ぼくと小池くんは駒場寮で演劇をしたり、小説を合作したりしていた。駒場は下北沢も近く、ぼくたちは様々な演劇を見て、自分たちでもやってみたくなったのだった。ベケットの『ゴドーを待ちながら』のような、二人の対話形式の不条理劇だったように思う。拙いながらもぼくたちのオリジナル戯曲だ。駒場寮では七月と十一月に寮祭をやっていて、そのどちらかで上演したのだけれど、他の寮生たちも寮前に作ったステージでカラオケ大会をしたり――歌うのは寮生以外のほうが多かったと思う――あるいはその隣で〈造反有理〉をもじった炒飯有理という屋台を運営したりと忙しく、我らが劇の観客は寮生三人だけだった。
 普段は何かにつけて弁舌を振るう寮生たちだったが、劇が終わると――終わりもぼくたち自身が「終わりです」と告げたように覚えているけれど――客の三人はきょとんとして互いに顔を見合わせながらも拍手をしてくれた。寮は互いに無遠慮になんでも批判し合う場だったが、同時に、真剣にやっていることを否定するようなことはなかったように思う。そのときの観客の一人に先日会う機会があって演劇のことを聞いてみたら、うれしいことに「行った行った」と覚えてくれていた。話しているうちに「二人で話し続ける劇だったよね。なんだかわからなかったけど」ということまで思い出してくれた。
 駒場寮では各部屋にサークル名があって、ぼくと小池くんは〈ぶ「て」〉という名前で登録した。手話を研究するサークルなのだが、どうして手話にしたのかはすっかり忘れてしまった。手話が非常に重要な言語であることに、当時のぼくたちは何となく気づいていたのだろうか。
 サークル名は、手話部だから部「手」で、それを平仮名表記にしたものに決めた。右の頬をぶたれたら左の頬も差し出しなさいというキリスト教の言葉から「ぶつなら、ぶて」という意味もかかっている。
 このサークル名というのは、一九六〇年代くらいまではきちんとその部屋の実体を示していて、たとえば物理研究会という部屋では朝から当時出たばかりの高木貞治の『解析概論』を読んでいたと聞いたことがあるけれど、ぼくたちがいた一九九〇年代末期にはほとんどは有名無実化していて、ぼくたち〈ぶ「て」〉も主な活動は演劇で、その演劇に手話を取り入れることもなく、半額ずつ出し合って買った手話の教科書を使って何度か練習したことがあるだけだった。覚えている手話は、左手で作ったコップのなかを右手のスプーンでかき混ぜる仕草をして、それから何かを置くように右手を下げる、というものだ。この一連の動作で「喫茶店」を表す。
 合作小説のほうは寮がなくなってからも書き続けた。初めに方針を決めて、あとはそれぞれ書きたい場面を手分けして書いていった。本郷に進学していたぼくは湯島のアパートに、駒場に進学した小池くんは都内の寺に住んでいたのだが、ぼくの部屋は狭くて、主に彼の部屋に隔週で集まって話し合い、昼食や夕食を作りながら書いていった。
 どういう小説かと言うと、主人公は自らの利己性を忌避して、真の自暴自棄を目指すのだけれど、何をしても回り回って利己的行動になってしまい、それはこの世界の構造が論理的だからであって、利や理からは逃れるためには世界の外に出なければならない――というものだったと思う。哲学や仏教を志向する小池くんと、物理や数学を志向するぼくが、あのころ考えていたことが詰め込まれていた。劇よりも鮮明に覚えているのは、長い時間をかけたからだろう。主人公は高校生だったはずだが、仏教的な思想の持ち主だし、物語はほとんどSFのようだ。あの頃から遠く離れて、それでもぼくたちはあまり変わっていないのかもしれない。
 書き始めて半年か一年か、どうにか新人賞の〆切当日に完成して、寺の彼の部屋で印刷して郵便局の深夜窓口に持って行った。消印有効だったからだ。その後、一緒に雑誌で発表を確認して、一次も突破できなくて二人で落胆したことは今では良い思い出――としたいところだが今でも悔しく思っていたりするのだった。ともあれ、戯曲や小説を彼と書いたことが、ぼくがこうして文章を書いているきっかけの一つなのは間違いない。
 小池くんにとってもそうなのだと思うけれど、いま彼は創作的な執筆活動はしていないという。〈想像〉をせず、〈今、ここ、ひと呼吸〉に留まろうとする仏教徒として、〈想像力〉を駆使するような創作はしないということなのかと尋ねてみた。
「うん。そうですね。創作は概念操作なので」
 どのように広義に考えても、あるいはどのような美学理論を用いたとしても、創作が想像力に関わる行為であることは否めない。創作とは、想像力によって事物を――小説であれば言葉を、演劇であれば身振りを、絵画であれば色彩を――〈概念〉と見なし、そのものから離れて操作することに他ならないからだ。どんな抽象彫刻も、真に物体の塊として見られるとしたら、それはもはや彫刻ではなくなる。事物ではない作品として見られるように概念操作をすることが、創作の根幹にある。
 小池くんは今、創作をしないのみならず、鑑賞もほとんどしていないという。ただ、寮時代に彼が好きだった中崎タツヤの漫画『じみへん』が終わったことも知らないかと思って話してみると、彼は「実は」と照れくさそうに笑いながら最終回だけは雑誌を買って読んだと応えた。

