ばらばらのピースが一つになって
第14回鮎川哲也賞受賞作家による受賞後第1作
(06年4月刊『出口のない部屋』 )

岸田るり子 ruriko KISHIDA

 

 本編『出口のない部屋』に取り組むにあたって、自分はどのカテゴリーのミステリを書こうとしているのか、そのことをあえて意識しませんでした。
 私は本格ミステリの計算された仕掛けと立体的な構造が好きで、常々そのようなミステリに魅せられています。しかし、どうも考えてみると、トリック重視、限界ギリギリの技巧を全面に押し出したものよりは、人物の背景や心理を丹念に描いたミステリのほうが自分には合っている気がしてきました。
 この二つを自然な形で両立させようと工夫した結果、今回のような作品に仕上がりました。ですから、ジャンルはさておき、本格の仕掛けと人間ドラマを併せ持ったエンターテインメント作品として、本編を楽しんでいただければ幸いです。

 この物語を構成する上で、まず最初に核となるものとして、一つの記憶を自分の体験から引っ張り出してきました。
 もうずいぶん昔のことになるのですが、フランス時代、ジャン=ポール・サルトルの「出口なし」という戯曲を授業の課題で暗記し、更には舞台を見に行ったことがあります。
 それがこの作品の構想を練る前にふと私の頭をよぎりました。(だからと言って、私はサルトルの他の作品を多く読んでいるわけではなく、また、彼の哲学的思想に心酔しているわけでもありません)
 〈三人の見知らぬ男女が一つの部屋に入ってきて向き合う〉、このサルトルの着想をミステリのジャンルの枠内、つまり娯楽作品として加工することはできないものか。それが本作の骨組みを作る上での出発点となりました。
 そこから人物、背景など虚構のパーツを増やしていき、それらの人間関係を組み立てて、最後に一つの物語になるように試行錯誤しました。

 舞台は、前作『密室の鎮魂歌(レクイエム)』同様、京都です。
 今回は、京都の中でも華やかで特殊な世界を描きたかったので、花街で逞しく生きる舞妓・芸妓さんたちの社会について、先斗町でお茶屋を営んでいる知り合いに取材させていただきました。
 また、キメラの章では、発生学の専門であり、古くからの友人に協力してもらいました。当時、パリ郊外にある某発生学研究所でこの小説の中にでてくる鶏にウズラの胚を移植する手術を友人は手がけていました。
 一緒に食事をしたおりに、キメラ誕生を成功させ、興奮さめやらぬ彼女から度々そのもようを耳にしていました。その時は何気なく聞いていましたが、やはりこの作品を書く上で、私の脳裏にその時の会話が蘇ってきました。
 彼女はその後帰国し『生体の科学』という雑誌に論文を掲載したので、それを参考文献とさせてもらいました。そして、当時、やはり、この研究に携わっていたもう一人の友人がさまざまな細かい質問に答えてくれました。
 もちろん、この章に登場する人物、組織、団体等はすべて完全なる私の虚構で、胚の手術の場面は、友人の文献を大いに参考にさせていただきました。
 研究者同士の熾烈でどろどろした争いを作中に描いていますが、それも友人とはなんの関係もありませんので、ここに明言させていただきます。
 いまでも、研究者として第一線で活躍されているお二人に快く取材に応じていただいたこと、深く感謝しております。


 私の人生の中にバラバラに存在し、忘れかけていた記憶のピースがふとした瞬間に復活し、それが小説世界の中で生き返える。本作品を通じて、そんな貴重な体験をしました。
 改めて、自分を取り巻くあらゆる出来事にはすべて意味があり、過去、現在、未来と繋がっているのだと実感しました。

 一見関わりがないと思われる人物、出来事が、意外な展開で最後に繋がりをみせるというのはミステリの醍醐味です。
 そんなミステリを本作で堪能していただければこれほど嬉しいことはありません。

(2006年4月)

岸田るり子(きしだ・るりこ)
作家。1961年京都府生まれ。2004年、『密室の鎮魂歌(レクイエム)』で第14回鮎川哲也賞を受賞し、デビュー。2006年4月刊行の『出口のない部屋』は、待望の受賞後第1作である。


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