等で知られるアメリカの作家ジェイムズ・M・ケイン(1892―1977)が、小説家としてデビューする前の1920年代から30年代に書いた料理のレシピや健康関連の原稿を没後にまとめた書籍である。
 ケインは30代から40代にかけて、雑誌・新聞に食べ物や酒の記事、フィットネス関係などのエッセイを寄稿するジャーナリストとして健筆を振るい、とりわけ食に関する記事を得意とした。
 例えば――「ハックルベリーの実のパイ」(雑誌「ハースト・マガジン」1925年7月14日号初出)。ハックルベリーはブルーベリーに似た果実で、アメリカではポピュラーな食材。それを用いたハックルベリー・パイは、アメリカ建国以来、誰もが食べてきた伝統的なお菓子だとケインは言う。
 「なまずのサンドイッチ」「なまずのフライ」といった「なまず料理」も紹介されている。ケインの好物だったようで、なまずの味は「ダーク・テイスト」とのこと。濃厚な味わい、とでも訳すのかな?(雑誌「ハースト・マガジン」1933年12月27日号他初出)
 「イグアナのスープ」。これは、彼の長篇小説『セレナーデ』(1937)に登場する調理シーンからの再録。生きたイグアナの肉にパプリカを加えて煮込むと、世界最上のスープが取れ、スッポン料理に並ぶ高尚な逸品ができるらしい。料理のシーンはグロテスクだがライブ感にあふれており、迫力満点。描写が詳細を極めるので、読んでいるだけで実際に調理している気分になる。さすが元グルメ・ライター!

 次は、著者が意外な人物。

Cooking Price-Wise(プライス風手頃なクッキング)ヴィンセント・プライス著、シャーミアン・ワトフォード&ボブ・マレー編(1971・コーギ・ブックス刊・未訳)

2.jpg  多数の怪奇映画に主演した俳優ヴィンセント・プライス(1911―1993)がホストを務めた英国の料理番組Cooking Price-Wiseの書籍化。1971年にイギリスの民間放送ITVでオンエアーされた30分の料理番組(全6回)を再録している。
 ヴィンセント・プライスは、映画『怪談呪いの霊魂』(1963)や『怪人ドクターファイブス』(1971)などの名作・怪作ホラーに主演した怪奇スターである。ギョロリと目をむき、高笑いで相手を威圧するエキセントリックな役柄が印象的だが、私生活では絵画や料理を愛する趣味人だった。
 アメリカで生まれ育った彼の祖父は、パン作りに欠かせないベーキング・パウダーの製造と販売で名を挙げた人物で、父親もアメリカでキャンディー会社を作るなど菓子業界で活躍。そもそも料理が身近な家庭環境だった。
 Cooking Price-Wiseの序文でプライスはこう書いている。
 「自分は俳優という奇特な職業ゆえに世界中を旅することが多く、色々な国を訪れては料理のレシピを集めてきた。それらを持ち帰って家で再現し、かつてA Treasury of Great Recipes: Famous Specialities of the World's Foremost Restaurants Adapted for the American Kitchen(偉大なレシピの宝物――世界の有名レストランの特別料理をアメリカご家庭のキッチンに)(1965・ドーヴァー刊・未訳)という本にまとめた。この番組では、制作スタッフの協力のもと、そうした世界中のレシピが近所のスーパーマーケットで手に入る食材で作れるよう試みた」
 そんなレシピを国別に並べるのではなく、「ポテト料理」「肉料理」「ベーコン料理」「米料理」「チーズ料理」「パーティー料理」「コーヒー」といった種別で構成しているのが、本書の特長といえよう。
 ポテト料理の項には、アメリカの「マンハッタン・ヴィシソワーズ(ジャガイモのポタージュ)」、イギリスの「コーニッシュ・パスティー」、ギリシャの「ポテト・ヤフニ(シチュー)」、カナダの「クレオール風ポテト」、イタリアの「サルデーニャ風ポテトニョッキ」等のレシピが並び、お国柄の違いがよく分かる。
 パーティー料理の項には、きゅうり、アーモンド、チーズを使って鰐を模したサラダ「クロコダイル・キューカンバー」や、チーズとパプリカを組み合わせて作る「メロン・モンスター」などの楽しいレシピも載っており、B級グルメ感も醸し出している。
 なんとも楽しい料理本だが、長い間手に入りにくかった。しかし昨年、アメリカのドーヴァー社から復刊され、電子版も発売された。名優プライスの意外な素顔を知るにはもってこいの一冊なのだ。

2 料理本との親和性

 今回は「SFと料理」というテーマなのだが、もう少し余談をさせていただく。
 わが家の本棚を眺めるかぎり、文学と映像がらみの料理本は、SFよりもミステリとの親和性が強いように思う。アガサ・クリスティやドロシイ・L・セイヤーズといった黄金期の本格ミステリ作家の小説に秀逸な料理シーンが登場するのはいうまでもなく、特に近年は、殺人事件と料理趣味の融合を強く意図し、巻末にわざわざレシピを載せる料理系〈コージー・ミステリ〉が大人気だ。ミステリはリアルな現実を背景としているため、日常に根ざした料理が物語の題材になりやすいのだろう。
 したがって、ミステリがらみの料理本には、昔から名著・好著が多かった。例えば以下のような本である。

