Web東京創元社マガジン

〈Web東京創元社マガジン〉は、ミステリ、SF、ファンタジイ、ホラーの専門出版社・東京創元社が贈るウェブマガジンです。平日はほぼ毎日更新しています。  創刊は2006年3月8日。最初はwww.tsogen.co.jp内に設けられました。創刊時からの看板エッセイが「桜庭一樹読書日記」。桜庭さんの読書通を全国に知らしめ、14年5月までつづくことになった人気連載です。  〈Webミステリーズ!〉という名称はもちろん、そのころ創刊後3年を迎えようとしていた、弊社の隔月刊ミステリ専門誌〈ミステリーズ!〉にちなみます。それのWeb版の意味ですが、内容的に重なり合うことはほとんどありませんでした。  09年4月6日に、東京創元社サイトを5年ぶりに全面リニューアルしたことに伴い、現在のURLを取得し、独立したウェブマガジンとしました。  それまで東京創元社サイトに掲載していた、編集者執筆による無署名の紹介記事「本の話題」も、〈Webミステリーズ!〉のコーナーとして統合しました。また、他社提供のプレゼント品コーナーも設置しました。  創作も数多く掲載、連載し、とくに山本弘さんの代表作となった『MM9―invasion―』『MM9―destruction―』や《BISビブリオバトル部》シリーズ第1部、第2部は〈Webミステリーズ!〉に連載されたものです。  紙版〈ミステリーズ!〉との連動としては、リニューアル号となる09年4月更新号では、湊かなえさんの連載小説の第1回を掲載しました(09年10月末日まで限定公開)。  2009年4月10日/2016年3月7日 編集部

大森望『ぼくの、マシン ゼロ年代日本SFベスト集成〈S〉』序 [2010年10月]


00年代(西暦2000年~2009年)の10年間に
日本国内で発表されたSF短編から、
歴史に残る作品をよりすぐった年代別の傑作選


大 森 望 nozomi OHMORI

 


 「2から始まる年号って、数字の並びだけでSFだよね。やっぱりこれからはSFでしょう」

 かつて力強くこう断言したのは庵野秀明氏。10年前のこの予言はみごと的中し、日本SFは2000年を境に“冬の時代”の長いトンネルを抜け、いまやうららかな春を(もしくは、さわやかな初夏を)迎えている。SFと銘打つ日本SFの単行本が1冊も出なかった1998年のことを思えば、隔世の感。おかげで、創元SF文庫の《年刊日本SF傑作選》シリーズや、河出文庫の《NOVA 書き下ろし日本SFコレクション》も順調に巻を重ねている。

 ひとつこのあたりで“2から始まる年号”の最初の10年間の成果をまとめてみよう――ということで企画したのが、この《ゼロ年代日本SFベスト集成》。その名のとおり、00年代(西暦2000年~2009年)の10年間に日本国内で発表されたSF短編から、歴史に残る作品をよりすぐった年代別の傑作選である。

 それだったら、ハヤカワ文庫JAから、早川書房編集部編の『ゼロ年代SF傑作選』が出てるんじゃないの? と思う人もいるでしょうが、同書を既読の方はご承知のとおり、あちらは、ゼロ年代日本SFの一潮流である“リアル・フィクション”の傑作選。〈SFマガジン〉掲載作を中心に、書籍未収録の作品を集めた新鋭アンソロジーという性格が強い。

 それに対し、本書では、個人短編集に収録されているかどうかは基本的に考慮せず、00年代SFを代表する(と編者が判断する)作品を可能なかぎり網羅することを目指した。その結果、当然のことながら、他社文庫(とくにハヤカワ文庫JA)から出ている短編集の収録作・表題作をたくさん採ることになった。SF専門読者にとってはあんまり意外性のない(既読作の多い)ラインナップかもしれないが、たとえば飛浩隆「ラギッド・ガール」の入っていないゼロ年代ベストなどゼロ年代ベストじゃないだろうという気がするのも事実。5年後、10年後に読み返しても色褪せない、真のゼロ年代ベストを目指した結果なので、ご容赦いただきたい。書籍初収録の隠し玉も、それぞれの巻に2、3編ずつ用意してあるから、SFマニア諸氏におかれましては、「なんだよ。ほとんど読んでるんだけどなあ。ま、しょうがないか」とブツブツ文句を言いながらお買い上げいただきたい。

