――パルタージュ partage とはフランス語で「分割」「共有」「分有」の意。
 小林秀雄は〈美しい「花」がある、「花」の美しさという様なものはない〉と書いたが、想像力というようなものはなく、あるのはただ、個々の想像だけだとも思う。
 それでもなお、想像力(を分有すること)をこの文章の目的に置いて、インタビューを含む取材を始めたい。予定しているインタビュイーはそれぞれの領域の最前線におられる方たちであり、そこはまさに想像と想像力の境界線なのだから。そしてこれまで同様、これからのSFの言葉もまた、その線の上に存在するに違いない。


『想像力のパルタージュ 新しいSFの言葉をさがして』
第10回 おみくじをひくまえに――古典文学研究の現場から【前編】

高島 雄哉 
yuya TAKASHIMA(写真=著者/カット=meta-a)

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 未来をあらかじめ知りたいのは、おそらく生物にとって原初からの欲求だろう。欲求というよりは願望かもしれない。時間的空間的な〈隔たり〉があるために見えないもの、つまりは〈未知〉を、何とかして見ようとすることが、生存戦略の根幹にある。知的機能の多くは、未知を〈予知〉するためにあると言ってもいいだろう。ぼくたちは〈隔たり〉の向こう側が見たいのだ。
 しかしすべてをあらかじめ見通すことはできそうもない。
 現代物理学の根幹をなす〈量子力学〉においては、物体の位置も運動量もその他の物理量も、ひとつの値として予測はできず、複数の値が〈確率〉として記述される。同じ条件であっても――誤差とはまったく違う意味で――測定される値はバラついて、それらの値になる〈確率〉だけしか予知できないのだ。そのバラつきかた、確率分布は極めて精緻に計算できるからこそ、コンピュータなどは正しく動くのだけれど、とはいえ〈偶然性〉はぼくたちにとって避けられない〈隔たり〉の一つであるようだ。
 偶然性を確率論によって理解し、あまつさえ乗り越えようとすることは古代から試みられてきた。籤(くじ)はその最たるものだ。代表や順番を決めるときに籤が使われるのは、〈人間〉の手に負えなくなった事態を〈自然〉に委ねようという、人類の知恵であるように思える。籤という〈偶然性〉によって決められた物事は、神を信じるかどうかといった人間的な理屈を超えて、〈必然性〉を有しているようにも感じられる。
 現在も、政治的あるいは経済的な場面で〈籤〉は使われている。内閣総理大臣や東京大学の総長などは、二名による決選投票で同票となった場合、籤によって決する(総理大臣は籤で決まったことはないが、東大では一九八九年に有馬理学部長が籤で総長に選ばれた)。プロ野球のドラフトで一人の選手に対して複数球団から指名があった場合や、入札式の競売で同額であった場合にも、籤は最終裁定の手段として用いられている。
 話し合いや市場の競争原理で決しなかったことを多数決や入札によって決めるわけだが、それでもなお決まらないときに、最終的な決定法として籤が用いられているのだ。これらは多くの人間の、つまりは共同体の〈意思決定〉がひどく難しいことを示しているのだろう。籤は偶然に必然を、感情に納得をもたらす。あるいは強引に〈隔たり〉を越境する。

 新年初めの今回でこのエッセイが第10回を迎えるにあたり、この偶然と必然のあいだの関係性を考察するために、そしてエッセイの展望を――文字通り――占うために、日本古典文学研究者で〈おみくじ〉中に書かれた和歌も研究している平野多恵(ひらの・たえ)先生にインタビューをお願いした。
 ぼくが暮らす荻窪の二つ隣、吉祥寺の駅から商店街をいくつか抜けながら十五分ほど歩くと、成蹊大学の欅(けやき)並木が見えてくる。住宅街のなかのキャンパスには、文学部や理工学部など四つの学部と五つの大学院がある。成蹊大学の成蹊は〈桃李不言下自成蹊――桃李(とうり)もの言わざれども、下(した)自(おの)ずから蹊(けい)を成す〉という『史記』の一節から取られている。蹊とは小道(こみち)のことで、つまり桃や李(すもも)のように魅力のある人物になれば、おのずと道ができるほど多くの人が集まってくるという意味だ。ゆえに校章は桃がモチーフで、ピーチくんというキャラクターも存在する。
 成蹊大学文学部日本文学科の平野多恵先生は、日本中世文学が専門で、特に鎌倉時代の僧侶〈明恵(みょうえ)〉について研究している。明恵(一一七三年~一二三二年)は、『鳥獣人物戯画』が伝わっていることでも有名な高山寺(こうざんじ)を開いた仏僧だ。多くの和歌を残しており、『明恵上人歌集(みょうえしょうにんかしゅう)』は国宝に指定されている
 有名なものとしては、

 あかあかや あかあかあかや あかあかや あかあかあかや あかあかや月

がある。明恵は運慶の嫡男である湛慶(たんけい)とも交流があり、高山寺には湛慶作と伝わる狛犬や神鹿(しんろく)の木彫が残っている。
 また平野先生は、おみくじの文化史と古典文学教育にも関心をお持ちで、複数の著作がある。