『シャーロック・ホームズ家の料理読本』ファニー・クラドック著・成田篤彦訳(原著1975・晶文社1981→朝日文庫2017)
 ホームズが住む下宿の女主人ハドソン夫人が書いたレシピ集という設定の料理本。レシピだけでなく、パスティーシュとしても楽しめる、この手の本の古典的な存在。著者ファニー・クラドック(1909―1994)は英国を代表する料理研究家で、BBCのクッキング番組の司会を長年務めた。

『メグレ警視はなにを食べるか?』ロベール・J・クールティーヌ著・菊池道子訳(原著1974・文化出版局1979)
 原題は「メグレ夫人の料理ノート」。著者クールティーヌ(1910―1998)は、『ラルース料理百科事典』の校訂や評論『味の美学』(邦訳は白水社・文庫クセジュ1970)で知られるフランスの料理研究家。この本は、〈メグレ・シリーズ〉の作者ジョルジュ・シムノン公認のレシピ集で、シムノンは序文でこう述べている。
 「ここに載っているのは、庶民的な家庭料理、いわゆる〈おふくろの味〉である」
『スペンサーの料理』東理夫&馬場啓一著(早川書房1985)
 日本にも優れたミステリ料理書は存在する。これは、アメリカのハードボイルド作家ロバート・B・パーカー(1932―2010)が生んだボストンの私立探偵スペンサーが愛した料理・酒・レストランを紹介した日本オリジナルの料理エッセイ集。二人の著者による含蓄あふれる解説と丁寧なレシピは、刊行当時ミステリファンを魅了した。巻頭にパーカー自身が推薦文を寄せている。

『煮たり焼いたり炒めたり』宮脇孝雄著(ハヤカワ文庫JA1998)
 名翻訳家・宮脇孝雄(1954―)によるレシピ付き料理エッセイ集。料理本のコレクターで、プロ顔負けの料理人でもある著者が、内外の料理書・ノンフィクション・小説の中から、奇想天外なエピソードを紹介しつつ、料理を再現している。ジョージ・オーウェルの「正しい紅茶の入れ方」や、ジェイムズ・ジョイスの「鮭ステーキ」、SF作家マイケル・ムアコックの「レタススープ」など、ユニークなレシピが満載。知る人ぞ知る料理エッセイの傑作である。

 わが国では未訳の本の中にも楽しい料理書は多い。いくつかをご紹介すると――。

Action Cook Book(アクション・クックブック)レン・デイトン著(ジョナサン・ケイプ刊・1965・未訳)
3.jpg  長篇『イプクレス・ファイル』『ベルリンの葬送』『10億ドルの頭脳』などで知られ、〈スパイ小説界のレイモンド・チャンドラー〉と称された英国の作家レン・デイトン(1929―)の料理本。前述三作の映画版で主人公ハリー・パーマーを演じたマイケル・ケインが推薦文を寄せている。前半は、スマートに料理するための実用的なノウハウ集で、後半は手書きマンガによるレシピ集。デイトンはイラストレーターを目指していただけあって、調理具の使い方や料理の手順を、プロ顔負けのマンガで愉快に紹介している。横長の造本もスタイリッシュだ。

The Nero Wolfe Cookbook(ネロ・ウルフのクックブック)レックス・スタウト&ヴァイキング・プレス編集部編(ヴァイキング・プレス刊・1973・未訳)
 探偵ネロ・ウルフが登場するミステリは、至福のグルメ小説でもある。作者レックス・スタウト(1886―1975)監修のもと、作品に登場する料理や食材を網羅したレシピ本の極北。読んでいるだけでヨダレが出るような食事シーンが再録され、そのレシピが並ぶ。「ブラジル風ロブスターのサラダ」「クルミ添えのラムチョップ」「グリーントマトのジャム」「ブルゴーニュ風ラムのキドニー(腎臓)」等々――おお、どれも旨そうだなあ。豪華なメニューだけでなく、シンプルな料理も載っていて、「キュウリとエビのサンドイッチ」「オニオン・スープ」なども、食欲をそそる。

Feeding Hannibal: A Connoisseur Cookbook(ハンニバルの食卓――風狂なるクックブック)ジャニス・プーン著(タイタンブックス刊・2016・未訳)
4.jpg  これは最近出たばかりの書籍。トマス・ハリス(1940―)の長篇『レッド・ドラゴン』『羊たちの沈黙』等でお馴染みの天才犯罪者ハンニバル・レクターの若き日を描いたTVシリーズ「HANNIBAL/ハンニバル」(2013―15)から生まれた料理本だ。
 人気俳優マッツ・ミケルセン扮するレクター博士がドラマ内で食する人肉料理の数々――例えば、「目玉と歯牙を模したカボチャのラザニア」「ケイジャンカエルの足のフライ」「脳みそ風トマトパイ」等々――が美しい写真で再現されている。グロテスクな食べ物ばかりだが、写真が非常に綺麗なので、どれもおいしそうに見えてしまう、というアンビバレンツな本である。

