ジャック・リッチーとヘンリイ・スレッサーという、ヒッチコック・マガジンの両輪とも言える作家は、そのキャリアの晩年を、対照的に過ごすことになりました。とりわけ、日本において、その差は大きかったと言えるでしょう。きっかけは、それまで邦訳の個人短編集を持たなかったリッチーの初めての短編集『クライム・マシン』が、2005年に晶文社から出版され、のみならず、その年の『このミステリーがすごい!』の第一位を射止めました。この結果そのものは、『10ドルだって大金だ』解説のF氏(藤原編集室のFだと思われますが)による「広く浅く」票を集めた結果という分析が、当たっているのでしょう。ともあれ、リッチーの短編集は好評のうちに迎えられ、『10ドルだって大金だ』『ダイアルAを回せ』『カーデュラ探偵社』と次々と邦訳短編集が編まれました。
 さらに決定的だったのは、小鷹信光が資料探索の課程で、リッチーの遺族と連絡を取ることに成功したばかりか、その遺族が保管していた作品を入手し、完璧なリストとともにミステリマガジン2013年9月号でジャック・リッチー特集を組んだのでした。そして『ジャック・リッチーのあの手この手』『ジャック・リッチーのびっくりパレード』の二冊の短編集が、早川ポケミスから出ました。小鷹信光の最晩年を飾る仕事に、それはなりました。
 ジャック・リッチー特集で、明らかになったのは、50年代のデビュー当時、ジャック・リッチーは、まずマンハントで活躍したという事実でした。50年代の作品は、そもそも、これまでに未訳のものが多く、また、『クライム・マシン』以降の邦訳短編集でも、作品選定はヒッチコック・マガジン初出のものが中心となったことは否めません。このころのマンハント掲載作をいくつか読んでみましたが、確かに、少々毛色が異なります。
「ルールは俺がつくる」はリッチーの作品ナンバー4、マンハント初登場の作品です。主人公の殺し屋らしい「俺」が、三人組の話を聞いている。依頼の途中から描き始めるという工夫があって、話し手たちに「俺」は苛立ちを覚えているらしい。若手のギャングにのし上がられて、旨い汁が吸えなくなった三人が、元凶を取り除こうとしているのです。主人公は依頼を引き受け、さらにオチがつきますが、ギャング間の内輪の殺しの顛末を描いただけの話でした。「ある訊問」は、下着泥棒で捕まえた(それも被害者の家族が罠をかけて捕えた上にボコボコにしているらしい)男の余罪を、ふたりの警官が追及する話です。当時でさえ違法かもしれませんが、被疑者の人権もへたくれもない拷問まがいの取り調べです。ひねりもなにもない単純な暴力的捜査の話でした。「縄張り荒し」に到っては、主人公が経営する賭博場へ乗り込み、みかじめ料をたかろうとした三人組を、返り討ちにする話ですが、三人組の手合い違いであるかのようなオソマツぶりには、失笑を禁じえません。
 このころのマンハントの短編が、いわゆるリッチー風のひねりをまったく持たないかというと、そういうことはありません。「帰郷」はムショから出た主人公のもとに、以前の仲間が集まってくる(みんな堅気の生活を我慢して守っている)のですが、出所間際には、むっつり黙り込むようになった主人公には、どのような心境の変化があったのでしょうか? 「情事に酒は禁物だ」は、とても殺しをやれるとは思えないチンピラに、酒の勢いとはいえ、愛人の夫を殺すように依頼する。ところが、その夫が死んでしまったから、さあ、大変という話。また「身代金」は、ある男をふたり組が拉致しているらしい車中から始まります。男は5000ドルなら持っていてと払えると言いますが、ふたり組は耳を貸さない。男は名うてのギャングの右腕で、そっちからなら、十倍取れると踏んでいるのです。
 これらは、ともに、アウトローたちを描いた、マンハントふうのクライムストーリイですが、意外性を伴ったサゲがついているところに、リッチーらしさが、顔を出していました。三作の中では「身代金」が話として巧く出来ていますが、なにより、同じ犯罪者たちを描いていながら、「クライム・マシン」などにあった、人を喰ったようなユーモアに欠ける。もっとも、これは、翻訳のせいかもしれません。リッチー自身か翻訳家かはともかく、マンハント調を意識しすぎたのか、低調な作品が多いようです。
 では、50年代のリッチーの短編は、習作の域を出ないのでしょうか?
 そんなことはありません。「恋の季節」は作品ナンバー1、処女作ということになります。引っ込み思案な片想いが、微笑ましい偶然から成就する。単純ではあるけれど、ほのぼのしたショートショートでした。「パパにまかせろ」は、家にある機械の修理で、息子に良いところを持っていかれてばかりいる父親が、一計を案じて企んだのは……という話で、やはり家族の内輪のちょっといい話でした。これらは『ジャック・リッチーのびっくりパレード』で訳出されたうちの50年代前半の作品です。また、『ジャック・リッチーのあの手この手』に入った同時期の作品「仇討ち」「猿男」を見てみましょう。前者は西部小説です。兄を殺した男の仇をとろうとする主人公が、しばらく手にしていなかった銃を持ち(射撃の練習をするのが細かいところ)、目指す相手を挑発に向かうという一編で、結末にはチャーミングな意外性が用意されていました。後者は、犬にも吠えられるという奇怪な容貌が売りのボクサーの話ですが、圧倒的な強さとファイトマネーとともに、その顔が孤独をもたらしてもいるという、キャラクターの綾が巧く、ハートウォームな話に仕立てていました。
 小鷹信光が発掘した、こうした短編は、確かに、従来紹介されてきたリッチーには、あまり見られない作品群でしたし、同時期のマンハントの短編よりも、はるかに面白い。とくに「村の独身献身隊」という艶笑譚は、50年代のリッチーの中でも白眉と考えます。まず、それと語らずに艶笑譚と知らせてしまうのが、まことに巧みで、終始ニヤニヤさせたまま、愉快なサゲまで一気に話をもっていく。落語の「短命」とどちらが上かという秀作でした。この作品に比べたら、むしろ、ミステリ味のある作品――ふたり組の逃亡強盗犯に住まいを占拠される「ようこそ我が家へ」や、いかにも怪しげな妻殺しの容疑者が主人公の、しかし、死体が見つからないという「夜の庭仕事」――の方が平凡でした。


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