物語の世界に飛び込んで、その高座で一席喋りたくなった。もっとも紅梅のお席亭は、気っぷは良いが芸には厳しそうだ。喬太郎なんざ、うちの高座はまだ早いよ……と、お灸を据えられそうである。
(2014年5月刊『三題噺 示現流幽霊 神田紅梅亭寄席物帳』解説[全文])

柳家喬太郎 kyotaro YANAGIYA


 柳家一門の後輩、当代の小せんさんから電話をもらった。兄さん金貸してくれってんなら即座に断ってやろうと思ったら、そうではなかった。
 愛川晶先生の御作で創元推理文庫に入るのがあるから、そこに何か書いて下さいと。兄さんが良ければ創元の人から連絡がいくようにしますが、どうでしょう、と。
 つまりは愛川先生と親交の深い小せんさんが、仲介の労をとってくれたのだ。 
 えっでもマジですか俺ですか?!  愛川先生に失礼にはならんのですか?! それに創元推理でしょ、若い頃にディクスン・カーとかエラリー・クイーンとか何冊か読みましたけど、その創元推理でしょ? 本当に俺なんかでいいんスか ……?
 えぇ、ここはひとつ是非兄さんに……と小せんさんがそう言うので、それじゃあ喜んで、ありがとうございます小せんさん……と、お引き受けをした。本当に俺でいいんだな、もし何かトラブルが起きたら、テメエ小せん責任とれよ、とは言わなかった。
 そんな訳で拝読した本書『三題噺示現流幽霊』。なるほどなぁ、自分が住んでる落語界が、こんな風にミステリになるんだなぁ……と、生意気なようだが感嘆しきり、楽しく読み終えたのでした。
 物語の舞台は架空の落語界ではあるけれど、福の助にしても馬春師匠にしても、人物達が、活き活きとリアルだ。かといって、この師匠は実在のあの師匠、この人は現実のあの兄さん……と、即座にモデルが思い当たる訳ではないのが、ありがたい。素直に物語に没頭できる。ただ、ふと「へぇ、落語界ってこうなんだ ……」と思いかけて、「馬鹿お前本職じゃねえか」と、ハッと我に返った瞬間があったのは、情けなかった。
 いやそれにしても、馬春師匠も福の助も、博識だ。大看板の馬春師匠はともかくも、まだ二ツ目の福の助も、よく物を識っている。現実で現役の真打の、不肖柳家喬太郎、「えっ、あ、そうなんだ」「あ、そうなの  知らなかった 」「う~ん、勉強になるなぁ……」と、感心しっぱなしでありました。具体的にどのへんが ? って質問にはお答えしませんが、いやもう、お恥ずかしいかぎりです。
 それに福の助は、勉強熱心だ。『多賀谷』でもそれは遺憾なく発揮される。クライマックスの船上での一席、その演出の才にも感服するが、よくぞ調べてきちんと覚えた。そしてそれをただ喋るだけでなく、自分の芸として昇華させているのが、さすがである。その芸の描写を目で追いながら、実際、耳に聞こえてくるようだった。 
 現実に、船の仕事というのはあって、屋形船でのお供とか、客船のクルーズで一席とか。今は以前ほど聞かないが、乗っている仲間はいるだろう。世間の景気がもう少し良い頃、僕も二ツ目時分には何度か乗った。
 客船は大きいからメインのイベント会場があって、何畳だったか忘れたが和室もあり、乗っている間の毎日ではないが、その両方で数回の高座があった。少しばかり揺れる日もあり、あぁ『船徳』が持ちネタにあればリアルなのになぁ……と、喋りながら思ったものだった。
 屋形船の場合は概ね余興で、ハンドマイクを持っての立ち高座で、漫談のようにして小噺を三つ四つ御披露したり、お題を頂戴して謎かけをやったりだった。お客様方は目の前の酒やビールや天ぷらに夢中で、楽屋がないから演やり終えた後はお客様と同じテーブルに着くのだが、ウケなかった面目なさから、生ぬるいビールが苦かった。
 もっとも、高座を拵えてもらって、一席喋った事もある。うろ覚えだが、たしかどこかの企業の貸切で、その時はお客様方から三つお題を頂戴して、考えるお時間を頂いた後、三題噺の一席として申し上げた。即席の噺で出来はよくなかったが、その場にいらした課長さんだか部長さんだかの名前を入れ込んで、なんとかウケた記憶がある。今考えれば、綱渡りの仕事であった。
 三題噺といえば、表題作の『三題噺 示現流幽霊』だ。僕自身、新作落語を演っているし、三題噺も何席か創っているから、殊の外興味深く拝読した。
