レイモンド・チャンドラーの同時代で、ハメットの影響下に作品を発表した作家のうち、もっともチャンドラーに迫ったのは、ジェイムズ・M・ケインでしょう。ただし、ふたりの関係は微妙で、ケインの原作をチャンドラーが脚色した映画「深夜の告白」は、アカデミー賞にノミネートまでされましたが、互いの関係が良好とは、あまり思えない。チャンドラーがケインを悪しざまに言っているのは、ほうぼうで引用されますから、ご存じの方も多いでしょう。「汚いことを汚く書く」という、例のあれです。ケインの方には、チャンドラーについての目立った言及がありませんが、ケインが死んだときに書かれた小鷹信光の追悼文には「標的をハメットとヘミングウェイ、ことに後者のほうにはっきりとしぼっている」とあります。チャンドラーと同列はもちろん、ハードボイルド派と括られることも嫌ったというのは、本音だったに違いありません。
 さきに、チャンドラーの同時代と書きましたが、1892年生まれのケインは、チャンドラーより年下ではあるものの、作家としてのキャリアは、やや先輩にあたります。第一次大戦に従軍後、H・L・メンケンの知遇を得て小説を書き始めました。本人の弁によれば(「私の文章読本」ミステリマガジン1978年2月号の追悼特集に訳出されています)、20代の前半に作家を志し、30近くになって実際に取り組んだそうですが、当初は、話をどう進めていいのかもわからず、三人称の長編が書けなかったと言います。しかし、短編は話が違う。以下、引用すると「ある特定の人物の口を借りて語られる短篇小説のほうは、三人称のときのようによろめいたり、つまずいたりせずにまっすぐ進んでくれる。一人称で語られる私の主人公たちは、自分のいうべきことを完全にしりぬいていた」のです。ただし、彼らは「長編小説にはまったく不適応な、ひねくれた、醜悪な方言をしゃべる」のでした。こうしたジレンマを抱えて、32年にケインはハリウッドに行きます。作家がハリウッドに行くのは、珍しくありませんが、ケインの場合は、大きな転機となりました。翌33年秋に――奇しくもチャンドラーの処女作が世に出たのと前後して――『郵便配達は二度ベルを鳴らす』を書き上げたのです。この一人称で書かれたクライムストーリイは、34年に刊行され、ケインは流行作家となりました。
 ジェイムズ・M・ケインの初めて邦訳された短編は「冷蔵庫の中の赤ん坊」でした。レストラン兼宿屋にガソリンスタンドを付けた店を、夫婦でやっている。そこに客がやってきて、女とあやしい仲になる。『郵便配達……』を想起させるというより、同じと言ってしまえるようなシチュエーションですが、語り手が異なる。ガソリンスタンドには使用人がいて、その男が語り手なのです。三角関係の末に放火殺人に到る顛末を手際よく語って、しかも、夫が怯える猛獣を妻がまったく怖がっていない(ことにも夫は気づいていない)という、夫婦間の綾も巧いものです。にもかかわらず、どう見ても、この語り手は不必要な傍観者にしか見えません。
「牧歌」は、犯罪の顛末を抑制の効いた語り口で描いてみせますが、やはり一人称の語り手が、なんのためにいるのか分かりません。「おれが賭けた女」の語り手は、主人公の資格がありますが、中身は他愛ないアウトロー版ボーイ・ミーツ・ガールでした。「山火事」「殺した男」のような三人称の作品もあって、とくに「山火事」は消化活動のさなかに起きた事件という短い時間を描いて、ちょっと読ませますが、おそらく、これ以上に複雑な出来事を、このころのケインは、三人称で描くことが出来なかったのかもしれません。
 ケインは、人間の内面にしか興味がなく、その人間の内面を表わすものとして文体があり、描写というものには無関心であることを、「私の文章読本」で公言しています。そうした意識が、事件の連鎖と、それを語る語り方そのものが、運命に翻弄される主人公を描いていた『郵便配達……』を産み出したのでしょう。同時に、その小説観の狭さが、短編を習作の域に留めているように、私には思えます。