 一方、ふだんあんまり日本SFの短編を読まない人や、最近になって日本SFを“発見”したという読者には、現在の日本SFの水準を知るための格好のショーケースになるだろう。《ゼロ年代日本SFベスト集成》を手がかりに、ぜひとも気に入った作品の収録短編集や、同じ作家の長編に手を伸ばしてほしい。

 創元SF文庫『年刊日本SF傑作選 虚構機関』が出たときは、その序文で、“日本SFの総合的な年次傑作選は、筒井康隆編『日本SFベスト集成』以来、32年ぶり”と書いたけれど、総合的な年代別ベストSFアンソロジーの刊行も、筒井康隆編『'60年代日本SFベスト集成』(徳間書店)以来34年ぶりということになる。本書の刊行にあたっては、編者である筒井康隆氏の了解を得て、“日本SFベスト集成”のタイトルを継承させていただくことにした。ありがとうございました。

 その《ゼロ年代日本SFベスト集成》は、ごらんのとおり、全23編を、2冊に分けてお届けすることになった。2冊セットで通読していただくと、この10年の日本SFの動向が(たぶん)手にとるように実感できる仕組みですが、上下巻というわけではなく、それぞれ独立したアンソロジーとして読めるように作品を配置したつもりなので、どちらか片方だけ読んでいただいても一向にかまいません。

 便宜上、2冊を〈S〉と〈F〉とに分けたが、べつだんサイエンス編とフィクション編というわけじゃないし、S派(ハードSF系)とF派(幻想SF系)という分類にきっちり従っているわけでもない。大ざっぱに言うと、〈S〉は宇宙および未来編(ややハード志向)、〈F〉は現代編および幻想・奇想編(ややソフト志向)。作品の傾向としては、前者がSFの求心的なベクトル、後者が遠心的なベクトルをなんとなく代表しているとは言えるかもしれない。

 というわけで、この『ゼロ年代日本SFベスト集成〈S〉 ぼくの、マシン』には、前述のとおり、主に宇宙と未来(もしくはテクノロジーと人間と機械)を描いた11編を収録した。

 光瀬龍、小松左京、石原藤夫、堀晃、谷甲州……と続く宇宙小説の系譜は、日本SFの歴史上、ずっと傍流だったが、野尻抱介、小川一水などの登場を契機にして、ゼロ年代は宇宙開発をテーマにしたリアル系の宇宙SFがにわかに勃興し、日本SFのイメージを一新した。ゼロ年代の星雲賞国内部門受賞作を見ると、なんとその半数を宇宙SFが占める。そういう傾向を代表して――かどうかはともかく――本書の前半には、宇宙を舞台にした、それぞれタイプの違う四種類の作品を配置した。野尻抱介「大風呂敷と蜘蛛の糸」はリアルな宇宙開発もの、小川一水「幸せになる箱庭」は異色のファースト・コンタクトもの、上遠野浩平「鉄仮面をめぐる論議」は《ナイトウォッチ》3部作からスピンオフした寓話的・観念的な戦争SF、そして田中啓文「嘔吐した宇宙飛行士」は嘔吐した宇宙飛行士の話である。

 後半は、テクノロジーによる社会とアイデンティティの変貌を描く未来SFを中心に据えた。バイオテクノロジーを扱った女性作家の2作、菅浩江「五人姉妹」と上田早夕里「魚舟・獣舟」。ジェイムズ・ティプトリー・ジュニアの名作を下敷きに“接続された女”を描く、桜庭一樹「A」と飛浩隆「ラギッド・ガール」。とうにシンギュラリティを超えた超越的な機械知性(巨大知性体)が時代劇コメディ(?)にチャレンジする円城塔「Yedo」(『Self-Reference ENGINE』の一挿話)と、2010年代の到来を待たずに世を去った故・伊藤計劃が新間大悟と組んで2002年に発表した幻の商業誌デビュー作「A.T.D」、そして最後は、《戦闘妖精・雪風》シリーズの短編ながら、人間とコンピュータの関係に深く切り込む神林長平の表題作「ぼくの、マシン」を収録する。

 以上、この十年の日本SFの精華11編、じっくりとご賞味ください。

                      
(2010年10月)

