ウィリアム・P・マッギヴァーンは、ミステリの世界では、第二次大戦後のハードボイルドブームの折に、有力な新人として登場し、警察小説の隆盛を主導した作家として、評価されています。作家としてのキャリアは、戦争中にパルプマガジンに書いていたようですが、そのころは、むしろSFが多かったようです。アシュリーの『SF雑誌の歴史』にも名前は出てきますが、あまり、そのイメージはよろしくない。以前、パルプマガジンのところで、マッギヴァーンのパルプ時代の短編をひとつ読んで、お粗末さにあきれかえったことを書きました。そのころのSF短編では「死刑囚監房」というのを読みましたが、冴えたところがありません。やはり、長編のハードボイルドで世に出る前の作品は、修業時代の習作の域を出ないのでしょう。
 ハードボイルドから警察小説への足取りといい、その後のストレイトノヴェル志向といい、マッギヴァーンという人は、その作家性を認められながら、名を成していきました。しかし、その出自を見ると、職人的になんでもこなしてやろうとする、パルプ作家の面を持っているように思えます。そのことは、たとえば「最後の一言」(死は鉄路に乗って)といった作品に明らかです。最初に邦訳されたとき「稀少価値の本格作品」という解説が付されました。この短編は52年の作品だといいますから、ハードボイルドの未来を、ロス・マクドナルドとともに担うであろうと目される一方で、悪徳警官ものに足を踏み入れていたころの一編です。しかし、オリエント急行を舞台に、国境を越え、ユーゴスラヴィアに入ろうとする海外特派員が、隣室のいさかいの声に気づくところから始まり、殺人事件に出くわすというものでした。はったりを利かせた舞台設定と、解決のさげの軽いユーモアと、職人芸はあるものの、それは平凡な短編でした。
 あるいは「あるく死体」です。原題はThe Dead Walk。私立探偵ダン・ミーガンのところに、金髪女がやって来るところから始まります。いかにもハードボイルドという始まりは、田中小実昌の訳もあいまって、いかにもハードボイルドなクリシェを振りまきながら――それなりに気の利いた言い回し(この部屋で、あまり金がかかってないのは、湖の景色ぐらいのもんだろう)や、主人公をのしてしまう大男など――、いかにもハードボイルドな展開をしていきます。夫の留守中に訪ねてきた夫の友人が、不埒なふるまいにおよんだため、火かき棒をふるって殺してしまったはずなのだが、気を失ったのち、意識が戻ると、死体が消えていたというのです。この冒頭で、企みの全貌は、ほぼ想像がつくわけですが、それが裏切られることもなく、小説は終わります。
 もっとも、この作品は中編にリメイクされています。「歩く死体」という青木日出夫訳で、ミステリマガジンの70年5月号に翻訳されました。原題はThe Walking Corps。初出の調べがついていないので、こちらがリメイクというのは推測にすぎませんが、長さも長くなっていて、書き方も手厚く、アイデアを膨らませる方向に変わっているので、「歩く死体」の方がリメイク版だろうと考えています。ここには、私立探偵は登場しません。大金を相続した若い女性が主人公です。秘書の職を持っていて、好意を抱いている職場の上司が自分の気持ちに気づかないこと以外は、何不自由なく暮らしています。にわかに大金を手にした彼女は、ホテルのバーで贅沢な一夜をすごしてみます。そこで知り合った男と翌日会う約束をして……
 そこからのヒロインは、「あるく死体」で探偵のもとに駆け込んできた金髪女性の体験と、ほぼ同じ事件に出会います。このあたり、ヒロインの身に起きた順に即して書かれることで、ヒロインが罠の中に閉ざされていく感じが、伝わるという仕組みです。もっとも、ヒロインの元の上司など、のちに助けに現われるであろうことがあからさまで、そうしたことが、窮地に陥っていくヒロインに、いまひとつ緊迫感がない原因かもしれません。しかし、このアイデアは、明らかに、それを仕掛けられるヒロインの側から描かれるのが、もっとも効果的でしょう。とくに、自分が罠に落ちたことをヒロインが気づいてからが、小説は面白くなります。何度かかのヒロイン側のあがきと、最後の委任状にヒロインがサインするか否かという段取りは、クライマックスを盛り上げる役にたっています。結果として、中編版の「歩く死体」は、マッギヴァーンの職人作家としての実力を示すものとなっていました。

