『13のショック』には漏れたものの、同時期に書かれた秀作に「2万フィートの悪夢」があります。飛行機の乗客であるひとりの男が、窓外に見える翼の上に奇怪な毛むくじゃらの小人を見つける。驚いてスチュワーデスを呼ぶものの、そうすると、小人は消えてしまう。やがて、主人公にしか姿を見せない小人が、エンジンにいたずらを始め、部品を剥がしてしまいます(スチュワーデスが来ると、剥がした部品を元に戻してあるというのが、いい)。幻覚ならば、自分がおかしくなってしまったのだし、実際に小人が存在するなら、墜落の危機が目前です。呼ばれてやって来たパイロットが、表立っては主人公を否定しないところなど、逆にリアリティがあります。小説は、機外の怪物が実在するのか、主人公の頭の中の産物なのか、判然としないまま終わります。
 この作品は、ミステリーゾーンでドラマ化され、80年代のリメイク版でも再映画化されたようです。ドラマ化されたマシスンの代表作と言ってもいいでしょう。このあたりで、短編作家マシスンは最盛期を迎えたわけです。ヨーロッパに伝統を持ちながらも、そのイミテーションに終わるところだった怪奇小説やミステリ、海のものとも山のものともつかなかったSFといったジャンルの作家の中から、パルプマガジンからダイジェストサイズの雑誌を経て、それらで培った発想を、アメリカの現実生活のただなかで起きるショックとして活かすことで、ユニークな作品群を産み出す人々が登場し、リチャード・マシスンは、その典型でした。
 こうした行き方が、怪奇小説がモダンホラーへと進んでいったのに、似ていることにお気づきでしょうか? 日常生活のすぐ隣に、ぽっかり大きな暗黒の穴が口を開けている。そんな恐怖の多くは、すぐ隣にいる他人がもたらしたものでした。
 60年代に入って「声なき叫び」「機械仕掛けの神」「一杯の水」といった作品は、アイデアそのものが先行した作品です。「声なき叫び」はアイデアを深化させる方向に、小説を仕組めていなくて、テレパシーでのコミュニケイションを訓練された、言葉を恐れる少年という発想を、説明的にしか描けていないのが、弱いところでしょう。「機械仕掛けの神」は、ある日突然、自分が機械であることに気づいた男の話です。この話が、いま読むと、単純なアイデアストーリイにしか見えないのは、フィリップ・K・ディックや神林長平をすでに読んでいるからかもしれません。アイデア先行といえば、「ショック・ウェーヴ」もそうでしょうが、こちらはパイプオルガンの暴走をじっくり描いて、その分、小説として厚みのあるものになっていました。
「針」「死が二人を」のふたつのショートショートは、ともにEQMMが初出で邦訳初出もミステリマガジンですが、同一モチーフ(もう一編「予約客のみ」というショートショートもありました)をもとに、ふたつのアイデアストーリイを書いてみせたものでした。
 しかし、マシスンは、これらのアイデアストーリイと斬って捨ててしまえるようなものばかりを書いていたのではありません。そうではない作品、あるいは、アイデアストーリイとして発想されたにもかかわらず、その枠に収まらないような短編をいくつも書いています。

