30年代のブロックの小説をいくつか眺めてみましょう。
「かぶと虫」は、エジプト帰りの考古学者が、友人たちを避け、人が変わったようになっていて、彼にかけられたスカラベの呪いとは……という小説ですが、どう見てもイギリス人の話でした。「牧神の護符」は、タールキストというギリシア出身のイギリスの学者が、オックスフォードの調査団の一員となって、ギリシアに舞い戻り、怪異を経験します。「蝋人形館」は、おそらくパリにいるのであろう売れない詩人が、ふと足を踏み入れた蝋人形館で、いわくつきのサロメの人形と出会います。「冥府の守護神」は、アーカムハウスから出た短編集の表題作ですが、ともにエジプト学者であるイギリス人の親子が、古代の秘法を自らのものにするための、魔像の見張る地下道を開きます。ほかにも、ハリウッドの映画界を舞台にした「安息に戻る」も、怪奇の源泉は、ヨーロッパから呼び寄せたひとりの男でした。
 こうした作品は、たとえば、J・D・カーが、好んでヨーロッパを舞台にしたのとは、いささか性質が異なるように思います。カーには、19世紀から20世紀にかけての英仏を中心とするロマンティックな小説を愛好するあまり、自ら骨がらみヨーロピアンになろうとするような、過剰さがありました。しかし、ブロックにはそういう極端なところは、あまり感じられない。あくまで、お手本を模した習作の域を出ません。したがって、これらの作品も、ヨーロッパが舞台であることが、作品を生かしているわけではありません。ロバート・ブロックには未訳作品が多数あり、翻訳作品だけから、特徴を推測するのは、慎重でなければなりませんが、それでも、こうした傾向は、戦前戦中を通じて、そう変化していないように思います。
 さらに、もうひとつ、ファンあがりのブッキッシュな作家らしい特徴があります。それは、実在するか架空であるかを問わず、先行する歴史上の怪奇や犯罪をモチーフにすることです。それも、単に素材として用いるだけではなく、あるパターンをもって作品に取り入れるのです。
 ロバート・ブロックが切り裂きジャックに関心を持っていることは知られていますが、その嗜好を最初に生かしたのが「切り裂きジャックはあなたの友」です。43年の作品。切り裂きジャック追跡に生涯を費やしたイギリスの貴族ガイ・ホリス卿が、シカゴの精神科医(となっていますが、精神分析医かもしれません)ジョン・カーモディを訪れる。ガイ卿は独自の調査の結果、とんでもない結論を抱いていました。ジャックの一連の犯行は、占星術をもとに、生贄を捧げるための殺人で、ロンドンでの殺戮ののち、世界中で惨劇をくり返しながら、それによって永遠の若さを得ている――つまり、いまも生き続けている――というのです。最初の犯行から、すでに半世紀が経過しています。ガイ卿は、ジャックは現在シカゴにいて、平然と暮らしていると考えているのです。ジャックの正体をあばくため、ガイ卿は、ジャックの性格からして、現われそうな集まりに、案内を求めます。作品そのものは、都合のいい偶然や説得力に欠ける部分が多く、あまりいただけませんが、未解決事件の歴史上の凶悪犯が、いまも生きていたらという、空想好きなら最初に一度は考えるであろうことを、実際に書いてみたらこうなるという話です。
 こうしたパターンを、この時期のブロックは好んでいたようです。切り裂きジャックは、実際に生きていたという話でしたが、その他にも、憑依したり、同じパターンの犯罪を重ねあわせたりと、その存在を甦らせる手管は様々です。しかし、実在であれ架空であれ、ブロックが魅力を感じたであろう奇怪な先達を用いて遊んでいるところは、現代の日本の同人誌を連想させないでもありません。
「マント」では、怪しげな舞台衣装店で入手したマントを身にまとった主人公は、どうやら、その瞬間、吸血鬼になってしまうようでした。「斧を握ったリジー・ボーデンは……」の主人公は、駆け落ちしそこなった恋人に呼び出されますが、そこにはふたりの間の障害となった、彼女の叔父の死体があり、状況はかつてのリジー・ボーデンの事件を連想させました。おまけに、主人公は恋人にとり憑いた悪魔の姿を見てしまうのです。「鉄仮面」では、ナチ占領下のフランスのある村で、レジスタンスのさなかに、弾丸を受けても死なない怪人が現われますが、それは伝説に鉄仮面だというのです。
 こうした趣向は微笑ましいものではありますが、どれも作品の質は高くない。私が習作と呼ぶのは、ひとえに、そのためです。たとえば、シャーロック・ホームズの熱烈なファンであることが明らかなスティーヴン・バーの処女短編「ある囚人の回想」が、すでにして手練れと呼んでいい技術を発揮していたことと比較してみてください。ブロックの場合は、過去に耽溺した幻想小説・怪奇小説からだけでは、所詮、手すさびのようなものしか書けなかったものと思われます。