 以上のうちでも、レン・デイトンとレックス・スタウトの本は、食に対する著者の熱い想いが伝わってくるし、レシピの内容もヴァラエティに富んでいる。未訳なのが本当に惜しい。
 他にも、The Murder, She Wrote Cookbook(ジェシカおばさんの事件簿クックブック)トム・カルヴァー&ナンシー・G・アイランド編(シカゴレビュープレス刊・1997・未訳)や、Roald Dahl's Cookbook(ロアルド・ダールのクックブック)ロアルド・ダール&フェリシティ・ダール著 (ペンギン・ブックス刊・1991・未訳)や、The Mystery Writers America Cookbook(アメリカ・ミステリ作家協会MWAクックブック)ケイト・ホワイト編(クイークブックス刊・2015・未訳)等々、挙げていけばキリがない。

 そんなミステリ系に比べて、SFにちなんだ料理本はどれだけあるのだろう? 冊数は決して多くはないけれど、「SF不思議図書館」の書棚にも何冊か並んでいる。
 例えば――。

Star Trek Official Cooking Manual(〈スター・トレック〉オフィシャル・クッキング・マニュアル)マリー・A・ピカード編(バンタムブックス刊・1978・未訳)
5.jpg  TVシリーズ『宇宙大作戦』(1966―67)放送中と放送後に、陸続と刊行されたジェームズ・ブリッシュによる一連のノベライズ短篇集や、併せて刊行された何冊ものオリジナル長篇と同じバンタム・ブックスから発売されたペーパーバック・オリジナルのレシピ集。映画『スタートレック』(1979)から始まる劇場版シリーズやTVシリーズ『新スタートレック(ネクストジェネレーション)』(1987―93)よりも前に出た、コアなファン向けの書籍である。
 初代エンタープライズ号の乗員、看護師クリスティン・チャペルが執筆したレシピ集――という設定で、写真は一切無く、イラストと文章のみで綴られている。
 ヴァルカン人やロミュラン人、クリンゴン人の代表的な料理を地球の食材で再現したレシピや、カーク艦長やスポック、マッコイ、スールー(カトー)他の主要キャラクターの好物が載っており、カークがステーキ好きだの、スールーはアジア料理ばかりだのと、ややステロタイプな記述が散見される。が、作品世界とは別に、ジーン・ロッテンベリーやウィリアム・シャトナー、レナード・ニモイなどの個人的な料理趣味にまで記述が及んでいるのは、読み物として面白い。
 なお、本書刊行の約二十年後、『宇宙大作戦』から『ヴォイジャー』までを対象とした、二冊目の料理本Star Trek Cookbook(スタートレック・クックブック)が、ポケットブックス社から刊行されている(イーサン・フィリップス&ウィリアム・J・バーンズ著・1999・未訳)。

A Feast of Ice and Fire: The Official Game of Thrones Companion Cookbook(氷と炎の饗宴――ゲーム・オブ・スローンズ オフィシャル・コンパニオン・クックブック)チェルシー・モンロー&サリアン・レーラー編(バンタム・ブックス社刊・2012・未訳)
6.jpg  著者二人は、ジョージ・R・R・マーティンの大河群像劇〈氷と炎の歌〉シリーズの熱心なファンで、小説内で描かれる食べ物を実際に調理するブログを運営していた。本書はそこから生まれたレシピ本である。TVシリーズ『ゲーム・オブ・スローンズ』の放送が始まった2011年の翌年、タイミングよく単行本として刊行された。中世風の素朴な料理やデザートが、舞台となる地域別に分類され、美しい写真とともに掲載されている。
 『七王国の玉座』に登場する「レモン・ケーキ」や「アップルケーキ」、『王狼たちの戦旗』に出てくる「ポークパイ」や「クリーム・スワン」などが見事に再現されており、序文で原作者自身が「小説で出てくる料理よりもすばらしい!」と絶賛している。

The William Ashbless Memorial Cookbook(ウィリアム・アッシュブレス・メモリアル・クックブック)ジェイムズ・P・ブレイロック&ティム・パワーズ著(サブテラニアン・プレス刊・2002・未訳)
 ウィリアム・アッシュブレスは、〈スチーム・パンク〉の創始者として知られるジェイムズ・P・ブレイロックとティム・パワーズが共同で生み出した架空の詩人。ブレイロックの長編『リバイアサン』(1984)やパワーズの長編『アヌビスの門』(1983)などにも登場するが、どうやら時空を超えて生きているらしい。本書は、そんな謎の詩人アッシュブレスが生前に残した料理レシピを一冊にまとめ、それをもって彼を追悼しようという、風変わりな本なのだ。
 「アッシュブレス風煮込み」「パスタ・サラダとステーキ」「最高の〈牛ロースト・サンドイッチ〉」といった料理はどれも普通においしそうで、レシピも作り方も丁寧に記されている。料理好きだったという詩人の想いが伝わってくるなあ――そんな感想を抱きながら最後のレシピを読み終わると、なんとラストで意外な真相が明らかにされる(未読の方のために、この〈真相〉については、あえて伏せておこう)。しかし、ドンデン返しのあるレシピ本なんて初めてだぞ。
 ちなみに著者の一人ブレイロックは、実際に料理が大好きらしく、ジュブナイル長篇『魔法の眼鏡』(1991)には、ドーナツ狂の魔法使いが登場する。「お菓子ファンタジー」の傑作なので、こちらもぜひご賞味いただきたい。