●大森望『〈F〉逃げゆく物語の話』の序文を読む。

●第2回創元SF短編賞公募中! 詳細はこちらへ


■大森望(おおもり・のぞみ)
1961年高知県生まれ。京都大学文学部卒。翻訳家、書評家。他の編著に《年刊日本SF傑作選》(日下三蔵と共編)、オリジナル・アンソロジー《NOVA》シリーズ、主な著書に『現代SF1500冊(乱闘編・回天編)』『特盛!SF翻訳講座』、共著に『文学賞メッタ斬り!』シリーズ、主な訳書にウィリス『航路』ベイリー『時間衝突』ほか多数。


本格SF小説の専門出版社|東京創元社

霜月蒼/ジェイムズ・ボーセニュー『キリストのクローン/新生』解説[2010年10月]


救世主としての宿命を背負った、
しかしさしたる後ろ盾を持たない若者。
そんな人物に、現在の世界において何ができるのか。
「ジーザス・クライスト・スーパーヒーロー」
(10年10月刊『キリストのクローン/新生』解説[全文])

霜月 蒼 aoi SHIMOTSUKI

 

 驀進するジェットコースター。本書はそんな小説である。じつのところ真摯な問題意識が根底には仕掛けられてはいる。けれどもとりあえずは座席に座り、ジェイムズ・ボーセニューの操縦による上下二巻・六〇〇ページ超におよぶハイスピード・ライドを無心に楽しむのが吉だ。
 このアトラクションをかたちづくるのは、マイクル・クライトンを思わせる科学奇想と、トム・クランシーばりの世界規模のクライシスとパワーゲーム、そしてダン・ブラウンに通じるキリスト教トリビア。そこに思いつくかぎりのアイデアがぶちこまれている。
 まさに波乱万丈、嵐のようなスペクタクル小説なのだ。そしてそのなかで、さまざまな聖書にまつわる謎が大胆不敵なSF的仮説によって解明されてゆく。例えば――
・聖骸布の年代が然るべき年代から千数百年もずれているのはなぜか。
・映画《レイダース 失われた聖櫃》にも登場した約櫃とはどんなものであり、失われたとされるそれは、どこにあるのか。
・キリストを売って処刑台に送り込んだ「裏切者」とされる十二使徒のひとりユダは、ほんとうに裏切者だったのか。
 などなど――。これはそういう一大エンタテインメント大作なのだ。スピード感とド派手なイベントの連続にめまいさえ起こしそうになる二時間を保証しよう。
 シートベルトをきっちり締めるのをお忘れなく。