 すでに62年の「指文字」という作品が、凡手ではありません。
 深夜の長距離(らしい)バスの中で、主人公の男は、一方が手話で連れにさかんに語りかけている、女のふたり組を見つけます。話しかけられている女は、いささか迷惑そうでもある。手話なので、話している内容はわからないものの、盛んに語りかけているのだけは分かるのです。男がふたりに気づいていることを、女たちも気づいたらしく、突然、手話の女が、男の隙をつくようにして、座席を入れ替わってしまう。男は仕方なく、窓際のいままで話しかけられていた女の身の上話を聞くはめになります。見てのとおり、彼女は、饒舌な手話にげんなりしていたのでした。手話で一方的に語りかける女と、それを聞き続ける女。少々奇妙で珍しい状況ではあっても、それなりにありうると思わせる事態が、あれよあれよという間に、男を巻き込んだ異様な展開を見せる。異色の一編と言えますが、ここには、聾唖の女とその連れという、一見平和そうな関係がはらんでいた緊張を、主人公の男が媒介となることで、浮かび上がらせたのでした。
「おれの夢の女」は、予知夢を見ることの出来る妻を使って、体のいい恐喝を企む男の話です。来るはずの災厄を事前に教えるかわりに、金を払えというのです。SF的な発想のクライムストーリイですが、妻への愛情がかけらもなく、ドメスティックヴァイオレンス(という言葉はまだなかったでしょうが)さえ匂わせる、ふたりの関係が効いていました。
「運命のボタン」は、「リアル・スティール」同様、21世紀に入って映画化されたことで、有名になりました。不思議なセールスマンがやって来て、危険な(だが割のいい)勧誘をする。ドロシイ・セイヤーズの「豹の女」やスタンリイ・エリンの「ブレッシントン計画」といった類似作が思い浮かびますが、マシスンの着想は、最後の一行に尽きます。ここが書きたかった(ここを思いついた)から書いたのでしょうし、ここがなければ平凡な作品でしょう。にもかかわらず、卓抜なサゲ、意外なオチといった、安易な評価を「運命のボタン」が拒否できるのは、それ以前の部分で、金があることの価値と実利を、ヒロインが反芻するディテイルにおいて、常にそれに対立する形で彼女の夫が描かれていたからです。小説としての綾が見事につけられ、仕組まれているのです。
「サンタクロースをたずねて」は、買い物に来た親子連れのスケッチが描かれるうちに、父親の挙動におかしなものが見えてきます。ショッピングモールの中にいるサンタクロースのところへ、男の子は行きたかったらしいのですが、駐車場に帰ってきて、自分たちの車に着いたところで、父親が、やっぱりサンタクロースに会いに行こうと息子を誘います。買い物の途中で、母親がいくら言っても聞き入れなかったのに。母親を押し切って、父と子は、サンタクロースをたずねて行きます。買い物というもっとも日常的な行為のただ中で、上手に読者の心に疑惑の種子をまいていく。どうにも落ち着かない、父親の挙動を描くうちに、彼が殺し屋を雇って、車に残した妻を亡き者にしようとしているらしいと分かります。父親の逡巡しているような落ち着かないところが巧みに描かれていて、サゲはそこだけを取り出せば、日本のコミカルなクライムストーリイとして評価の定まった、ある短編(秀れた短編です)に先例がありますが、この父親を描いた話には、ぴったりした結末でした。
「運命のボタン」「リアル・スティール」は映画化の恩恵を受けていますが、発表からさして時間をおかずに、若き日のスティーヴン・スピルバーグがテレビムーヴィ化したことで有名になったのが「激突!」です。誰もいないハイウェイで巨大トレイラーに襲われるという、アイデア一発で書かれた、これぞアイデアストーリイという、あふれるようなサスペンスに終始した中編でした。ただし、この作品には、より素晴らしい先行作品があります。
 プレイボーイの1969年4月号に発表された「生贄」「えじき」「狙われた獣」)は、『13のショック』で頂点を極めたのちの、リチャード・マシスンの代表作でしょう。主人公の女性は母親の干渉をうるさく感じ、家を出て、恋人と会う(ことを母親は嫌っているらしい)時間をやりくりしている。母親との電話のやりとりで、その状況と、そこから逃れるために何度も嘘をついていることが分かる(誕生日ってやつは年に何回ある? と彼氏に言われるのです)ようになっています。その誕生日のプレゼントに、ズールー族の守護神という槍を持った小さな人形(「殺す者」と呼ばれている)を、彼女は持っています。その人形が、突然、彼女の部屋で、彼女に襲いかかるのです。足に痛みを感じるので、見てみると、斬られたあとがあり血が流れている。こうして、小さな人形相手の戦いが始まります。恋人との関係を親に認められないといった日常的な電話をしていた部屋が、突然、戦場になってしまう。そのショックと小さな人形との殺し合いは、読者に手に汗握らせるに充分です。そして、傷を負いながらも人形を倒す(その凄惨な倒し方も見事です)プロセスに圧倒されながら、読者は、しかし、前半の家族の話はなんだったのだろうと疑問を覚えるかもしれません。その意味が分かる結末の衝撃が、この作品を後期マシスンの一番の傑作にしました。日常のただなかにいる主人公を襲う、非日常的なショックは、ついに、もとの日常へ主人公を戻すことを許さなかったのです。
 不条理な戦いに巻き込まれた果てに、「激突!」の主人公は「原始人の勝利の雄たけび」をあげましたが、「生贄」のヒロインが行き着いたのは、より陰惨な結末でした。この「生贄」は、短編ミステリの黄金時代と呼ぶにふさわしい1960年代の作品群の中にあっても、その独自の存在を主張できるような、素晴らしいクライムストーリイになっていました。

EQMMコンテストの受賞作リスト(最終更新:2014年11月5日)


小森収(こもり・おさむ)
1958年福岡県生まれ。大阪大学人間科学部卒業。編集者、評論家、小説家。著書に 『はじめて話すけど…』 『終の棲家は海に臨んで』『土曜日の子ども』『本の窓から』、編書に『ミステリよりおもしろいベスト・ミステリ論18』 『都筑道夫 ポケミス全解説』 等がある。


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