 他にも、テリー・プラチェットの〈ディスク・ワールド〉シリーズ第三作『三人の魔女』に登場する魔女ナニー・ギザ・オグが書いたという体のレシピ集Nanny Ogg's Cookbook(ナニー・オグのクックブック)(テリー・プラチェット&スティーヴン・ブリッグス他著・ダブルデイ刊・1999・未訳)や、特撮ドラマの金字塔『サンダーバード』に登場する女性諜報員ペネロープが愛する50種類のカクテルの作り方を載せたドリンク・ガイドLady Penelope's Cocktails(レディー・ ペネロープのカクテル)(レディー・ ペネロープ著・オクトパスブックス刊・2015・未訳)など、さまざまな料理本が刊行されている。
 とまあ、イロイロとはあるのだけれど、大量に出版されているミステリ関係の料理本に比べると、SFのそれは総じて少ない。異世界や非日常を描くことが多いSFの世界にあって、料理に特化させた書籍の企画は、成立しづらいのだろうか。

3 SFだってご飯を食べる

 だが――と思う。料理本こそ少ないものの、食べ物を取り上げたSFは決して少なくはない。
 例をあげると、ロバート・A・ハインラインの長篇『栄光のスペース・アカデミー』(1948)には、宇宙船〈アイス・トリプレックス号〉の食糧事情が描かれている。乗組員は、凍結状態の保存食を高周波で加熱して食べ、野菜や果物を自給するために、「簡易水耕農園」を設けているのだ。
 でもこれって、「電子レンジ」と「工場野菜」でしょ? 発表当時は目新しかったのだろうが、現実が未来を追い越してしまった典型である。
 ハリー・ハリスンの長篇『人間がいっぱい』(1966)も未来の食べ物を扱っている。食料不足のために、マーガリンを塗ったビスケットが常食という近未来。三千五百万人が住む人口過剰なニューヨークでは、市民は牛肉の代わりに、大豆(ソイ)とレンズ豆(レント)で作られた稀少な「ソイレント・ステーキ」を奪い合っている。他にも、カタツムリ工場で大量生産される「ミートフレーク」や、プランクトンで生成した化学食品「エナーG」、合成食品「海藻クッキー」等々――でも、どれも不味そうな食品ばかりだ。
 ダグラス・アダムスの〈銀河ヒッチハイク・ガイド〉シリーズの第二長篇『宇宙の果てのレストラン』(1980)では、時間と空間を超越した宇宙に店を構える〈レストラン・ミリウェイズ〉が舞台となる。料理をメニュー表で選ぶのではなく、「私の肩ロースはいかがですか?」と、生きたままで自らをアピールするメインディッシュの宇宙生物を前に、主人公レスター・デントは食欲を失う。
 その他では、バリントン・J・ベイリーの長篇『カエアンの聖衣』(1978)の、驚異のスーツを着て闘ったあと、エネルギーを補給するためボールに入れた砂糖を爆食いするシーン。アンディ・ウィアーの長篇『火星の人』(2011)の生き残るために火星でジャガイモを育てるシーン――。
 いやはや、私が覚えているのは、レシピにしづらい料理と変なシーンばかりだなあ。

 そんな中で、特に印象に残っているのが、アイザック・アシモフ(1920―1992)の長篇『ファウンデーションへの序曲』(1988)の一場面である。
 「心理歴史学」の完成を目指す若きハリ・セルダンは、銀河帝国の首都トランターのマイコゲン地区にある微生物農場〈マイクロファーム〉を訪れる。そこで彼は、直径2センチの玉のような食べ物に出会った。ツルツルした肌触りの玉は、食べるたびに味が違い、口の中でとろけて喉を滑り落ちる。セルダンは、いくらでも頬ばれる不思議な味わいに魅せられるが、現地の者から「これは世の中のはかなさを教えてくれる食べ物である」と教えられる。
 単なる食べ物のシーンではなく、「心理歴史学」誕生の伏線となる大事な場面なのだが、それはさておき、無常観にまで想いをはせるとは、さすがアシモフだけに含蓄がある。
 彼の短篇「美食の哀しみ」(1976)も料理を扱っている(短篇集『変化の風』収録・創元SF文庫)。宇宙植民地ガンバで毎年行われる「美食コンテスト」の顛末を描いた作品で、グルメ文化を極めるため化学的な合成食品が跋扈し、過去にはすばらしい味と香りとされていた食材を受け入れられなくなった未来が描かれる。
 このように、アシモフのグルメや料理に対する態度は、なぜか冷ややかなのだ。彼が長年執筆したミステリ・シリーズ〈黒後家蜘蛛の会〉の一編「追われてもいないのに」も食べ物を題材にした、「苦い味わい」に満ちた作品だった(短篇集『黒後家蜘蛛の会2』収録・創元推理文庫・1976)。また、彼が編者を務めた料理テーマのミステリ・アンソロジー『16品の殺人メニュー』(1984・新潮文庫)の序文でも、アシモフは料理と殺人の関係を愉しく語ることはなく、死に至る毒物について化学的な蘊蓄を述べるのみだ。
 実は、彼は生前、自らが編纂した格言集Isaac Asimov's Book of Science and Nature Quotations(アイザック・アシモフの科学と自然の格言集・アイザック・アシモフ&ジェイソン・シュルマン著・ワイデンフェルト&ニコルソン社刊・1988・未訳)の中で、こんな言葉を残している。
 「多くの人々に当てはまる〈栄養学の第一法則〉――おいしい食べ物はからだに悪い」
 アシモフは若い頃から腎臓結石に苦しみ、五十歳を過ぎてからは冠状動脈血栓で苦しんできた。脂肪の多い食事を止めるよう医者に命じられ、ダイエットに励むようになる。実生活での反省が、この「法則」を生んだともいえなくもない。
 アシモフは生涯に五百冊近い書籍を刊行したが、料理をテーマにした単著は、ゼロだった。晩年、Asimov's Guide to Food and Nutrition(アシモフの食品栄養案内)という単行本を執筆しているが、未完に終わっている。壮大な宇宙史を構築し、森羅万象に想いを馳せていた彼も、身近な食に関しては、複雑な想いを抱いていたようだ。

