『都筑道夫ポケミス全解説』のモーリス・プロクター、ウィリアム・ピアスン、W・P・マッギヴァーン、ハーバート・ブリーン、J・J・マリック、ウィット・マスタースンといったあたりを、拾い読みしてもらえれば、分かると思いますが、スピレーンの影響によって生じた通俗ハードボイルドのブームは、50年代前半には失速の気配を見せ、54~55年ごろには、警察小説が取って代わるようになります。もっとも、その変化は、ペイパーバックを中心とする長編ミステリにおいて、何が流行しているかということであって、警察小説とその萌芽が、40年代にすでにあったことはトマス・ウォルシュその他で、すでに読んできたとおりです。
 モーリス・プロクターは、戦前から戦後にかけて警察官だった経歴を生かして、作家の道を歩み始めました。47年にデビューし「イギリスにおける警察小説の先駆者」(『世界ミステリ作家事典[ハードボイルド・警察小説・サスペンス篇]』の森英俊による)と評されています。概観すれば、47年にプロクターが出て、J・J・マリックが『ギデオンの一日』を発表した55年あたりで、イギリスの警察小説は完成し、アメリカもほぼ同時に警察小説が隆盛を迎えたと言っていいでしょう。
 プロクターの邦訳はそれほど多くありませんが、とりわけ、短編は数が少ない。しかも、出来も芳しくはなく、警察小説の王道を行くようなものは見つかりません。このあたりも、ミステリの流れを決定づける作品が、長編に移行したことの表われのように、私には思えます。読んで面白いのは「魔法の余地なし」という一編ですが、これは、イギリスの工業都市のど真ん中を巡邏する警察官が、もしも、魔法のランプを拾ったらという話です。この説明だけでもお分かりでしょうが、警察小説の書き手が、それを逆手にとって遊んでみせた、ファンタスティックなジョークとでもいうべき愉快な短編です。
「魔法の余地なし」「おまわりとランプ」という題名で日本語版EQMMにも掲載されたことがあります。原題も異なっていますから、別題でEQMMに再録されたのでしょう。もともとは、54年のMWAのアンソロジーに提供されたものです。編者はジョージ・ハーマン・コックスで、東京創元社から『アメリカ探偵作家クラブ傑作選2』として邦訳が出ています。MWAのアンソロジーは、作家から無償で提供された作品から一冊を編んでいるようですが、必ずしも、この年に書かれたものや、初めて世に出た短編ばかりで構成されているわけではありません。チャンドラーの「おれは待ってるぜ」(待っている)やエリンの「裏切り者」(壁をへだてた目撃者)、ロースンの「天外消失」、クイーン「ゲッティスバーグのラッパ」といった作品が並んでいます。それでも、54年という年号に意味はあります。トマス・ウォルシュの「金髪の看護婦」、ベン・ベンスンの「家の中の殺人犯」といった作品が轡を並べているのです。
「金髪の看護婦」の主人公は、題名のとおり看護婦です。肺炎にかかった大金持ちの子どもを自宅で看護しています。母親は亡くなっていて、使用人の老夫婦だけがいます。その夜、子どもが寝ついたのちに映画を観に出ますが、映画館から出たところでハイヤーの運転手に呼び止められ、子どもの具合が急変し、叔母夫婦の家に搬送されたので、車に乗ってくれと言われる。落ち着いて考えると不審な話を、急かされることで信じてしまい、あげく置き去りにされる。なんとか戻ると、待ち受けていたのは身代金5万ドルの誘拐事件でした。しかも、彼女の話そのものが、警官には疑われているらしいのです。四面楚歌のなか、ひとりの警官だけが彼女を信じてくれるというのは、いささか古めかしくもウォルシュの得意パターンです。ウォルシュの警察官小説の中でも佳品の一編でしょう。作品の前に置かれた作者の短文には「市警刑事の勤務中や非番のときに起こりそうなことを、簡潔に飾らずに書こう」という、マニフェストめいた一文がありました。
 ベン・ベンスンの「家の中の殺人犯」は、この作家の代表的な主人公であるマサチューセッツ州警察警部ウェイド・パリスが登場します。警官殺しの犯人が、幼子と母親のふたりきりの家に立て籠もり、パリス以下の警官隊が取り囲んでいる。突撃するのは簡単ですが、人質の母子の安全を考えると、そうもいかない。そこに犯人の姉という女性が、貯金をはたいて弟に届けに現われます。容疑が警官殺しであるからには、弟は射殺される運命にあると彼女は信じて疑わない。パリスは彼女を説得し、そして、犯人を撃たないと約束して、ふたりで説得に出向く。いまとなっては誰でも知っているような警察の動きを、リアルに追うことで一編の小説が仕立てられるようになったのは、たかだか60年前のことだったというわけです。
 ベン・ベンスンには56年に「女の罠」という短編もあります。強盗殺人の仲間割れの果て、金を持って逃走中の女が主人公です。たまたま隠れ家に電話を借りに来た男を、巧く言いくるめて、自分を追う仲間をまこうというのです。舌先三寸の女のクライムストーリイと見せかけた真相は、まあ、予想のつくものですが、背後には警察小説のパイオニアのひとりとしてのベン・ベンスンの個性が脈打っていました。犯人たち(と同様に読者)が、仲間の追跡を恐れるわりには恐れなかった警察の捜査の実力が、プロットの背後にはあったことが明かされるのです。
 ベン・ベンスンにはハードボイルド作品もあって、実際、通俗ハードボイルドと警察小説の書き手は重なっていることも多いのです。先にあげた片岡義男の評論は、小説という形式に向く一匹狼の私立探偵のハードボイルドと、テレビドラマに向く警官たちの群像劇を、対照的に見たものでもありました。しかし、通俗ハードボイルドと警察小説は、様々な意味での相違点があるにもかかわらず、それを埋めてしまいかねない共通点があり、そして、その共通点を一言で表現する言葉さえありました。その一言はManhuntでした。

EQMMコンテストの受賞作リスト(最終更新:2014年11月5日)


小森収(こもり・おさむ)
1958年福岡県生まれ。大阪大学人間科学部卒業。編集者、評論家、小説家。著書に 『はじめて話すけど…』 『終の棲家は海に臨んで』『土曜日の子ども』『本の窓から』、編書に『ミステリよりおもしろいベスト・ミステリ論18』 『都筑道夫 ポケミス全解説』 等がある。

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