リチャード・マシスンの第一短編集『モンスター誕生』は、1954年に出ました。邦訳が出たのは85年。数編が省かれていますが、それらは、それより早く日本で出た短編集やアンソロジーで読めるものだったので、実質的には完訳されたと言えます。
「モンスター誕生」――原題を直訳すると「男と女から産まれたもの」――は、ママから〈ばけもの〉と呼ばれている男の子の日記という体裁です。ショートショートといってよい長さのもので、怪物の子どもが、無邪気な子ども――でもあるわけです――のように日記を書いたら……という着想で、そして、その着想だけの作品でした。アイデアがむき出しと言えば、それまでです。アイデアストーリイとはこうしたものでしょう。アイデアストーリイはオチがすべてという考えは、やや正確さを欠くというのが分かるのは、こうした作品を読んだときです。この作品も、最後の一行は、オチの名に恥じないものがありますが、そこにアイデアが収斂するわけではありません。
 こういう無邪気な一人称で、邪気を描くというのは、もはや、ひとつのクリシェになっていますし、本当に無邪気な文章なのか――無邪気を装った手つきが透けて見えないか?――という批判的視点から読まれるくらいには、読者側にも慣れられているでしょう。そもそも、マシスン自身が、何度も、同じ発想で短編を書いているのです。「白絹のドレス」は、「モンスター誕生」の女の子版というだけの話でした。「魔女の戦争」は、アニメを中心に掃いて捨てるほどある美女戦闘集団――今だと艦これですか?――のはしりで、一人称でこそないものの、内面描写と会話で、彼女たちの無邪気な可愛さを描きつつ、テレパシーで敵を殺戮する様を描くのです。「退屈すぎる日記」は、現状に不満だらけのティーンエイジャーの日記という体裁ですが、いつの世でもそうだという、おそらくは単純な真理(なんでしょうね。きっと)を小説に仕組んでみましたというものです。
 これら、ある種、いまとなっては手垢にまみれたような作品群に、マシスンは、なぜ、ここまでこだわったのか? ブラッドベリのところで指摘しましたが、ブラッドベリの持ち込んだ発想のひとつに、未来や宇宙にあっても、人の日常は存在するというものがありました。それが、最も小説の前面に出てきたのが「荒野」です。その発想に基づいてSFやファンタジーを書けば、やがては上のようなクリシェが出来るのは、当然のことでしょう。そして、それは、豊かな中産階級という、40年代以降のアメリカが生み出した小説の読者の感覚にも訴えるものだったにちがいありません。ブラッドベリの持ち込んだ発想を水割りし、何度もくり返し使えるパターンにする。マシスンが商業作家としての腕前を最初に見せたのが、このパターンだったのです。
 したがって、逆に、いまの眼で見て面白いのは、そこからはずれた作品ということになります。「ゴルゴダへの旅」はタイムトラベルもので、題名からも分かるとおり、キリスト処刑の場へ主人公がタイムトラベルします。タイムトラベルものの常識として、そこがポイントとなる、歴史改変で与える影響の大きさとしては、いかにも充分ですが、その一歩手前でひねってみせるのがさすがです。ひねり方もシブくてよろしい。シブいと言えば「旅芝居の火星人」は、マシスンらしからぬ一編ですが、この短編集随一の秀作と言えるでしょう。ボーモントならともかく、マシスンが書くかね、というのが、今回初めて読んだ私の第一印象です。作品から受ける面白さはSFらしからぬものですが、SFでなければ書けない寓話でした。同じ感覚は「夕食には帰るよ」にもあって、愛する者が引き裂かれる悲しみをストレイトに歌い上げた(というのも、まさかマシスンが、です)愚直な佳作ですが、これも、やはり、SFでなければ書けないでしょう。
 こう見てくると、マシスンの第一短編集はSFを集めたもののように見えます。ただ、これにはひとつ罠があって、『モンスター誕生』が訳出される10年以上前に、小鷹信光編で出た『激突!』に収録された3編が、比較的SF色が薄いものなのです。たとえば「狂った部屋」は作家として行き詰まった男が、自身の鬱屈を憎悪という形でまき散らします。妻や食い扶持稼ぎに教えている大学の学生に。自身の憎悪――それはしばしば自分にも向けられます――が積もりに積もって……という話で、前半のゆったり(し過ぎな気がしますが)した展開の部分はSFを読んでいる気がしません。しかも、途中で出てくる心理学者によるSF的な説明は、小鷹信光の指摘のとおり、不要でしょう。一方で、『モンスター誕生』の最後に収められた「わが家は宇宙船」は、妙に家賃の安いアパートに住む夫婦のうちの妻が、管理人の挙動が怪しいと言い出します。奇妙なエンジン音が聞こえ、不気味な地下室が見つかり、管理人には後頭部に目があるらしい。恐ろしさやショックを与えて不思議でない話が、どこかバカバカしいユーモアに彩られているのは、狙い(結末には笑い出す人もいるでしょう)もさることながら、そもそも、これがSFの約束事の上に書かれたものだからではないでしょうか。
「狂った部屋」「わが家は宇宙船」を読んでいると、作家として成長し、新たな展開を迎えるためには、マシスンがSFを離れていくのは必然のように思えるのです。

EQMMコンテストの受賞作リスト(最終更新:2014年11月5日)


小森収(こもり・おさむ)
1958年福岡県生まれ。大阪大学人間科学部卒業。編集者、評論家、小説家。著書に 『はじめて話すけど…』 『終の棲家は海に臨んで』『土曜日の子ども』、編書に『ミステリよりおもしろいベスト・ミステリ論18』 『都筑道夫 ポケミス全解説』等がある。


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