4 アルフレッド・ベスターの料理エッセイ

7.jpg SF界におけるアンチ・グルメの筆頭がアシモフならば、その対極にいるのがアルフレッド・ベスター(1913―1987)である。彼は、アメリカを代表する料理研究家ジュリア・チャイルド(1912―2004)の古典的レシピ集Mastering the Art of French Cooking(フランス料理における技術の取得)(アルフレッド・A・クノップ社刊・1961・未訳)のタイトルをもじって、愉快なグルメ・エッセイを書いた。タイトルは、"Mastering the Art of Space Cooking"(宇宙における料理技術の取得)(SF誌「アナログ」1977年3月号初出・未訳)。
 発表したのは、長篇『虎よ、虎よ!』以来20年ぶりの刊行となった長篇『コンピューター・コネクション』(1975)を刊行してしばらくのこと。ベスターは、宇宙空間の中にあっても、地球にいるのと同じように美食を追及しようと主張し、このような料理を提案した。


M E N U

・ベルーガ産のキャビア
・海亀のスープ
・川カマスのムース
・オマールエビ、小パイの付け合わせ
・シャロレー牛の心臓
・エンダイヴ芽のムニエル
・シャトレーヌ風アーティチョークのフォン
・桃のフランベ
・ホットコーヒー

 なんと高級フランス料理! 最高級のキャビアに、稀少牛の極みシャロレー牛! しかもその心臓!! なにも宇宙で食べなくても……と思われるかもしれないが、食道楽の冥府魔道は時空なんて関係ないのだ。
 ベスターはこのエッセイの中で、高級食材を用いたフランス料理を宇宙船内でいかに調理するか、また、どのようなテクニックで食べるかについて、宇宙という特殊な空間事情を鑑みながら、詳細に論じている。
 無重力状態なので、肉やキャビアが空中に漂うなかで調理をしなければならない。また、フライパンやグリルの代わりに太陽光を使って加熱し、皿やプレートも使えないので、完成した料理は空中で提供することになるという。
 メニューに記された「川カマスのムース」はニンニクを用いるので、これは調理にやや困難をともなう。船内は空調の関係でニンニクを扱うことが禁止されているので、シェフは乗務員に見つからないように、ニンニクを秘かに船内に持ち込まねばならない。しかし結果的に臭いは出てしまうので、空調を管理する乗組員から厳重に注意されることになるだろう。
 いずれはシェフ・ロボットが開発され、遠隔操作で料理が作られるようになる。2047年には厨房そのものが無くなり、フルーツや肉、野菜はフレーバーの食材になるだろう。また、3000年には、想像を超える改変食品が誕生し、長い宇宙旅行に対応したニュー・フードや、より高級な食材が登場するかもしれない。
 とまあ、ギャグのようなユーモア・エッセイなのだが、機能性や効率を重視する宇宙食に叛旗を翻し、断固として地球の食材にこだわった「高級グルメ」を志向するベスターの反骨精神はすごい。得意のタイポグラフの代わりに、わざわざメニューを掲載しているのも、彼らしいビジュアル・センスだ。機会があればぜひとも翻訳して欲しい異色の料理SFエッセイなのだ。