koike1.jpg  取材のことを訊かれて、彼が興味を持ちそうな三宅さんの〈世界を感じる身体を持った知能〉のことを話してみると、思ったとおり駒場寮でよくやった哲学の議論になった。まったく、十年一日のごとしだ。
 世界を単なる〈概念〉の塊として捉えるのではなく、身体によって手探りで理解しようとするAIの基本的アイデアは、三宅さんがフッサールの〈現象学〉をヒントに考えついたものだ。概念は世界を表現するものである以上、世界そのものとは乖離してしまっている。概念を処理するだけの知能は、世界を感じる身体がないため自意識もない、単なる機能だ。三宅さんの考える、身体によって世界を探る〈丸ごとのAI〉は、世界を概念の塊として見ず、自己と世界の関係性を探っていくという点で、小池くんの〈今、ここ、ひと呼吸〉にも通じるものがある。〈丸ごとのAI〉も〈仏教〉も、概念によって世界を単純化して把握することを拒否し、自らを内包する世界そのものを看取しようとするのだ。
 ただし、と小池くんは続ける。概念処理のみを行う現状の人工知能にしろ、身体や自意識を持つ――まだ見ぬ本当の意味での――人工知能にしろ、そして人間の自意識にしろ、仏教的にはすべて〈機能〉と考えるのだという。〈数える〉ことも〈計算する〉ことも〈顔を認識する〉ことも、そして〈自らや世界を意識する〉ことも、すべては平等に機能なのだ。
 機能という話から、カント哲学の話になった。小池くんの専攻はドイツ哲学で、物理専攻のぼくも興味があって、寮にいた当時よく話したものだ。
 ドイツの哲学者イマヌエル・カントは一七八八年の『実践理性批判』において、倫理的な法則をひとが自らに課す道徳上の命令すなわち命法と考え、「AならばBせよ」という条件付きの形式の命令を〈仮言命法〉、「Aならば」のような条件のない命令を〈定言命法〉とし、後者の〈定言命法〉こそが道徳法則なのだとした。条件が満たされるための行動には、必ず利己的な目的意識が含まれているからだ。条件や目的によって行動が変わることは自然なことではあるが、それは道徳ではないし、人間的な自由でもないとカントは考えたのだ。
 状況に応じて合理的に行動を導き出すことは――その状況を理解することが今のロボットやAIには難しいのだが――〈機能〉に過ぎない。カントの議論では〈自由意志〉だけは〈機能〉ではないと前提されているようだが、仏教的には〈自由意志〉も〈機能〉の一つと考えるのだ。自由意志についても、仏教と現代科学はかなり近い理解の仕方をしていると言っていいだろう。
 仏教には〈五蘊(ごうん)〉という考えがあるという。人間の〈意識〉は五つの〈蘊〉から構成されているとして、色蘊(しきうん)は肉体やそれを拡張した物質全体、受蘊(じゅうん)は感情や感覚を受け取る作用、想蘊(そううん)は概念に関わる作用、行蘊(ぎょううん)は意志の作用、そして識蘊(しきうん)は認識の作用をいう。そして〈意識〉は所詮この五つの作用から成る一つの〈機能〉に過ぎないし、〈諸行無常の事実〉から逃れることはできない。
 すべてのものを〈空〉に帰す仏教から見れば、電卓も人工知能も人間も〈機能〉であって、それらのあいだに大した差はないということなのだろう。科学的あるいはSF的にはその差こそが重要なのだけれど、しかし仏教的に考えれば、その差は人間が――現にある差を認識しているというよりは――概念的に〈想像〉しているものであり、つまりは〈空〉そのものなのだ。
 こうしてみると、仏教とSFは、〈諸行無常の事実〉を共有しながらも、〈想像〉することに関する態度は丸っきり正反対のものであるように思える。
 十年近く積もりに積もった話はいつまでも終わりそうになかった。いつもは留守番電話にしているという固定電話から小池くんは電話をかけてくれていて、携帯電話は持っていないし、インターネット環境もないという。〈概念〉あるいは〈俗世〉から距離を取るためだろう(だからこの連載も、印刷して送らないと彼は見ることはない)。
 その場で次に会う日時を決めても良かったのだけれど、ぼくたちはのんびりと旧交を温めていこうと、手紙でやりとりすることにして、電話を置いた。想像をしない仏教と、想像をするSFで想像力を分かち合うこと(パルタージュ)ができるのだろうか。かつて延々と話し込んだ小池くんとなら、分かり合うことくらいはできるだろう。でもぼくは何よりも、旧友と会話することが楽しみだった。

zazen1.jpg (次回は小池くんとの久しぶりの対話です。想像しない仏教、〈結び目〉としての煩悩あるいは世界について、話してきます)

小池龍之介(こいけ・りゅうのすけ/僧侶(僧名は龍照))
1978年生まれ。山口県出身。東京大学教養学部卒。月読寺(神奈川県鎌倉市)住職、正現寺(山口県山口市)住職、ウェブサイト「家出空間」主宰。住職としての仕事と自身の修行のかたわら、一般向け坐禅指導もおこなう。著作『考えない練習』(小学館)、『もう、怒らない』(幻冬舎)、『超訳 ブッダの言葉』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)など。

(2015年10月5日)



■ 高島 雄哉(たかしま・ゆうや)
1977年山口県宇部市生まれ。徳山市(現・周南市)育ち。東京都杉並区在住。東京大学理学部物理学科卒、東京藝術大学美術学部芸術学科卒。2014年、「ランドスケープと夏の定理」で第5回創元SF短編賞を受賞(門田充宏「風牙」と同時受賞)。同作は〈ミステリーズ!〉vol.66に掲載され、短編1編のみの電子書籍としても販売されている。



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