今回のインタビュー中――あるいは準備をしているときから――どうしても自分のSFについて考えてしまった。SFでは人物や物語と並行して、SFとして必要不可欠な〈ガジェット〉や〈理論〉を書く必要がある。村田さんのイラストと、状況は似ていると言えるだろう。人物と物語とガジェットが統一的に描かれていなくては――支離滅裂さが何らかの面白さや滑稽さに転じることはあるかもしれないけれど――SF作品が持つべき最小限の美にも届かないだろう。
 村田さんの作品の〈存在感〉と〈統一感〉は、村田さん自身が素材や工法からデザインして現実のバッグや椅子を作っていることから自然に立ち現れているものだ。翻って、ぼくはと言えば、作品内に登場するようなものを現実には何も作っていない。多くの人々に話をうかがい、本や論文は読んでいるけれど、これで十分であるはずはないだろう。
 無論、どんな芸術においても、描かれる対象の対応物が現実にある必要はないし、ましてそれを自分で準備する必要もまったくない。数学的に矛盾した図形だって、芸術作品内では描くことができる。SFを書くためにはSF作家であれば十分で、研究者や発明家である必要はない。
 SFに登場する〈ガジェット〉は、それぞれの実現可能性は違うものの、さしあたり執筆中には存在しないものばかりだ。〈タイムマシン〉も〈ロボット〉も〈サイバースペース〉も、書かれるまでは、存在どころか誰も想像すらしていなかった。
 グレッグ・イーガンの『万物理論』は、現実には発見されるかどうかもわからない万物理論の候補が三つも見つかるところから始まる。万物理論とはこの世のすべてを記述する、つまりは万物の過去も現在も、そして未来をも予言しうる〈究極〉の理論のことだ。もし万物理論が完成すれば、その理論を応用する研究は続くだろうが、世界の根源についての研究は終わる。〈究極〉とはそういう意味だ。
 実際の物理学者の世界でも万物理論があるかないかで意見は割れている。あったとしても人間に理解できるかどうかはわからないというのは、ぼくの恩師である須藤靖先生の意見だ。
 だからイーガン自身は万物理論を作ったことはないし、それに似た理論を作ったこともないのだ。万物理論に似た理論なんて、この世に存在しない。
 ただ、イーガンは作家になってからも、数学の共著論文を書いている。〈ループ量子重力理論〉における数学的な手法に関する論文は二つほどネット上で読むことができる(http://arxiv.org/find/gr-qc/1/au:+Egan_G/0/1/0/all/0/1)。
 アインシュタインの一般相対性理論によって、重力は時空の曲率で描かれることが示されて、重力理論は時空の理論となった。最新の重力理論の候補のひとつであるループ量子重力理論では、連続的で滑らかな時空という描像は否定される。空間には最小の単位があり、物体が移動できる最小の距離があるとして、飛び飛びの離散的な点とそれらを繋ぐ線で表現される、量子化された時空――スピンネットワークないしはスピンフォームが提案される。新しい時空では物体は点上にしか存在せず、線の繋がり方の違いによって様々な空間の幾何構造が表現できるというのだ。
 イーガンの二つの論文を完璧に理解したかと問われると不安なのだけれど、どうやらスピンネットワークのありうる繋がり方を――厳密に数えるのは大変なので――漸近的に数えていく方法について書かれているようだ。二本とも大学の数学者たちとの共著で、イーガンが一人で書いたわけではないものの、イーガンがかなり本格的に数学や物理学を研究しているのは疑いようもない。イーガンの近作『クロックワーク・ロケット』では波長が違うと光速度が違うという宇宙が描かれていて、これは彼の論文のテーマを思わせる。ループ量子重力理論では、離散的で不連続なスピンネットワーク内を光が伝わるとき、波長の短い光のほうが幾分早く進むと予言されている。ただ、我々の住む宇宙では――ループ量子重力理論が正しいとしても――この光速の変化はかなり小さく、今のところ肯定的な観測結果は出ていない。
 ぼくが知りたいのは、村田さんのデザインやイーガンの論文執筆がそれぞれ本人にとって――本人の創作にとって――どういう意味を持つのか、ということだ。ぼくはSFを書くにあたって、いったい何をどこまで深く理解しなければならないのだろうか。万物理論を構築する必要はないとしても。

 ところで村田さんの金属フェチはファンのあいだでは有名だ。村田さんは金属製のアクセサリーを多くデザインしているし、画集やカレンダーなどのグッズにも金属素材のパーツをしばしば取り入れていらっしゃる。
 どういうものをコレクションされているのかと尋ねたところ、
「金属製品も好きですが、単純に金属が好きなんですよ。たくさん持っていますね。板で。――そう、金属板で。ステンレスとか良いですね」
 長年のファンとして最低限のことは知っていたつもりだし、インタビュアーとして事前に調べもしたのだけれど、ぼくはまたしても驚かされてしまった。
 金属の板をただ持っているというのは、いくら椅子を作るといっても、少々やり過ぎというものだ。村田さんは文字通りの金属フェチなのだった。

