長編のリュウ・アーチャーものにおけるロス・マクドナルドは、58年の『運命』ないしは59年の『ギャルトン事件』をきっかけに大きく方向転換し、それ以後の『ウィチャリー家の女』をはじめとする60年代の傑作群を書くことになるというのが、ほぼ異論のない定説です。一方で、56年に交通事故を起こして保護観察処分となった娘が、59年には失踪事件を起こし、とくに後者は一大事件となって、ロス・マクドナルドの作家活動に大きな影響を与えたことが、知られています。事件直後のアーチャーものでない長編『ファーガスン事件』の評価が、いまひとつ曖昧なのは、その影響を読者の側がもてあましているせいかもしれません。
 マンハントに書かれたアーチャーものの短編は、そうした後年の、作家として大成する道を見定める以前のロス・マクドナルドが書いたものでした。そこには、マンハントの中にあっては目立ったかもしれないけれど、のちの長編群を書く姿を想像させるものはありません。ハメット、チャンドラーとロス・マクドナルドを分かつ最大の違いのひとつは、ロス・マクドナルドにおいて、短編小説が小説家としての成長にほとんど寄与していないという点ではないでしょうか。
 しばらくの時間をおいて、60年になって、ロス・マクドナルドは「ミッドナイト・ブルー」をエド・マクベインズ・ミステリ・ブックに発表します。おそらくは創刊号の目玉のひとつであったのでしょう。射撃練習にアーチャーが使っていた、誰も住んでいないはずの田舎家に、気がふれたかのような老人がいて、そこで女の死体をアーチャーが発見します。この作品も依頼人が訪れるという始まり方はしませんが、圧倒的なのは、夜明け近くに現場にやってくるアーチャーの目でとらえた、素晴らしい風景描写です。アーチャーが、つまりロス・マクドナルドが、鳥(自然)を描くようになったのは、いつからだろうかという点を問題にしてみせたのは各務三郎ですが、小鷹信光が本編を「じっくり書きこまれた」と評したのは、まず、この出だしの部分が大きかったはずです。事件を追うアーチャーの足取りもしっかりしたもので、前後して書かれたであろう『ウィチャリー家の女』と比べて遜色がありません。つまり「ミッドナイト・ブルー」のロス・マクドナルドは、すでに自分の行く道を見定めているように見えます。
 さらに5年後の65年、アーゴシイに「眠る犬」という一編を寄せます。犬の行方不明でアーチャーが呼び出されるという、パロディ編とみまがうような出だしです。そこには自分の行き方を掌中に納め、軽くそれをひねってみせるだけの余裕を見ることが出来ます。にもかかわらず、事件が進むにつれて、人間関係は翳のある重い過去をたぐり寄せ、遊びとか余裕といったものと、この作家が無縁であったことを示していました。
 ロス・マクドナルドには、初期のマンハントに載った「ショック療法」という、夫婦の会話だけで成り立つクライムストーリイがあります。技巧的ではありますが、凡庸な作品です。「雲をつかむような女」は、複雑な愛憎が、それと同等の複雑さを持った計画的犯行を呼び寄せるという意味で、建付けの悪い連城三紀彦といった印象を受けます。それらのアーティフィシャルな行き方は、意外なことに上手くいっていません。アーチャーものにおける複雑な過去の隠蔽は、アーチャーが執拗にインタビューをくり返すという形で解き明かされるときにのみ、ロス・マクドナルドに成功をもたらしました。そして、そのためには、どうしても長編の構成が必要不可欠でした。今回、私は、事件の依頼人の有無に少々拘泥しすぎたかもしれませんが、それは、アーチャーのインタビュアーとしての立ち位置を決めるために、それがどうしても必要なことのように思えてならないからでした。

EQMMコンテストの受賞作リスト(最終更新:2014年11月5日)


小森収(こもり・おさむ)
1958年福岡県生まれ。大阪大学人間科学部卒業。編集者、評論家、小説家。著書に 『はじめて話すけど…』 『終の棲家は海に臨んで』『土曜日の子ども』『本の窓から』、編書に『ミステリよりおもしろいベスト・ミステリ論18』 『都筑道夫 ポケミス全解説』 等がある。


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