 1937年にラヴクラフトが死んで、それを契機にアーカムハウスが設立されたことは、以前に述べました。その前年の36年には、ヒロイック・ファンタジーの産みの親ロバート・E・ハワードも亡くなっていて、さらに1940年にはウィアードテールズを育て上げた、編集者のファーンズワース・ライトが、健康上の理由からウィアードテールズを離れ、間もなく亡くなってしまいます。ファーンズワース・ライトの離脱は、マイク・アシュリーをして「同誌をユニークなものにしていた創造性は、みるみるうちに希薄にな」ったと言わしめます。アメリカの幻想と怪奇の小説は、ひとつの時代の終焉を迎えていました。
 40年代に入ると、EQMMが創刊され、戦争が終わるとEQMMコンテストが始まります。他方、SFのパルプマガジンは、ダイジェストサイズへの移行が始まり、やがて、戦後の黄金時代を迎えることになります。ウィアードテールズや他の群小ホラー雑誌の寄稿者の一部が、隆盛を迎えるSFやミステリに手を染めたのは、当然のことと言えるでしょう。そして、ロバート・ブロックもそのひとりでした。
 41年の「呪いの蝋人形」は、掲載誌こそウィアードテールズでしたが、アメリカの小さな町を舞台にしていました。町の警察署長を狙うアクの強い男が、蝋人形に針を刺すことで、人を呪い殺すことを考えます。人を集めて試しにやってみたのが、それでヒットラーを呪い殺そうという実験です。ところが、その席で居合わせた女性が、突然死んでしまう。語り手の私(そもそも、この警察署長候補を嫌っている)は、蝋人形に彼女の髪の毛がからまっているのを発見します。人形を使った呪殺という手垢のついたパターンを用いた上で、呪いの怖さや怪奇性よりも、そのアイデアを生かすためのストーリイ展開を考えた一編になっていました。
 48年の「心変わり」は、引きうけ手のない古時計の修理を、ようやくやってくれる老時計職人の店を見つけた主人公が、その店の娘に恋をします。老人はふたりの結婚に反対し、娘を絶対に手放さないと言います。主人公は失意のうちにデトロイトに去り、娘の死の報せを受けます。しかし、娘は生きていて、死んだのは老職人だったのですが……。ロマンティックな話にブロックふうの結末がついていました。
 同じく48年の「愛のトンネル」は、遊園地でカップルを乗せて、トンネルをくぐるゴンドラのアトラクションが舞台となった、ゴーストストーリイでした。「愛のトンネル」は怪奇現象そのものを、初めのうち読者に示さない書き方をしていて、そのかわり、胎内めぐりを連想させる「愛のトンネル」というアトラクションそのものの不気味さで、怪奇小説にしてみせていました。他方で、同じゴーストストーリイでも、56年の「影にあたえし唇は」では、死んだフィアンセが影となって男にとり憑くという、いかにも怪奇小説らしい状況設定ながら、そこから事件の連続で、小説を駆動させていきます。その分、ミステリ寄りとも言えるでしょう。そして49年の「弔花」も、やはりゴーストストーリイですが、ここでは、どうやら死者が訪問してくるらしい老婆の家で育った少年が、長じて老婆のもとへ帰ってくるという一点を描くことで、怪奇現象が日常であった少年の、どこか地に足がつかないように思える自分の過去を思い起こすという、ただ、それだけのスケッチのような短編に仕上げられていました。
 ゴーストストーリイという、怪奇小説ないしは恐怖小説として、いくらでも成立しうるものを、ブロックはあからさまな怪奇小説や恐怖小説としては、書かなくなってきていることが分かります。そんな行き方のひとつの頂点となったのが、ヒューゴー賞を得た58年の「地獄行き列車」でしょう。食い詰めてケチな犯罪者に転落した主人公のもとに、突然、地獄行き列車が姿を現わし、車掌が声をかけてきます。この車掌、従来なら悪魔の役回りで、望みをかなえてやるかわりに、最後はこの列車で地獄送りになるのです。この車掌、狡猾なのか抜けているのか、ちょっと分からないユーモラスな存在で(「だれかがかつて言ったように、あやまちは人の常です。リーダーズ・ダイジェストでしたか?」とのたまうのがおかしい)、逆に主人公がやりこめて、不思議な時計を手に入れる。これからの人生で、最高に幸せだと感じたら、この時計を止めることで、そのまま時間を止めてしまえるというのです。その時計を懐に、男は幸福な人生をひた走り始めます。時計を止める瞬間はいつ訪れるのでしょうか?
 結末は予想がつくと言えばつくのですが、大切なのは、その結末をもう一度ひっくり返してみせたときに、そこにある明るさと不安定さでしょう。これは凡手ではありませんし、この主人公の業のようなものが、そこには滲み出ているように思います。少なくとも、この作品が〈教訓的なファンタジー〉などという言葉で言い表されるものでないことを示しています。ただし、です。「地獄行き列車」は秀作に違いありませんが、星新一なら、もっと短い枚数で、よりくっきりと、この男の人生を描いたのではないかと考えさせるのも、また事実なのです。

EQMMコンテストの受賞作リスト(最終更新:2014年11月5日)


小森収(こもり・おさむ)
1958年福岡県生まれ。大阪大学人間科学部卒業。編集者、評論家、小説家。著書に 『はじめて話すけど…』 『終の棲家は海に臨んで』『土曜日の子ども』、編書に『ミステリよりおもしろいベスト・ミステリ論18』 『都筑道夫 ポケミス全解説』等がある。


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