神代教授の日常と謎
神代宗というのは建築探偵シリーズでは要するに脇役のひとりに過ぎないが、
作者の中では特段の存在感を備えている。
(07年4月刊『風信子(ヒアシンス)の家』)

篠田真由美 mayumi SHINODA


 

 講談社ノベルスで『未明の家』により〈建築探偵桜井京介の事件簿〉シリーズが開幕したのが1994年。作中時間も同じ1994年にしたのは、別段なんの深い考えもなく、ただ生まれて初めて現代日本を舞台にした小説を書くので無難に、というだけの目論見ともいえない目論見だった。シリーズはおかげさまでそれからずっと続き、この6月に刊行される『一角獣の繭』で本編13冊。作中時間は2002年になっている。

 東京創元社の編集者から「篠田さん、神代教授を主人公に安楽椅子探偵ものを書きませんか」というお誘いをいただいたのはいつのことだったか、粗雑な頭はすでに記憶していない。シリーズの流れを年表形式に整理してみて、「そういえば1991年から94年までの間に空隙があるな」と気づいて「そこにはまる話を書かせてもらえませんか」、というふうにこちらから持ちかけたのがいつだったかも。

 神代宗というのは建築探偵シリーズでは要するに脇役のひとりに過ぎないが、作者の中では特段の存在感を備えている。自分が東京駒込追分町の生まれで、本郷小石川の山の手的な世界と谷中根津上野の下町的世界の間を行き来しながら育ったからだろう。彼のいささか昔気質な、クールとホットの混ざり加減は作者の地にとても近い。

 蒼と呼ばれる少年が神代邸の居候No.2となり、神代研究室の私設雑務助手となる1991年春から、神代が在外研究で日本を留守にし、桜井京介がその研究室に勝手に居座って(現実では無論そんなことはあり得ない)『未明の家』が始まる1994年春までの隙間に連なるエピソード(正確には91年6月~92年2月)が、今回『風信子の家』としてまとめられる中編集である。どうせだから後もう少しは、神代の目から見た物語を書いておきたいと思っている。

 今回は『風信子の家』のゲラを見ながら、『一角獣の繭』の執筆を継続していた。そこには作中で10年の隔たりというか、時の流れがある。大人には10年などなにほどでもないが、ロウティーンの子供が成年に達するというのは大きな変化だ。『風信子の家』の中の幼さの残る蒼と、『一角獣の繭』の中の青年蒼に、我が子が結婚式を迎えた親のようなおかしな感慨がしきりと浮かんだ。昔、「小説を書くなら子供ぐらい生んでおきなさい」としたり顔で説教する男に「子供くらい想像力で生んで見せます」と言い返したものだったが、どうやらそれはまんざらただの大言壮語ではなかったらしい。

(2007年4月)

篠田真由美(しのだ・まゆみ)
1953年東京本郷生まれ。早稲田大学第二文学部卒業。92年、第2回鮎川哲也賞の最終候補作となった『琥珀の城の殺人』でミステリ作家としてデビューする。94年刊行の本格ミステリ長編『未明の家』より建築探偵桜井京介シリーズを開始し、多くの読者を獲得。また2001年からは不死の吸血鬼・龍緋比古を主人公とした伝奇シリーズを執筆、こちらも読者の強い支持を得ている。他の著書に『王国は星空の下』『螺鈿の小箱』『アベラシオン』などがある。