ローレンス・トリートは、本来ならば、警察小説の流れを語る上では、もっと前に扱わなければならない作家です。1945年の『被害者のⅤ』に始まる、ミッチとジャブの刑事と鑑識課員のコンビのシリーズ(のちに殺人課のデッカー警部も加わる)によって、警察小説の父という評価が定まっているからです。ただし、その評価は、その後の15年にわたって書かれた長編ミステリによるものでした。しかも、それらは邦訳されることがなく、ようやく21世紀にはいって2003年に、『被害者のⅤ』がポケミスに入りました。このシリーズの短編が書かれるのは、長編の新作が出なくなったのち、1963年も終わりになって、エラリイ・クイーンのすすめで、トリートがEQMMに書いた「獲物のL」(64年1月号掲載)に始まるのです。この短編のシリーズは、新作がそれなりに日本にも紹介されましたが、「獲物のL」と同じ64年の「殺人のH」は、MWA賞短編賞を受賞していますが、充分な評価を得ているとは言えないでしょう。
「獲物のL」「殺人のH」は、主要登場人物三人が勢ぞろいして、顔出しだけではない活躍をするという意味で、再スタートを切るにあたっての意気込みを感じさせます。
「獲物のL」は休暇を翌日に控えたミッチが、廃車置場で弾痕のある車軸被いを見つけてジャブに届けるところから始まります。とにかく翌日に仕事を残したくないミッチは、もう一度廃車置場に戻りますが、そこで奇妙な子どもを見つける。最近起きた強盗事件で目撃された常習犯にそっくりなのです。ヤツの息子に違いない。ミッチに直感がはたらき、その子を言葉巧みに警察へ連れ帰る。いささかどころではない強引さで、これがアタリなら脱力ものですが、廃車置場の管理人(うるさ型で、ミッチはあまり会いたくない)の子どもだと、逆に警察にねじ込まれ、ミッチはたじたじとなる。デッカーのおかげでその場は助かります。そうしたのらりくらりとした展開が、後半、にわかに急を告げるのは、小さな手がかりから、子どもについてミッチの見せる推論が、面白いからでしょう。事件全体には、錯覚をもたらすような巧い仕掛けがあって、解決も膝を打たせ、最後のオチが、またきれいにキマります。
「殺人のH」は、西海岸まで自動車で行くので同乗者を募集するという広告を見て、同乗者となった女性が、募集主である同行者が行方不明になったと訴えた事件です。彼女は夜、どこかに電話をかけ、そのまま荷造りをしていなくなったのです。数日後、彼女の死体が見つかり、縁故のない道中途上の町だったはずの場所に、被害者のかつての夫が住んでいたことが分かります。迷宮課なみの偶然がミッチを解決に導きますが、ここでも、最後のオチが見事でした。「殺人のH」は前述のとおりMWA賞の短編賞を獲得しましたが、私は「獲物のL」の方がより秀れていると考えます。
 これ以後のトリートの頭文字シリーズの短編警察小説は、かなりの数が、それほど間をおかずに翻訳されていくことなります。「弾丸のB」は、ジョン・ボール編のアンソロジーにも採られましたが、強盗殺人事件の現場に信じられないほどの薬莢が残っているとか、逃亡車輛が時間が経過したわりには現場近くで発見されるとか、謎そのものに見所はあるのですが、解決の仕方がぎごちなくて損をしています。同様に「ナイフのK」は、窓越しに女の刺殺死体を見たという訴えに、現場にミッチが行くと、マネキン人形だったという人騒がせが起きたその日のうちに、同じ場所で、その家の妻が刺殺死体となって発見されます。ちょっと『人形はなぜ殺される』みたいですね。こちらも、解決にさほどの魅力がないのが残念です。連続する自動車狙いの強盗――人気のないところでふたりきりに、という手合いを狙うのです――事件が、ついに殺人に発展と思いきやという「ホールドアップのH」にしても、あるいは、デッカーがひとりで活躍する「アリバイのA」「強盗のR」といった、パズルストーリイに傾斜した作品にしても、複雑な解決を魅力的にさばくといった作品は、トリートには不向きなようです。
 むしろ「お巡りのC」のようなユーモラスな事件ものと見せかけて、偶然が生きて解決がつく軽い作品の方が面白い。いみじくも「毒のP」で、ミッチは「いつもこんなふうになる、三塁盗塁に成功したものの、ファウル・チップのためもどらざるをえない」と愚痴ります。偶然に翻弄され、また、助けられながら、捜査陣が行きつ戻りつする。警察小説の基本がそこにある以上、「贋作のF」の結末のように、直感的な捜査の果てに、九死に一生をえたミッチをしりめに「簡単な事件もあるものさ」と仲間が軽く解決に到達してしまう楽しさこそ、トリートらしいと言うべきでしょう。
 ローレンス・トリートは、警察小説が一般的になる前に、長編作品でその嚆矢となり、短編の警察小説に手を染めるころには、警察小説はジャンルとしての成熟を迎えていました。それだけに、ジョナサン・クレイグのように、捜査の実際的な展開や息遣いを移すことに汲々とする必要はなかったのでしょう。ふたりの作家としての腕前という、もっとも基本的な差を除いたとしても、そうした違いはあったように思います。

EQMMコンテストの受賞作リスト(最終更新:2014年11月5日)


小森収(こもり・おさむ)
1958年福岡県生まれ。大阪大学人間科学部卒業。編集者、評論家、小説家。著書に 『はじめて話すけど…』 『終の棲家は海に臨んで』『土曜日の子ども』『本の窓から』、編書に『ミステリよりおもしろいベスト・ミステリ論18』 『都筑道夫 ポケミス全解説』 等がある。

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