 本書はジェイムズ・ボーセニューのChrist Clone Trilogy 第一作、In His Image(1997, Selective House→2003, Warner Books)の全訳である。残る二作、Birth of an Age (1997→2003, Warner Books)、Acts of God(1998→2004, Warner Books)も、創元推理文庫から近刊の予定である。
 物語は一九七〇年代末、アメリカの科学者チームが、処刑されたイエス・キリストの遺骸を包んだとされる《トリノの聖骸布》の科学的調査に向かうところからはじまる。
 本三部作の主人公デッカー・ホーソーンはアメリカのローカル紙の記者だったが、かつての恩師ハロルド・グッドマン教授のアシスタントとして、この調査チームにもぐりこむことに成功、彼は唯一のジャーナリストとして聖骸布の調査を見守る……。
 その結果は数年かけて報告書にまとめられた。聖骸布には磔刑のものらしき傷を負った男の姿が写しとられている。これがどうやって為されたのかは不明だったものの、そこに写る傷痕付近のしみは、人間の血液であると結論していた。
 しかし、こののちの一九八八年に行われた鑑定で、聖骸布は一二六〇年から一三九〇年のあいだにつくられたものだと結論された。これではキリストの処刑の時期とあまりにも離れすぎている……
 著者は、ここまでは史実に沿って物語を紡いでいる。たしかにトリノの聖骸布は科学的調査がなされ、炭素14の測定の結果、まさにそのとおりの結果を得ていた。だが――
 ハロルド・グッドマンは聖骸布から、いまもなお活動しつづける細胞を得ていたのだ。彼はデッカーに、キリストは異星人ではなかったかという仮説を披露した。だからその細胞は死滅せずにいる。グッドマンは、この細胞の研究に没頭した。
 その研究が発表段階にいたったとの報を受けたデッカーがグッドマンの家で会ったのはクリストファーという男の子だった。グッドマンは甥をひきとったのだと説明するが、デッカーは気づいた――クリストファー(Christopher)はキリスト(Christ)の細胞をクローニングして生まれた子ども、つまりイエス・キリストなのだと……。
 ここまででわずか一〇〇ページ弱。作中時間で二〇年が経過。ここで物語は一挙に走り出す――が、この先の「あらすじ」を記すのは自粛すべきだろう。
 とにかく派手なイベントのつるべ打ちに圧倒される。デッカーは早々にイスラエルでの未曾有のテロ攻撃を目の当たりにし、次いで個人的に非常な生命の危機にさらされる。そこをどうにか脱したと思いきや、今度は巨大な災厄が世界を襲うのである。
 うちつづく戦火。原因不明の災厄。テロリズム。大国のパワーゲーム。それボーセニューはトム・クランシーばりの筆致とマクロな視点で描き出してゆく。一触即発のカオスと化した世界で、キリストのクローンたるクリストファーが徐々に頭角を現わしてゆくさまが、本書の軸になってゆく。
 救世主としての宿命を背負った、しかしさしたる後ろ盾を持たない若者。そんな人物に、現在の世界において何ができるのか。危機の渦中にある世界で、現実に「救世主」としてふるまうにはどうすればいいのか――。つまり本書は、「イエス・キリスト」が、一介の聡明な若者から、世界を救いうるヒーローになるまでを語る小説なのだ。
 じつのところ、「キリストのクローン」という着想自体には先例がある。トマス・F・モンテルオーニのブラム・ストーカー賞受賞の傑作『聖なる血』(扶桑社ミステリー)がそれで、ここでもトリノの聖骸布から採取したキリストの血をもとにキリストがクローニングされる。「イエスの遺伝情報」ということであれば、SF系エンタテインメント作家マイケル・コーディの『イエスの遺伝子』(徳間書店)が、題名どおり、イエス・キリストの遺伝子によって死の病に立ち向かおうとする男を描く物語だった。
