ここだけのあとがき

2007.12.05

石持浅海『温かな手』[2007年12月]

なぜ、そんなに冷静なのか?
一風変わった名探偵兄妹と
そのパートナーが活躍する連作短編集。

07年12月刊
『温かな手』
石持浅海

元来、茶々を入れるのが好きな性格です。

 日常生活でも茶々を入れまくっていますから、周囲からはよく「ひと言多い」とか「また、そういうことを」とか言われます。性格なんだから仕方がないと開き直ることもできますが、ここは作家という便利な職業の特性を活かして、「こんな奴が作家になるんだ」と居直っています(このとき、他の作家さんにかかる迷惑については、まったく考えていません)。

 それでも茶々にもルールがあって、気にくわないことに対しては、ほとんど茶々を入れません。なぜなら、茶々を入れるというのは、関わりを持つということだから。嫌なこととは関わりを持ちたくない。だから茶々を入れるのは、好きなこと、あるいは楽しいことに限られます。愛するがゆえに突っこむ。青春小説の題材のようですが、真実だと思います。ですから、真実の使徒である私も、それに従っています。

 さて、本格ミステリ。これほど茶々を入れやすいジャンルは他にないんじゃないかと思うので、読後にはあれこれ突っこみまくります。傑作ほど茶々を入れやすいというのもこの分野の特徴ですから、面白い作品であればクイーンだろうがクリスティだろうが「ちょっと待たんかい」と、友人たちと話に花が咲きます。

 誤解のないように申し上げておきますが、この場合の茶々を入れるというのは、決してあら探しではないのです。物語が持っている基本骨格。物語を支配するルール。そういったものが、現実世界からずれていれば、そこに茶々を入れるということです。そして作品世界を律するルールが現実世界から離れていればいるほど、独自性が強いほど、その作品は傑作たり得る。それが本格ミステリですから、どうしても面白い作品に対して突っこんでしまう。本格ミステリが茶々を入れやすいジャンルだというのは、つまりそういうことです。

 そんな中で、本格ミステリにおける最も素朴で根源的な茶々は、「殺人事件に巻き込まれたのに、どうしてお前はそんなに冷静なんだ」というものです。

 確かにそうですよね。目の前で人が死んでいるのに、普通の人が冷静でいられるはずがありません。探偵ならば納得できます。探偵という役回りは、ある程度の超人性を持っています。超人ならば冷静でもいいでしょう。

 でもワトスン役は、読者と同レベルか、少し下でなければなりません。ワトスン役は超人性を持ってはいけないのです。それなのに、なぜ彼や彼女は探偵役と同様に、あるいはそれ以上に冷静でいられるのか(「自分はすっかり動転してしまった」などと記述しているわりには、妙に周囲を冷静に観察しているんですよね、語り手であるワトスン氏は)。

 本作『温かな手』は、そのような本格ミステリにつきものの疑問、あるいは突っこみどころに対しての、ひとつの回答として書きました。

 探偵役は事件に対して冷静である。

 ワトスン役も事件に対して冷静である。

 それだけではなく、状況によっては事件の関係者も冷静に事実を思い出して、証言できる。

 そのような都合のよい設定はあり得るのか。

 あり得る、と私は思いました。そのひとつの提案が本書です。探偵役のギンちゃんとムーちゃん。ワトスン役の畑寛子と北西匠。彼らはなぜ冷静であり、事件に理性的に立ち向かうことができるのか。

 本書をお読みいただくときには、そのようなことにちょっとだけ留意して読んでいただけると嬉しいです。

(2007年12月)

石持浅海(いしもち・あさみ)
1966年愛媛県生まれ。九州大学卒。2002年『アイルランドの薔薇』でデビュー。特殊な状況設定下での端正な謎解きに定評がある。著作は他に『月の扉』、『BG、あるいは死せるカイニス』、『扉は閉ざされたまま』、『顔のない敵』、『人柱はミイラと出会う』、『心臓と左手』など。

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