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 和歌とおみくじの関係性について、平野先生の論文や著作を読むまで気付かなかったのだけれど、確かに和歌は〈おみくじ〉に書かれている。現代日本において、最も身近な場所にある和歌だと言えるだろう。おみくじ中の和歌は、たとえば天満宮では――つまり菅原道真を祀る神社では――道真の詠んだ歌が選ばれていることが多い。また一説によると、日本のおみくじの六割ないし七割は有限会社の女子道社(じょしどうしゃ)のものらしいのだけれど、この女子道社は山口県周南市にある二所山田(にしょやまだ)神社が女性解放運動のために一九〇六年に設立した会社で、だからおみくじ中の和歌は二所山田神社の宮司が詠んだものだという。ぼくは周南市育ちなのだが寡聞にしてこの会社のことを知らなかった。
 そしておみくじに書かれた和歌であれば、学生たちも興味を持ちやすいだろうと考えたのが、平野先生がおみくじの研究を始めるきっかけだった。
 そもそも占いには三種類、〈相(そう)〉と〈名(めい)〉と〈卜(ぼく)〉があるという。〈相〉は手相や人相など、現れている形状から状況や運勢を読み取る。〈命〉は占星術などで、一生の運命や宿命を生年月日などから占う。そして〈卜〉は偶然に選んだものから象徴的な意味を解釈して、将来の変化を読み取っていく。おみくじや易(えき)やタロットなどは〈卜〉に含まれる。
 フィリップ・K・ディック『高い城の男』は、第二次世界大戦で枢軸国側が連合国側に勝利した世界を描く、歴史改変SFだ。その改変された世界で、主人公たちはたびたび易によって未来を占う。しかも訳者の浅倉久志さんによる「あとがき」によれば、ディックはこの作品を書き進めながら、易を立てる登場人物に成り代わって、自ら易を立てており、もしそのとき別の占い結果が出ていたら、登場人物の行動を変えたという。それも終盤のかなり大切な行動を。  作中には、ぼくたち読者側の世界と似た世界を描いた小説内小説も登場する。それを登場人物たちは歴史改変SFとして読んでいる。歴史改変SFが二重の入れ子になっているわけだ。『高い城の男』のなかに〈パラレルワールド〉が出てくるわけではないので、これは狭義のパラレルワールドSFではないけれど、読者には自分の現実と小説と小説内小説という、三つの〈パラレルワールド〉が重なり合っているように感じられる。ちなみに三は易にとって重要な数字だ。
 小説でも現実でも、人間が何かを決断して行動するたびに、ありうる〈パラレルワールド〉の中から、たった一つの世界が選ばれていく。『高い城の男』における易は、改変された世界であることを強調するための単なる飾りではない。ここで易は世界の〈偶然性〉の象徴であり、さらには〈偶然性〉を乗り越えようとする人間の必死な試みの暗喩でもあるのだ。未来を見通せないぼくたちにとって、〈偶然性〉は明らかな〈隔たり〉であり、これを超えるためには〈確率〉的な賭けをせざるを得ない。そしてその賭けを――偶然の遊びを超えた――真摯なものにするためには、〈隔たり〉の際ぎりぎりまで、必然的な生を積み重ねていなければならない。
 四書五経のひとつである『易経』は全編、この易という占いについて書かれたものだ。易という漢字は蜥蜴(とかげ)の象形文字だという説があり、つまり易は〈変化〉を意味しているという。易経は英語でThe Book of Changes(変化の書)と訳されることもある。
 易は占筮(せんぜい)とも呼ばれ、筮竹(ぜいちく)という五十本の長細い竹を用いて占う。易者が何をしているかというと、あれは左右の竹の本数を数えて、そこから算出される数から八つのシンボル、八卦(はっか)――乾(けん)・兌(だ)・離(り)・震(しん)・巽(そん)・坎(かん)・艮(ごん)・坤(こん)――を決めているのだ。「当たるも八卦(はっけ)、当たらぬも八卦」の八卦だ。
 これら八卦は爻(こう)という二種類の記号、「? ?」か「―」を三つ重ねたもので示される。「? ?」は陰爻(いんこう)、「―」は陽爻(ようこう)といい、その名の通り、それぞれが陰と陽を表す。陰か陽を三つ重ねて、2×2×2=8でちょうど八通りの卦というわけだ。三つともが陽爻なら、漢数字の三に似た表記となって、八卦のひとつ「乾」を示す。三つとも陰なら「坤」だ。
 易では八卦をふたつ上下に重ねて、8×8=64通りの六十四卦(ろくじゅうしか)にして、全体の運勢を占う。記号としては陰爻か陽爻が六つ重なっているわけだ。たとえば下が「乾」で上が「坤」だと、六十四卦のひとつ「泰」となる。天下泰平の「泰」であり、荻窪でも見かける易者も看板に使っている、安定した幸運を意味する卦だ。
 六十四種の卦を陰陽二種類の爻で表現するのは〈二進法〉の考え方に他ならない。二種類の爻のいずれかを六つ重ねるから、2×2×2×2×2×2=64通りとなるわけだ。十進法は0から9までの十種類の数字を使うが、二進法では0と1の二種類を使って、いずれにしろどんな数でも表現できる。この二進法を確立したのは、十七世紀に活躍した数学者で哲学者のゴットフリート・ライプニッツだが、彼は中国思想に傾倒していて、宣教師から易のことを聞いて感動したという逸話もある。

(2016年1月7日)



■ 高島 雄哉(たかしま・ゆうや)
1977年山口県宇部市生まれ。徳山市(現・周南市)育ち。東京都杉並区在住。東京大学理学部物理学科卒、東京藝術大学美術学部芸術学科卒。2014年、「ランドスケープと夏の定理」で第5回創元SF短編賞を受賞(門田充宏「風牙」と同時受賞)。同作は〈ミステリーズ!〉vol.66に掲載され、短編1編のみの電子書籍としても販売されている。





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