 ちなみに、こうした宇宙でのグルメに徹底してこだわった作品が、くしくも先日、わが国にも登場した。中篇集『SF飯 宇宙港デルタ3の食糧事情』(銅大著・鷹野一幸設定協力・ハヤカワ文庫JA・2017)である。世界SF史上まれにみる、食べ物に特化したSF作品である。
 舞台は遠い未来の宇宙。中央星域を股にかける大商人の息子で〈若旦那〉ことマルスは、辺境の惑星で、大衆食堂〈このみ屋〉の再開を夢見る少女コノミに出会う。これをきっかけに二人は、壮大な宇宙を背景に、食と味をめぐる冒険を繰り広げる。
 遥か昔の地球時代の名残なのか、辺境の宇宙にもかかわらず、鉄板焼屋やタコ焼き屋も登場したり、〈完全パン〉〈万能スープ〉〈満点サラダ〉のセットが「B定食」という名前だったりするのはご愛敬だろう。感心したのは、「宇宙ステーキ」「惑星タドンの化石コーヒー」などのSF料理が、その名前だけで終わらずに、登場人物たちがそれらを口にする場面がしっかりと描かれる点である。味わい・香り・食感が丁寧に活写されるので、食べる歓びがビビッドに伝わってくる。
 「ああ、おいしそうだ。私も食べてみたいゾ」と読み手に思わせるのは至難の技だが、この作品はそうした描写の妙に果敢に挑んでいる。その後に刊行された続篇『SF飯2 辺境デルタ星域の食べ物紀行』も含めて、料理SFという未踏のジャンルに挑戦した著者たちの志の高さに、エールを送りたいと思う。

5 必殺のSF料理本

 さて、最後にとっておきのSF料理本をご紹介しよう。先にも述べたように、その数こそ少ないけれど、でもやはり、中には一冊で何冊分にも匹敵する楽しい料理本が存在するのである。企画性があるし、内容もバラエティーにも富んでいる。そして、何より心温まる素敵なレシピ本なのだ。
 タイトルは――Cooking out of This World(この世の外の料理)(バランタインブックス刊・1972→ワイルドサイドプレスで再刊・1992・未訳)。『竜の戦士』(1968)や『歌う船』(1969)で著名なSF&ファンタジー作家アン・マキャフリー(1926―2011)が編纂者を務めたレシピ本である。
8.jpg ということは、マキャフリーの小説に出てくる料理レシピをまとめた本? いや、確かに彼女の小説には頻繁に食べ物のシーンが登場するし、登場人物が食事や飲み物を取ることで、ストレスを解消したり、元気を取り戻したりするシーンがよく出てくる。長篇『クリスタル・シンガー』(1982)の主人公キラシャンドラ・リーなどは、いつもお腹を空かせていて、旨い食事に出会えることで、生きる喜びを噛みしめている。
 しかし、Cooking out of This Worldは、そんなマキャフリーの小説世界を、食べ物や料理の面から切り出した本ではない。ではどのような内容かというと――。
 実は本書は、マキャフリーを筆頭とする六十人以上の、主に英米のSF&ファンタジー作家が、自分が得意とする料理や、大好きな食べ物、偏愛する飲み物などの各種レシピを、コメント付きで書き下ろし、それらを一挙に収録したレシピ・アンソロジーなのだ。
 登場する料理は全部で百五十八種。作家本人が親から受け継いだ「家庭の味」もあれば、日頃から得意とする定番の一品、原稿を書く時に飲む「スペシャル・ドリンク」、原稿執筆の合間に考案した「オリジナル料理」、甘党の作家による「独自開発のデザート」等々、食べきれないほどの料理がズラリとならんでいる。
 作家の居住地や先祖のルーツにちなんで、料理の背景となる地域・お国柄もさまざまだ。アメリカ料理もあれば、イギリス、フランス、イタリア、アイルランド、北欧、ギリシャ、アジア等々、どこの国の料理かわからないような無国籍風のモノもあるし、なぜか日本風の珍料理まで載っている。
 ページをめくると、SFやファンタジーの世界で活躍する有名作家の名前が次々に飛びこんでくる。「料理のタイトル」「レシピ」「解説」がセットになっていて、一品で数ページにわたって蘊蓄を記している作家もいれば、わずか数行でまとめたコンパクトな原稿もある。
 では、誰がどのようなレシピを挙げているかを、具体的に見ていこう。
 巻頭には、トマス・M・ディッシュの短い詩「ディナーへの招待」が載っている。これが序文の代わりなのだろう。ディッシュは詠う――「この詩こそが、私の料理なのだ」
 ブライアン・オールディスは、「漁師のスープ」と「チキンのリゾット」。前者はユーゴスラビアを旅した時に教わったレシピだそうだ。