 ブレット・ハリデイは、EQMMコンテストのところで、第3回の第2席に入った「逃亡犯罪人引渡し法」を読みました。初期のハリデイには、メキシコを舞台にした土木技師を描いた作品群があり、それはハリデイの過去の経験を生かしたもので、質的にはマイク・シェーンものを上回ると、細君のヘレン・マクロイが指摘していました。
「数枚の銀貨」は、アメリカで教育を受けたメキシコ人が語り手を務めます。横柄なグリンゴのサーストンが、金にものを言わせて、現地に暮らすアメリカ人のシンプソンを使って、メキシコ人たちを荷運びに雇う。シンプソンはメキシコ人の妻を娶って、この地に住んでいるのでした。サーストンはメキシコ人を侮辱することも厭わず、金とピストルで彼らを沈黙させるのでした。目的地めざして、シンプソンの家に着いたところで、シンプソンの娘がサーストンの目にとまる。好色なサーストンの視線と、それになびきそうな娘に、にわかに危機感が漂います。シンプソンはすでに決まっていた娘と現地の部族の酋長の息子との婚約の儀を急がせますが、その席での情熱的な娘の踊りが、サーストンをさらに引きつけてしまう。
 語り手の喋る相手は、アメリカの保険会社の人間だと明かされていて、聞き手は、サーストンの生死の確認のために、事情を聞いているのです。サーストンは死んでいて、それは踊りの場での侮蔑的なふるまいのせいだったのですが、実は……という話。
 すぐ隣にある異国メキシコを舞台に、現地の人間が物語るという手法は、よほど土地鑑を持っていないと難しいものです。そして、そんな行き方を手の内にしたブレット・ハリデイの作品の中でも、もっとも評価が高いのが「死刑前夜」でしょう。『37の短篇』にも採られたこの作品を、私も傑作の名に恥じないと評価します。
「死刑前夜」の語り手は、アメリカ人の土木技師です。ある事件の死刑執行を明日に控えて、新聞記者に、その事件の内幕話を語って聞かせているのです。彼はメキシコに流れて来て、大陸横断鉄道の工事の監督の仕事にありつきます。前任者が病気にかかった代わりなのですが、間の悪いことに、助手だった男が女関係のいざこざから死んでしまい、メキシコ人ばかりの工事現場をひとりで仕切ることになる。てんてこまいのところに、ひとりのアメリカ人が職を求めてきます。経験者と知ると、サムとだけ名乗るその男を即決し、仕事をやらせてみると頼りになる。助かったと思ったその夜、ラジオからニュースが流れます。国境付近では名うての嫌われ者の技師が、口論の末殺され、その犯人が国境を越えてメキシコへ逃げたというのです。彼はすぐにラジオのスイッチを切ります。雨季が来るまでの5週間で、どうあっても仕事を終わらせなければならないのです。
 困難な仕事に立ち向かうために、とりあえず殺人事件には目を瞑る。サムが帯びていたショルダーホルスターの拳銃の使い方の巧みなこともあって、一編の見事な短編ミステリになっていました。『37の短篇』の巻末座談会によれば、この作品は、生島治郎の推薦で選ばれたようですが、小鷹信光は、ハードボイルドではなく人情噺だと指摘しています。生島治郎がハードボイルドとして推薦したかどうかは不明ですが、ミステリでしか描けない人情噺として、間然するところがないのは確かでしょう。先月読んだ、同時代のトマス・ウォルシュを思い出してください。犯罪をモチーフにした人情噺ないしは世話物のうち、構成の巧みなものや技巧的なものは、容易にミステリに接近する。あるいは、逆に、容易に大衆誌の読み物に接近する。「死刑前夜」は、その見事な前例となって、戦後のアメリカの短編ミステリのある方向性を予見していたのでした。

EQMMコンテストの受賞作リスト(最終更新:2014年11月5日)


小森収(こもり・おさむ)
1958年福岡県生まれ。大阪大学人間科学部卒業。編集者、評論家、小説家。著書に 『はじめて話すけど…』 『終の棲家は海に臨んで』『土曜日の子ども』『本の窓から』、編書に『ミステリよりおもしろいベスト・ミステリ論18』 『都筑道夫 ポケミス全解説』 等がある。


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