 作品自体が面白いのはもちろんだが、作中で演じられる『示現流幽霊』には唸った。こう申し上げると愛川先生には失礼だが、いや、よく出来ている。三題噺として上出来だし、落さげがまた、うまく決まっている。演じる側の生理に合わせての工夫や演出は必要だろうが、ほぼこのまま、現実の高座にかけられそうだ。
 この噺、当代の小せんさんで聞いてみたいと思った。仕事を紹介してくれたからというヨイショではなく、もともと愛川先生と御縁があるから……という理由でもない。
 飄々としながら本格で、老成した風でいながら若々しく、軽みを持った彼の芸で、聞いてみたいと思ったのだ。小せんさんにそう伝えたら、既に何度か、演じた事があるという。
 なんだよー小せん、いいネタ持ってんじゃねーかよー。自分の会でばっか演んないで、俺と一緒んときに演ってくれよー。
 よし、それならいっそ僕は僕で、同じ三つの題で別の噺を創ってみようかと思ったのだが……示現流からの発想で、時限爆弾とか、次元大介とか、駄洒落しか思い浮かばない。
 我ながら弱ったものである。文吉師匠や福の助を見習って、もっと勉強しなけりゃならない。
 もっとも新作を創る勉強ばかりでなく、古典落語の勉強もしなければならない。演った事のない演目は山ほどあるし、一度演じただけでお蔵入りになっている噺が、何席もある。
 そういえば『石返し』なんて噺を、勉強会で演った事がある。今では演じ手の少ない、珍しい部類に入る演目だろう。それもその筈、骨が折れる割にウケが少ない、地味なネタなのだ。
 その『石返し』に、『鍋屋敷の怪』で出会えるとは思わなかった。いささかマニアックなこのネタを題材に、こんな物語が出来上がるとは……。それにこの作品、閉鎖された空間での事件、が登場するじゃありませんか !
 うわっ、探偵小説だ探偵小説  もうそれだけでウキウキしてしまう。ワクワクしながら読み進めているうち、神田紅梅亭は、運命の三月余一会を迎える。読み応え十分のこの物語には、もう一席別の古典落語も、重要な役割を担って登場する。普段接している演目が、こういう風に使われるとは……。落語ファンにとっては、そういう点もお楽しみである。
 今回、本書を拝読して、各作品を通じて思いを馳せたのは、架空の寄席、神田紅梅亭である。物語の世界に飛び込んで、その高座で一席喋りたくなった。もっとも紅梅のお席亭は、気っぷは良いが芸には厳しそうだ。喬太郎なんざ、うちの高座はまだ早いよ……と、お灸を据えられそうである。
 ところが、不思議な御縁があった。
 本書を読ませて頂いたのは、平成二十六年の三月中旬から下旬にかけてだが、ちょうどその頃、西の方の仕事が重なって、僕は数日間の旅に出かけた。本書を持参しての旅だったが、その仕事のうちの一つが、大阪のテレビ局の演芸番組の収録で、その番組名が『平成紅梅亭』であったのだ。
 単なる偶然には違いないのだが、なんとも不思議なタイミングだった。面白い偶然もあるもんだなぁ……と、『特別編(過去)』を読みながらぼんやり考えているうちに、もう一つの偶然に思い当たった。
 その月の三十一日、つまり三月の余一会、僕自身も、池袋演芸場で独演会だったのだ。
 よし、ここまで偶然が重なったなら、いっそ『石返し』でも稽古して、池袋の余一会にかけてやろう……なんて思わないのが、柳家喬太郎なのでありまして。本書とは何の関係もない噺を二席喋って、無事お開きとなったのでした。この原稿を書きながら、そういえばその池袋の余一会、俺は何を演ったんだっけ……と、手帳の記録を見てみたら、古典の『錦の袈裟』と、自作の『宴会屋以前』という噺だった。
 そこでまたもう一つの偶然に、たった今、ハタと気付いた。
『宴会屋以前』という噺、はるか昔に拵えた 、三題噺であったのだ。

(2014年5月)


■柳家喬太郎(やなぎや・きょうたろう)
落語家。1963年東京都生まれ。書店勤務を経て、柳家さん喬へ入門、平成12年に真打に昇進。2006年度、芸術選奨文部科学大臣新人賞「大衆芸能部門」をはじめ受賞多数。著書に『落語こてんパン』『落語こてんコテン』などがある。


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