大きく膨れて歪になったランドセルを、
今日も私は背負って歩く。

オール讀物推理小説新人賞受賞の
期待の新鋭が描く精緻なミステリ。
(08年6月刊『誘(いざな)う森』)

吉永南央 nao YOSHINAGA

 

 なぜ死んでしまったのか。
 親しい人が自ら命を絶った時、遺された者は悲しむと同時に、死の理由を考える。遺書があったとしても、亡き人の心をあれこれ思ってみるだろう。となると結局、その人がどう生き、何を考えていたかを深く知ろうとするのではないか。それは、大切な人を生きているうちに理解してやれなかった、という後悔が常につきまとう行為かもしれない――この作品を書き始める時に、そんなことを思った。

 それから描く場面によっては、自分自身の幼い頃を思い出しもした。
 小学校に上がる前、私はともかく早く学校へ行きたくてたまらなかった。祖母に買ってもらった赤いランドセルにひとつふたつおもちゃを入れて、ご近所に顔を見せ見せ、歩いてすぐの小学校の校庭まで通うのを、しばらく日課にしたほどだ。おもちゃが転げる、背中の大きな空間には、確かに希望がいっぱい詰まっていた。

 あの頃の希望は、生きることそれ自体への、わくわくだったのだと思う。

 ところが40も過ぎると、背中のランドセルはわけのわからないもので膨れ上がってパンパンになり、原型を留めていない。しかも中身は、光るものがほんの少しで、残りは、がらくた。
 でも、案外これが使える。ボロボロの心を奮い立たせる特効薬になったり、早瀬を越えるための丸太橋になったりと、見た目ではわからない用途が、がらくたからは特に生まれやすい。そんなわけで、背の荷物は重くなる一方、希望もその隙間にわずかとなっても、なんとかなるさと思えるようになった。

 大きく膨れて歪になったランドセルを、今日も私は背負って歩く。問題が持ち上がると、何か使えるものはないか、とランドセルを抱え込んで中を覗き込む。まあ、颯爽とは歩けないが、若い頃よりもずっと気丈夫だ。

 結構長い間、一緒に過ごしてきた主人公の洋介も、生き方はかっこよくない。だから、私がランドセルの話をしたなら、きっと彼は笑顔でうなずいて「それ、わかるよ」と言ってくれると思う。

(2008年7月)

吉永南央(よしなが・なお)
1964年埼玉県生まれ。群馬県立女子大学卒業。2004年、コーヒー豆と和食器の店を営むおばあちゃん探偵の活躍を優美に描いた「紅雲町のお草」で、第43回オール讀物推理小説新人賞を受賞。2008年1月に受賞作を含む連作短編集『紅雲町ものがたり』を刊行。本書『誘(いざな)う森』が初の長編作品となる期待の新鋭。