 マッギヴァーンが作家としてもっとも脂ののりきったころの短編が、61年にポケットブックからまとめられました。『高速道路の殺人者』がそれで、日本でも早川のポケミスに入っています。中編と呼べる分量の2編と、短編3作からなっています。
「祈らずとも」は、不良少年と人のいい神父――警察からすると悪党予備軍に甘いことで、予備軍をホンモノの悪党にしていることになります――という、エヴァン・ハンターが書きそうな話ですが、人情噺にしてはエモーショナルなところが欠けていて、それがマッギヴァーン流かもしれません。「デュヴァル氏のレコード」は、フランス人の妻殺しの計画犯罪が露見するまでの話ですが、平凡な出来です。3つの短編でもっとも面白いのは「ウィリーじいさん」でした。カポネ全盛期のシカゴを舞台にして、歌手のタマゴである娘と、それを見守る老人。娘はギャングに弄ばれて、身ごもってしまいます。人が好いだけの門番兼なんでも屋のはずだった老人が、突如、颯爽とギャングたちの巣に乗り込んで……。アメリカほら話が、20世紀に持ち越されることで、都市伝説となったような愉快で痛快な小噺でした。
 ふたつの中編のうち、巻末の「ベルリンの失踪」は、西ベルリンを商用で訪れているアメリカ人の主人公が、レストランで女から助けを求められます。彼女は東ベルリンに住みながら、西ベルリンの大学で働いているのですが、どうも東側の警察に目をつけられているらしい。店を出てしばらく一緒にいてほしいというのです。その晩は怪しげなことは起こらず、主人公はいささか拍子抜けしますが、翌日になって、東独の警察はその場で逮捕する必要がなかったことを知ります。心配になった主人公は東ベルリンへ入り、彼女を訪ねます。
 主人公は戦争で捕虜になった際、ドイツ兵に足を撃たれて置き去りにされ、ために義足をつけるはめになっている。それでなくても、戦争の記憶がいまだ鮮明なころです。しかし、アメリカ人好みの正義感から、彼女を西側へ脱出させようとします。脱出行としては手順に緊張感が欠けますが、途中で彼らを助ける東ベルリンの彼女の友人たちが、心底迷惑がりながら、それでも生命がけで助けるあたりのやるせなさに、生々しさがあります。
 巻頭を飾る表題作の「高速道路の殺人者」は、この短編集の三分の一を超える長さがあり、内容的にも最盛期のマッギヴァーンらしさにあふれた作品です。
 怪しげな人物が高速道路の片隅に、自分の乗って来た自動車を乗り捨てるところから始まります。アクションの描写に終始して、よく考えると不可解な行為なのが、なかなか魅力的です。続いて、高速道路の巡邏警官(ハイウェイパトロールの訳語なのでしょうか?)オリーヤリーが、その車を見つけます。折しも、その日、まもなく大統領が、その高速道路を通るところで、警戒が厳重になっている。オリーヤリーはガソリンスタンドに付属する軽食堂のウェイトレスと恋仲なのですが、彼女に自分は高速道路に恋してるなんて言うものだから、ふたりの関係が進展するものやら分からないという微笑ましさです。冒頭の怪しげな人物ボーガンが、そんなふたりの様子をじっと観察していることで、さらに怪しさがつのっていく。それと平行して、三州にまたがる高速道路の警察という、広域捜査の最先端を担う警官たちが、きびきびと描かれていきます。このあたりの巧みさが、マッギヴァーンを当代一流のミステリ作家にしたわけです。
 ホーガンは殺人を犯して、高速道路で逃走中にガソリン切れで自動車を見捨てたようなのですが、なかなか高速道路を出ようとしない。大統領が通ることは分かっているので、暗殺を狙っているのかと、誰しも考えるでしょうが、それにしては、その日すでに殺人を犯していて、犯行も衝動的です。大統領を計画的に暗殺するようには見えません。捜査の網は狭まっていきますが、それを巧みにかいくぐり、あげく、ドライヴァーを拳銃で脅して目立たない車に同乗し、さらには、自分の顔を見知っている警官(オリーヤリーのことです)と親しいウェイトレスを拉致してしまう。
 高速道路という、ある種密閉された空間からの脱出という不可能興味を持続させながら、サスペンスいっぱいに、犯人側と捜査側のアクションを理詰めで描いていく。マッギヴァーンの美点が最高に出た、掛け値なしに傑作と呼べる一編でした。

EQMMコンテストの受賞作リスト(最終更新:2014年11月5日)


小森収(こもり・おさむ)
1958年福岡県生まれ。大阪大学人間科学部卒業。編集者、評論家、小説家。著書に 『はじめて話すけど…』 『終の棲家は海に臨んで』『土曜日の子ども』『本の窓から』、編書に『ミステリよりおもしろいベスト・ミステリ論18』 『都筑道夫 ポケミス全解説』 等がある。


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