 神性をもつ者でありつつ一個の人間として存在した、というのがイエス・キリストの大きな特徴だ。トリノの聖骸布や、処刑の際にキリストの身体を刺し貫いたロンギヌスの槍といったモノも(伝説的なものであれ)存在する。つまり「キリストの血」の入手ルートが存在しうるわけで、そこから「キリストの遺伝情報の入手」まではほんの半歩だ。
 だから問題は、「キリストのクローン」でどんな物語を紡ぐのか、ということになってゆく。ジェイムズ・ボーセニューが描くのは、いわばトム・クランシーが語り直した「ヨハネによる黙示録」である。いまの世界のリアリズムのなかで、「黙示録」で予言されていた出来事が発生したらどうなるのか。それが本書にはじまる三部作で描かれてゆく。つまり本三部作は直球勝負。キリスト教における「救世主」と「黙示録」を、国際謀略スリラーの枠組みで語りなおそうとする試みなのだ。いや、むしろこう言うべきか、「救世主」と「黙示録」を現在のリアリズムに準じて真正面から描いたなら、それはSF要素をはらんだ国際謀略スリラーにならざるを得ないと。そしてそんな物語を書くのに、ジェイムズ・ボーセニューという作家は完璧な人選だった。
 一九五三年に生まれたジェイムズ・ボーセニューは、アメリカ合衆国国家安全保障局の情報分析官として勤務した経験を持ち、戦略防衛関係の著作もある。本書でイスラエルを舞台としたロシア、中東、イスラエル・ゲリラの死闘がディテール豊かに描かれるのは、そんな経験ゆえのことだろう。一九八〇年には共和党の下院議員候補としてアル・ゴアと議席を争ったこともあり、こうした政界とのパイプが、国連内部のパワーゲームを描く後半のパートに活きている。
 デッカー同様、テネシー州ノックスヴィルのローカル紙に(発行人でもあるが)多数の記事を寄稿、はじめての小説作品が《キリストのクローン》三部作だった。ちりばめられたキリスト教にまつわるトリビアから、一見すると『ダ・ヴィンチ・コード』に影響を受けて書かれたもののように思われるが、発表はそれにはるかに先立つ一九九七年。小出版社Selective Houseでまず刊行されたのち、『ダ・ヴィンチ・コード』が刊行された二〇〇三年に大手のWarner Booksから再刊行された。
 そんな著者ボーセニューはキリスト教についてどういうスタンスでいるのか。ネットで検索すれば、そのあたりを著者自身が語るインタビュー記事などが容易に見つかる。しかし、強烈な驚愕が仕掛けられた第二作、第三作のショックを損なう可能性があるので、本稿では記さずにおきたい。それくらい、続く二作は大胆不敵な物語になっているのだ。
 本書『キリストのクローン/新生』は、キリストのクローンたるクリストファー・グッドマンがヒーローとして活躍できる地位を得るまでの物語だった。すでに十分世界は暴力的なカオスになっているが、これが第二作に入るとさらにエスカレートする。「黙示録」の世界が一挙に本格的に顕現するのだ。そこでクリストファーが明かす自身の「役割」。驚天動地とはこのことだろう。これを読めば、なぜボーセニューが本書のまえがきにあんなことを書いたのか理解できるだろう。おそろしく大胆というか挑発的なのです。
 そして、それを引き継ぐ第三作。暴虐と悲惨に覆われた暗黒の世界のただ中で告げられる真相たるや! 読者はここで、第一作にはじまる物語がまったく別のものに変じるのを目にすることになるはずだ。それは第三作の原題どおり、「神の御業 Act of God」の空恐ろしさを余すことなく描くものだと言っていいだろう。
 刊行を鶴首してお待ちいただきたい。

