1978年のことです。集英社から松本清張編の翻訳短編ミステリのアンソロジーが出版されました。『海外推理傑作選』と題した、全6巻の堂々とした短編集です。各巻に共通して、来日を果たしたエラリイ・クイーンの序文が付き、松本清張との交流を語っています。この6巻のアンソロジーは、どうやら、ヒッチコック・マガジンの傑作選からの編み直しのようなのです。エラリイ・クイーンは商才もある人なので、トップセールスくらいは、やったかもしれませんが、当時は、ヒッチコック・マガジン本国版も、版元が動く前です。いかなる経緯で、松本清張編のヒッチコック・マガジン傑作選が、出版の運びとなったものか、それに、クイーンがどう関係したのか、よく分かりません。当時の書評(EQチェックリスト)を参照すると、序文がなぜクイーンなのか疑問を呈していました。
 さて、C・B・ギルフォードの短編を読み返すにあたって、まず、手にしたのが、このアンソロジーでした。手許にあったヒッチコック・マガジンの掲載作が、物足りなかったのは、前回書いたとおりです。しかし、このアンソロジー全6巻のうち半数の3巻に登場し、立派な主力作家です。日本語版ヒッチコック・マガジンでも、二度、特集が組まれたくらいですから、当時から、主力作家のひとりであったと言えるでしょう。もっとも、出来は、やはり芳しくありません。
「とぎれた記憶」は、長距離電話を繋ぐニューヨークの交換台の慌ただしさ(直通ではないのです)から始まり、交換手の女性が、フィアンセから求婚の電話を受け取り、彼の待つ西海岸へと列車に飛び乗ります。そのために、同僚に回したボストンからの電話は、もちろん、後段で効いてくるのでしょう。列車の中で彼女は奇妙なふたり組の男と遭遇します。ひとりは弁護士で、もうひとりの男の殺人容疑の裁判で、無罪を勝ち取ったばかりでしたが、直後に本当はやったのではないかと疑念を持ったのでした。閉ざされた長距離列車の中での異様な状況設定は、アイデアと言えるかもしれませんが、如何せん不自然なところが多すぎる。結末の切れ味も良くはありません。「中身は死体」は、穿鑿好きな上に小言の多い家主の女性が、恰好の意地悪の対象となっている婦人(夫は仕事で留守がち)の、日々の行動に聞き耳をたてています(音が筒抜けの安アパートなのです)。その夜、漏れ聞こえる音から、彼女は婦人が殺され、トランク詰めにされると判断しますが……。音から犯行を推理するという場面の描写は、ギルフォードの手にはあまったようですし、事件の落としどころも平凡でした。
 唯一楽しめたのは「テーブルの男」という一編でした。ポーカーテーブルに座って、メンバーを待っているらしい、ひとりの男のところへやって来たのは、お尋ね者の強盗でした。テーブルを挟んで向かい合うふたりの男の出会いとやり取りだけで構成された一編ですが、心理的な駆け引きの果てに、意表をついたサゲが決まります。意外性頼みの掌編で、善かれ悪しかれ、このころの短編の標準とでもいうべき作品です。もっとも、松本清張の寸評が的を射ているのも確かで、とび抜けて秀でた作品というわけではありません。  このほか、ヒッチコック・マガジンに訳されたものを、いくつか読んでみましたが、積極的に評価したくなる作品はありません。見るべき部分がなくはないのですが、如何せん、長所と短所のバラつきが大きいのです。
「結婚のすすめ」は自分を熱愛する妻を殺すに到る男の物語ですが、思いつきに比して、それを実現するためのプロットや細部に、閃きが見られない。「ある探偵小説のための覚え書」は、作家志望の男が、有名探偵作家に受けたアドヴァイス――身近な人間を憎むことをシミュレーションとしてやってみることで、犯人の気持ちを想像する――を実践するうちに……という話ですが、発想に説得力がない。主人公の想像力の発動の仕方が、凡庸に過ぎて、それが、そういう人物を描いたというよりも、ギルフォード自身の限界を示しているようにしか見えないのが、つらいところなのです。作中の有名探偵作家は「筋立てなどは機械的なもので、大して重要じゃない。問題は感じなんだ」と言いますが、この言葉が、そのままギルフォードの弱点を言い当てているのではないでしょうか? 問題であるはずの「感じ」の掘り下げが平凡で、筋立てには重きが置かれない――あまり工夫しない。
「蛇男」は、蛇が好きで蛇にも好かれている、爬虫類館の飼育係の男のところへ、蛇を見ると殺してまわったという狩猟家がやって来る。この対比は、ちょっとしたアイデアです。しかも、この狩猟家が、陳列してある蛇のうち、とりわけ一匹のコブラを目の仇にして挑発する。ガラスケースの中のコブラは、怒りだしてガラスの天井に頭をぶつける。これが毎日くり返され、主人公は心を痛めますが、狩猟家は、市のおえら方にコネがあって、それを笠にきるので逆らえません。このふたりの関係と、そのやり取りが面白くて、「蛇男」は読ませます。オチそのものが平凡なのは、大きな瑕とは思えませんが、そのオチのつけ方、描き方には、工夫の余地があるように思われる。このあたりに、ギルフォードの弱点があるのではないでしょうか?


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