02metal.jpg  実はうちにも金属板がある。うちの妻が大学で鍛金作品を研究していて、自らも制作していたからだ。鍛金というのは金属板を木槌や金槌で叩いて形を作っていく技法のことで、おそらく現時点で最も有名な鍛金作家は宮田亮平先生だろう。東京藝術大学の学長で、東京駅の新しい銀の鈴やイルカの作品を多く作っている。最近は二〇二〇年の東京オリンピックの新エンブレムの選考委員長として、よくテレビに登場する。
 さて、美術の研究では作品理解のために模造がよく行われる。妻もそれをしていたのだった。百年千年と経つと、多くの作品はどのように作ったのかを知る人もいなくなってしまう。模造をしていく過程で、これまで考えられていたような技法では無理があるといったことがわかったりもする。
 また、数学や物理学を専門的に学ぶときには、紙と鉛筆で数式を書き下して、自ら式変形をし、多くの演習問題をこなしていく。教科書や論文を読むことは基本にあるけれど、それだけでは十分に理解できないのだ。
 村田さんは無数のキャラクターを描き出し、椅子やバッグを実際に作る。金属そのものに――金属板に――触れていなければ、金属の質感も強度も、本当にはわからない。
 それでは世界を描写するためには、どこまで世界を理解しなければならないのだろうか。
 社会学者のヴェーバーの、押井守監督の映画『イノセンス』で引用もされた言葉を思い出す。――シーザーを理解するためにシーザーになる必要はない。
 とは言え、シーザーを理解したいのなら――ここまでイーガンの論文を援用する気はなかったが――シーザーに〈漸近〉する必要はあるだろう。時空の構造を記述するスピンネットワークの繋がり方を数えるとき、理想的にはすべての繋がり方を数えたいのだけれど、それでは時間がかかりすぎる。そこでイーガンの論文では、近似的に正解に〈漸近〉していくように主だったところから数えていくアルゴリズムが述べられている。
 ところが、あらゆる〈理解〉という現象につきものなのだろうが、理解していたはずのことが不意にできなくなることがある。〈漸近〉していたはずの真実が、ふと気づくと、はるか彼方にある。
「年単位のスランプはないですが、絵ごとに軽いスランプになることはありますね。頭のなかに自分が狙っている〈気持ちいい線〉があって、それに手が追いついていかない。描けるはずの、見えている線があるのに、頭のほうが一歩未来に行っているんですね。そういうときはすごく気持ち悪いです。結局、〈気持ちいい線〉が描けるまで足掻くしかないんですけど」
 これは決して、村田さんが自分の求める〈気持ちいい線〉を〈理解〉しきれていなかった、というような話ではない。
 むしろ〈理解〉は十二分になされていると言ってよい。理解が到達した地点が遠すぎるのだ。理解したものをすぐには〈現実化〉できないとき――「手が追いついていかない」とき――理解と現実のあいだの隙間に、スランプが生じる。
 だから、村田さんはスランプのことも正確に〈理解〉しているのだ。足掻くしかないと言い切れるのは、村田さんがずっと最前線で描いてきた証左に他ならない。
 イベント会場はまだまだ活況を呈していた。村田さんのサークルでは二点の同人誌とクリアファイルを扱っていたが、いつの間にか同人誌は売り切れていた。
 そもそもぼくはまだスランプと言えるほど書いていない。存在するかどうかもわからないものを書くためにはどうすればいいのかなんて考えていたけれど、ぼくはぼくなりに足掻くしかないのだ。飽きるほど書き、インタビューや取材をして、エッセイも論文も書いて、時には金属板を集めたり叩いたりして、これが〈気持ちいい線〉だと感じられるような〈新しいSFの言葉〉に〈漸近〉していく他ない。
 ――いつか世界に〈気持ちいい線〉を引くことができるまで。

(※次回は5月6日頃公開です。引き続き村田蓮爾さんに、〈気持ちいい線〉を引くための秘訣を伺います。あと、個人的な話で恐縮ですが、完全に村田さんに影響されまして、同人活動をすることにしました。5月1日の第二十二回文学フリマ東京です。ただいま絵本と短編集を準備しています。当日【エ-25】に高島雄哉+meta-aとして参加しておりますので、ご興味のある方はお気軽にお越しください。)

村田蓮爾(むらた・れんじ/イラストレーター)
1968年生まれ。1993年、格闘ゲーム『豪血寺一族』のキャラクターイラストを担当。1994年より『快楽天』『ウルトラジャンプ』等の雑誌でイラストを担当。1996年フリーランスに。同年、初の画集『LIKE A BALANCE LIFE』(ワニマガジン社)を発表。1999年に第34回造本・装幀コンクール展にて、企画および責任編集を行った『FLAT』が日本書籍出版協会理事長賞(コミック部門)を受賞。2003年第二画集『futurhythm』(ワニマガジン社)で再び同賞受賞。2006年には第37回星雲賞(アート部門)受賞。コミックマーケットなどのイベントで個人サークルPASTA'S ESTAB.より同人誌を発表するほか、バッグや時計などのデザインも。アニメ『青の6号』『LAST EXILE』『ラストエグザイル―銀翼のファム―』等のアニメやゲームでキャラクターデザインを担当。アメリカ、台湾、スイス、日本の各地で個展を開催する。2013年より京都精華大学マンガ学部(キャラクターデザインコース)教員。
著書は以上の他に『138°E』『少女自転車解放区』『form l code 村田蓮爾第三画集』(以上ワニマガジン社)、『ラストエグザイル―銀翼のファム―エアリアルログ』(エムディエヌコーポレーション)など多数。

(2016年4月5日)



■ 高島 雄哉(たかしま・ゆうや)
1977年山口県宇部市生まれ。徳山市(現・周南市)育ち。東京都杉並区在住。東京大学理学部物理学科卒、東京藝術大学美術学部芸術学科卒。2014年、「ランドスケープと夏の定理」で第5回創元SF短編賞を受賞(門田充宏「風牙」と同時受賞)。同作は〈ミステリーズ!〉vol.66に掲載され、短編1編のみの電子書籍としても販売されている。



ミステリ、SF、ファンタジー、ホラーの月刊Webマガジン|Webミステリーズ!