ここだけのあとがき

2012.03.05

秋梨惟喬『もろこし桃花幻』あとがき[2012年3月]

皆さんが多少なりとも浮世の憂さを晴らすことができれば、
作者は嬉しかったりします。
(2012年3月刊『もろこし桃花幻』あとがき[全文])


秋梨惟喬 koretaka AKINASHI

 

 もろこしシリーズ三冊目にして、初の長編となりました。
 タイトルからもわかる通り、陶淵明の『桃花源記』がベース。とはいっても舞台は陶淵明が生きた魏晋南北朝ではなくて、もろこし物ではお馴染みの元末明初。後に明を建てる朱元璋は、まだ群雄の一人として張士誠や陳友諒と争っている時代。もろこし物の時系列の上では、「北斗南斗」と「雷公撃」「殷帝之宝剣」の間に位置しています。
 『桃花源記』を思わせる村を舞台にした、一種の“吹雪の山荘”物で、閉鎖空間での大量殺人事件を扱っています。もちろん、もろこし世界でしかありえないトリックにしたつもりです。
 諸星大二郎さんに「桃源記」(『諸怪志異』第一集[伝奇編]収録)という大変面白い作品があるので、いささかプレッシャーでした。もちろん当方はオカルトではなく、あくまでも基本は本格推理小説です。

 『銀侠伝』『紅游録』でのお馴染み(っぽい人?)が何人か登場しています。
 顔【がん】軍師とじいのコンビは実に三度目の登場です。後世神様として祀られるぐらいの名軍師といいながら、軍師になる前と引退後しか描いていなかったので、今回は現役ばりばりの颯爽とした顔軍師を披露するつもりだったのですが、結局最後はああいう羽目になってしまいました。本来は張良や諸葛孔明並みに優秀なんですけどね。だからこそ孔子は“怪力乱神”を語らなかったのです。
 他にも何人か登場していますが、こちらに関しては、それが“あの人”であるかどうか、作者は保証しません。ただ雰囲気が似ているだけの別人なんじゃないでしょうかね。そこはもろこし物のお約束ということで。

 『水滸伝』の登場人物っぽい人々も活躍しています。「悪銭滅身」 の“浪子”燕青以来になりますね。本名こそ出ていませんが、『水滸伝』ファンであれば、得意技や語られる経歴、或いはじいの証言から、それが誰っぽいのか察しがつくでしょう。もちろんそのような裏を知らなくても読めるキャラクターになっていますから、御安心を。
 一応ラストに正体を明かすような記述がありますが、もし本当にその人物だとしたら、二百歳以上だということになってしまいます。だから“っぽい”わけで。やっぱり何かの間違いかもしれませんね。
 それとも、陶華が二人をモデルにして『水滸伝』のあの登場人物を創造したのでしょうか。だとすると、設定そのものがひっくり返る、作者にとっても意外などんでん返しですが。こうしてあとがきを書いていて気づきました。

 近現代的な武侠小説が誕生したのは、二十世紀の初め、民国初期の社会が混乱していた時代でした。作者は学校の世界史の授業で、当時の中華世界の人々は魯迅のような新しい文学作品を読んで革命的意識を高めていた、と習った気がするのですが、実際にはまるで違っていたようです。
 現実の中華世界は――少なくとも大都市は――娯楽小説で溢れていました。清末以降、欧州からはジュール・ヴェルヌのSF、ドイルのホームズ物やルブランのルパン物等が輸入翻訳され、これに触発された中華産のSFや探偵小説も生まれています。日本からも押川春浪が大量に翻訳出版されました。字が苦手な人たちや子供向けに、連環画という絵入り物語――漫画のような感じです――に仕立てての出版も盛んだったようです。
 それほどの量が出版されたということは、それだけの読者がいたのです。あの混乱した世相でも、民衆は滅法面白い小説を楽しんでいたのです。
 そんな中で、中国における娯楽小説の王様・武侠小説も生まれました。

 2011年3月11日を境に日本は大きく変わったと言われます。小説界でも、様々な議論がありました。これを機にミステリの世界も変わらざるをえないと論じた人もいるようです。
 ただ作者の姿勢は最初から決まっていました。 変える必要はない、と。こういう時こそ娯楽が最強だし、一番必要だし――自分にはこれしかできないのだから、と。
 作者自身、TOKYO MXで流されていた「水曜どうでしょうClassic」のおかげで、精神的に救われたからでもあります。もちろん大泉さんやミスターだけではありません。ベテランから新人まで、お笑いの人たちがこれほど頼もしかったことはありませんでした。お笑いは最強なのです。
 そして、伏線を張って強烈に落とす、という意味では、お笑いと本格ミステリは同じだというのは作者の昔からの持論です。
 つまり三段論法でいけば、本格ミステリは最強なのです。そこに武侠小説が融合したもろこしシリーズの強さは、もはや神の領域ではありませんか。
 いささか冗談が混じってしまいました。
 もろこし世界に生きる人たちは皆強いです。政治がどうなろうと、戦争が起きようと、自分たちのペースで力強く生きている人たちです。
 銀牌侠・銀牌女侠はそんな人たちを、ちょっとだけ助けます――奇妙な事件が起これば、それを豪快に、爽やかに解決して、去っていくのです。
 そんな夢物語で、皆さんが多少なりとも浮世の憂さを晴らすことができれば、作者は嬉しかったりします。
 ですから、銀牌侠の物語はまだまだ続きます。
 新たな銀牌侠・銀牌女侠が登場する一方、お馴染みも活躍します。ただし、新人かと思っていたらあの人の子供時代(もしくは老後)じゃん、という場合もあるかもしれませんから御注意を。
 スピンオフキャラクターを主人公にした作品の構想もあります。意外な時代、意外な場所で展開する作品も考えています。
 ちょっとだけ、御期待ください。

(2012年3月5日)

秋梨惟喬(あきなし・これたか)
1962年8月17日岐阜県生まれ。広島大学文学部史学科(東洋史学)卒業。1993年「落研の殺人」が鮎川哲也編『本格推理2』に、1995年「憧れの少年探偵団」が北村薫・宮部みゆき選『推理短編六佳撰』に収録される(ともに那伽井聖名義)。2006年、秋梨名義による「殺三狼」で第3回ミステリーズ!新人賞を受賞。著書に『もろこし銀侠伝』 『もろこし紅游録』 『憧れの少年探偵団』がある。




【2009年3月以前の「本の話題」はこちらからご覧ください】

推理小説の専門出版社|東京創元社
バックナンバー