 カレン・アンダーソンとポール・アンダーソン夫妻は何種類もレシピを提供している。そのひとつが、「オーサカ〈ベイクド〉ビーンズ」という煮込み料理。大阪風の煮豆で、日本の黒豆一ポンドを厚切りベーコンと日本の醤油と砂糖で煮込んだもの。また、エッグ・ヌードルと牛肉と羊をサワークリームとワイン等で煮込んだ「ハンガリー風〈セーケイ〉焼き」と称する東欧系の料理も紹介している。
 アンソニー・バウチャーは、九種類のスパイスを使った「インドカレー」。
 先に紹介したアルフレッド・ベスターもレシピを寄せており、「焼いた縞スズキのカポナータ」を紹介している。ニューヨーク近郊のファイア島の献立で、釣った魚の鱗や鰭の中にタマネギ、パセリ、バジル、オレガノを入れて焼いた魚料理だそうだ。長篇『分解された男』(1953)の執筆時に、よく食べたという。
 ラリー・ニーヴンとアヴラム・デイヴィッドスンとハーラン・エリスンはそれぞれ独自のコーヒーの飲み方を紹介している。特にエリスンの「カフェ・デアボリク」という名のチョコレート入りコーヒーは、ナツメグとカルダモンと砂糖等が入った濃厚なドリンク。カロリーと糖質がものすごく高そうだ。こんなのを毎日飲んでいれば、心臓麻痺を起こすのは当然だろう(エリスンは1994年、実際に心臓麻痺で倒れた)。
 アーシュラ・K・ル・グインは「新鮮なギチ=ミチ」「かに料理」「チョコレートムース」を紹介している。最初の「ギチ=ミチ」は長篇『闇の左手』(1969)に登場した食べ物。ポテト、にんじん、マッシュルーム 、チンゲンサイ、日本の大根(!)、その他の野菜を醤油で煮込むと、「新鮮なギチ=ミチ」ができるらしい。日本風と中華風とゲセン風がミックスした、いかにもル・グインらしい異文化融合レシピである。
 この本の編纂者でもあるマキャフリーは、料理が得意らしく何種類もレシピを載せている。「ブラウ二ー」「アイリッシュ・クリア(澄んだ)・ラム・シチュー」「ポテト・パンケーキ」等々。どれも彼女が住んでいたアイルランドの料理である。
 ウォルター・ミラー・ジュニアは「亀肉のシチュー」。SF作家によるレシピ集なのだから、第三次世界大戦が起きた場合を想定し、空き缶や野外で出来る料理があってもよいのでは、という主旨で考案したレシピだそうだ。
 マイケル・ムアコックは「ムアコック夫人のクリスマス・プティング」。
 ボブ・ショウは、「デッドライン・シチュー」と「火星の狂気」。前者は普通のシチューだが、後者は砕いたビスケットにバターや砂糖等をまぜて焼いた菓子で、その上に赤いチェリーと二つのビーズ玉を乗せる。チェリーの赤と二つの玉(月)が火星を表現しているそうだ。
 ジョン・スラデックは「ステーキ・パイ」。
 いやはや、まだまだレシピは沢山あるのだが、全部は紹介しきれないので、これくらいで止めておこう。いずれにせよ、SF作家たちの意外な素顔が垣間見られるという点で、楽しい料理本であることは間違いない。
 このCooking out of This Worldの評判が良かったのであろう。1996年に続篇Serve It Forth(さあ、召し上がれ)(アン・マキャフリー&ジョン・G・ビターンコート編・ワーナーブック刊・未訳)が刊行された。マキャフリーが再び編纂を担い、今度は八十人以上のSF&ファンタジー作家が参加。ベテラン勢に加えて、新しい作家が多数参加しているのが目立つ。レシピの数も百五十種におよぶ。
9.jpg ピーター・S・ビーグルの「ビーグルの伝説的ミネストローネ」「ビーグルの大満足クラムチャウダー」とか、ロイス・マクマスター・ビジョルドの「シェリー酒とクルミのケーキ」、デーモン・ナイトの「オニオン・アップル・ポークシチュー」、ジョージ・ゼブロウスキーの「ポーランド料理」、ジョーン・D・ヴィンジの「死のチョコレート:マーダー・ミステリ」(チョコレートブラウニー)等々――、今回もまた個性あふれるレシピが満載である。
 マキャフリーは序文の中でこう書いている。
 「本屋にならべる時は、SFと料理の棚の両方に置いてください」
 確かにSF本としてユニークだし、料理書としても楽しい。怒濤のように本が刊行される昨今、本との出会いの可能性を広げるという点で、こうしたジャンルをまたぐ書籍に対するマキャフリーのアドバイスは、切なる願いなのだろう。
 幸いわが家の「SF不思議図書館」には、「SF料理書」のコーナーが常設されている。マキャフリーの新旧二冊のレシピ本は、仲良くそこに並んでいるのだ。

6 せっかくだから、SF作家の料理を作ってみよう(実践編)

 普通ならば、これで原稿が終わるところだけれど、マキャフリーの本を読んでいたら、無性に料理をしたくなった。せっかくだからCooking out of This WorldServe It Forthから一品ずつを選んで、実際に再現してみようと思う。
 私が選んだのは、アン・マキャフリーの「アイリッシュ・クリア・ラム・シチュー」と、ロイス・マクマスター・ビジョルドの「シェリー酒とクルミのケーキ」である。ともに食材が手に入りやすいのと、作り方も簡単そうだ。このレシピ集の実用性を確認する意味でも、この二つの料理に挑んでみたい。

 さて、最初に作るのがアン・マキャフリー作「アイリッシュ・クリア・ラム・シチュー」である。「クリア」とあるように、透き通ったスープのシチューが出来上がるはずだ。
 彼女のレシピをそのまま転載すると――

アイリッシュ・クリア・ラム・シチュー
3ポンドのシチュー用羊肉
(肩肉もしくは首肉、骨付きリブ)
塩 新鮮なブラックペッパー
冷凍グリーンピース
1/4から1/2カップのパセリ
中くらいのポテト5個
(皮をむいて角切りに)

 マキャフリーの解説によれば、「この料理は手早く作れます」とある。確かに食材はシンプルだし、調理の手順も簡単そうだ。
 しかし、レシピどおりの肉3ポンド(1.5㎏)では量が多すぎるので、二人分に再計算して、300gの肉量で作ることにした。つまり全部の食材量を、このレシピの五分の一の分量に直すのだ。
 最近はスーパーマーケットで羊肉が容易に手に入る。しかし、肩肉は簡単に手に入らないので、厚切りと骨付きの羊肉で代用することにする(大きな肩肉が欲しい場合は、麻布十番の某インタナショナル・ストアに行けば容易に手に入る)。またスーパーの野菜コーナーでインゲンとスナックエンドウを見つけたので、冷凍のグリーンピースの代わりとした。
 かくして準備ができた。マキャフリーが書いている作り方をもとに、料理スタート!
 まず、鍋にお湯ではなく水を入れ、羊肉を煮る。コショウと塩を投入し、グツグツと熱すると、アクがドンドン出るのでこまめに取り除く。真っ赤な肉が段々と淡い色に変わり、羊肉ならではの甘い匂いが、プウンと広がってゆく。

10a.jpg 三十分ほど煮込んだら、切り刻んだパセリとポテトを入れる。アクを丁寧に取ったおかげで、スープが透きとおっており、具材のカタチがくっきりと見える。

10b.jpg 最後にインゲンとエンドウを入れて、さらに煮込むと、野菜のうま味を含んだクリアなスープの羊肉シチューが完成する。熱いスープを味見すると、羊肉のうま味が舌の上に広がった。塩加減がちょうどいい。

 次に作るのは、ロイス・マクマスター・ビジョルドの「シェリー酒とクルミのケーキ」。読者から教わったウィーンのお菓子レシピだそうだ。
 これもレシピをそのまま転載しよう。

シェリー酒とクルミのケーキ
クルミ(約1/2ポンド)
卵3個
砂糖3/4カップ
薄力粉1/2カップ
ベーキングパウダー 小さじ1
塩 小さじ1/4
柔らかいバター1/2カップ
シェリー酒大さじ1
2/3カップのシェリー酒もしくはマサラワイン
蜂蜜2/3カップ
8~12個の半分サイズのクルミ

 アメリカの1カップは約240cc(日本では1カップが200cc)、1ポンドは453グラムなので、これに合わせて分量を再計算すると、主な食材はクルミ約230g、バター120gとなる。なお、甘さを抑えたいので、シェリー酒と蜂蜜はこの分量の三分の二とし、砂糖も四分の三程度に留めることした。

11a.jpg まず、クルミをミキサーで粉状に砕き、クルミ・パウダーを少し加えて、計230グラムで準備する。
 卵と砂糖を泡立て、先ほど用意した粉状のクルミをどさっと入れる。そこにベーキング・パウダーと塩と大さじ1のシェリー酒を投入、全部をよく混ぜる。すると――クルミ本来の甘い香りが、ほのかに漂った。素焼きのクルミからは想像もできない、上品な匂い。クルミの魔法に、一瞬、感動してしまった。
 そして、混ぜ合わせたペーストをケーキ型に入れて、百五十度ぐらいのオーブンで四十分から五十分ほど焼く。熱で表面がかすかに盛り上がり、焼き菓子特有の割れ目ができはじめ、茶色いクルミのケーキが出来上がった。
 焼き上がったケーキを十分ほど冷やす間に、フライパンにシェリー酒と蜂蜜をいれ、煮詰めて甘いシロップを作る。アルコールが飛んだところで、シロップが完成。その熱いシェリー酒と蜂蜜のソースを、少し冷えたクルミのケーキに優しくかけ、さらに半分に切ったクルミをケーキの表面にデコレーションして、「シェリー酒とクルミのケーキ」は完成となる。

11b.jpg クルミの量が多いので、見た目は茶色く地味である。しかし、シェリーの香りとクルミの風味とバターの匂いのおかげで、なんとも豪華な気分になってくる。ああ、ツバが出てくる。

 この二品のおかげで。その日の夕食は「SFレシピの夜」。
 「アイリッシュ・クリア・ラム・シチュー」は、コショウと塩だけの味付けなのに、煮込んだ羊肉の肉汁 と野菜のうま味が合わさって、絶妙のシチューに仕上がった。羊肉の独特の臭みも良いアクセントになっている。
 「シェリー酒とクルミのケーキ」は、しっとりとした味わいで、なかなか美味。コーヒーに合う絶品の焼き菓子である。ちなみにコレ、生クリームを添えると、もっとおいしさが増すだろうな。
 ああ、食悦の極み。生きていて良かった。



■ 小山 正(おやま ただし)
1963年、東京都新宿区生まれ。ミステリ研究家。慶應義塾大学推理小説同好会OB。著書に『ミステリ映画の大海の中で』(アルファベータ刊)。共著に『英国ミステリ道中ひざくりげ』(光文社)。編著に『越境する本格ミステリ』(扶桑社)、『バカミスの世界』(美術出版社)、他。