(2010年10月)

編集部追記:第二作は『キリストのクローン/真実』として創元推理文庫より2011年6月刊行された。

霜月蒼(しもつき・あおい)
慶應義塾大学推理小説同好会OB。ミステリ研究家。


海外SFの専門出版社|東京創元社

SF奇書天外REACT【第5回】(2/2)[2010年10月]


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 全体的に、SF的な部分よりも自動車がなくなった世界に生きる市井の人々を描くのが主眼となっている。姉さん女房の話「へら」などがいい例だろう。イラストも彼らの姿ばかりが描かれており、SFっぽいものはほぼ皆無。
 我が国では一九七〇年代前半、光化学スモッグをはじめ自動車排出ガスによる公害が問題となっていた。そして排出ガスを規制する法律が進められていたのが七〇年代半ば。本書は、そういう時期に書かれたもの。作品のあちこちに散りばめられた作者の本音を読み取ると「自動車は便利なんだから、少しぐらいマイナス面があってもいいじゃないか」というもののようだ。だから「自動車がなくなるとこんなに不便になるぞよ」という側面が、これでもかと強調される。
 作者の土岐雄三(一九〇七―八九)は、銀行家を経て執筆活動に入った作家。ユーモア小説を得意とし、『カミさんと私』(講談社/一九五八年)は、テレビドラマ化もされて評判になったという。映画化された作品も何作かある。山本周五郎に師事し、『わが山本周五郎』(文藝春秋/一九七〇年)などの著作あり。
 一方で〈新青年〉〈LOCK〉〈宝石〉など、探偵小説系の雑誌にも作品を発表。日本推理作家協会の会員ではなかったが、その前身である探偵作家クラブには所属していたらしい。ミステリのアンソロジーでは鮎川哲也編『猫のミステリー傑作選』(河出文庫/一九八六年)に「猫じゃ猫じゃ事件」が採録されている。
小学六年
〈小学六年〉
 そんなわけで探偵小説的なものは書いているが、少なくとも本作を読むとSFを書くのは不慣れな感じがしたので、SF系の作品はもうないだろう、と思っていた。ところが調べてみると、双葉書店の〈小学六年〉という雑誌(小学館の〈小学六年生〉とは別物)の一九四九年七月号から『透明人間』という小説を連載しているではありませんか! ウェルズのリライトだろうけれども、舞台を日本に置き換えたりしているかもしれないし、現物を見ておきたい。国際子ども図書館に該当号が収蔵されていることが判明したので一時は喜んだものの、デジタル化作業中で閲覧不可だという! なんというアンラッキー。
 ヤケクソになって検索していたら、ちょうど第一話を掲載した号をネット古書店で発見。今度は愛知県の古本屋だ。ああ素晴しき(以下略)。これはもう買うしかない、と注文。無事に入手し、読み始めてみると……なんてこった。リライトどころか、これ、全くのオリジナルだよ!
 主人公は、速雄少年と妹の葉子。新聞社員の荘三おじさんから、有名な博士が透明になる薬を発明したという話を聞く。荘三おじさんが博士の住む屋敷へ取材に行くというので、兄妹は助手として連れて行ってもらうことになった。屋敷の扉は、中からひとりでに開く。中へ入ると、人はいないのに足音が聞こえる。
透明人間・口絵
『透明人間』口絵
 案内の声に従って、部屋に入る三人。その時、葉子が声を上げて飛び上がった……というところで、(次号へつづく)。うわあ、これは続きを読みたいよ。それに、とても気になることがひとつ。本作のツノ書きは“探偵小説”となっているのだ。だからもしかすると、本当の透明人間は登場せず、なんらかのトリックである可能性がある。勿論、探偵小説であると同時にSFである海野十三の一部作品と同様にカテゴライズされることになるのかもしれないし。……国際子ども図書館の〈小学六年〉デジタル化作業が終了したら、確認してご報告いたします。
 また、土岐雄三は他にも少年少女向け雑誌に色々と執筆している模様なので、これ以外にもSF系作品があるかもしれない。
 一旦『車のない街』に話を戻そう。版元の鷹書房は、内多毅『イギリス市民社会と現代文明』のように固そうなタイトルの本から、宇野哲二『地下のUFO海のUFO』といった超常現象本やF・レンジェル『背徳学校』のようなポルノまで、幅広いジャンルを刊行した出版社。現在、英文学研究書や英語テキストを中心に出している鷹書房弓プレスという版元があるが、その前身となった模様。(関連する��弓書房�≠ニ合体して鷹書房弓プレスになった、というところらしい。)
 装画及びイラストを描いているのは、岡部冬彦(一九二二―二〇〇五)。ナンセンス漫画『アッちゃん』『ベビーギャング』の作者として知られるが、その娘(のひとり)が、SF者には御馴染みのイラストレーター、水玉蛍之丞さんというのは、有名な話。
 絵本のイラストも描いており、《岩波のこどもの本》の『ちびくろ・さんぼ』『きかんしゃやえもん』などは、一度は目にしたことがある方も多いだろう。
漫画読売
〈漫画読売〉
 その岡部冬彦も、実はSF小説を書いたことがある。〈週刊読売別冊 漫画読売 第四号〉(一九五六年九月二〇日号)は「宇宙七つのナゾ」という特集号で、その冒頭を飾る「火星のヒミツ」は岡部冬彦によるSFで、漫画ではなく小説なのだ(本人によるイラスト付き)。
 ある日、作者はノートを拾った。それは地球そっくりの星・もうひとつの地球に住むオカベフユヒコのものだった。オカベフユヒコはやっぱりマンガ家なのだが、火星生命体の親玉の取材に行くことになった。ロケットで宇宙旅行し、火星に到着。火星人は地下に都市を築き、熱核反応炉を持つほどまで科学文明を発達させていたが、炉の事故が原因で衰退し、今では滅び去っていた。火星人は大きな昆虫を人口淘汰し、労働作業を行わせていたのだが、それらが生き残って都市の整備を続けていた……。科学者に取材して書かれたものなので、火星上の描写や昆虫に関する考察などが案外としっかりしている(「もうひとつの地球」がどこにあるのかという問題は別として)。
火星のヒミツ
「火星のヒミツ」
 本号の特集では他にも、『忍術武士道』など時代物漫画で知られる荻原賢次の「銀河系宇宙の最期」(銀河系宇宙が反陽子の暗黒星雲と衝突するかも、という騒動)などを掲載。特集は基本的に宇宙の謎に迫るルポルタージュとして書かれているので、小説仕立てでないものもある(というか、そちらの方が多数派)。更に特集とは別立てで、『フクちゃん』で知られる横山隆一のSF絵物語「空想小説 ぼくは火星人」(地球人に化けて潜入している火星人の視点から描いたお話)も載っている。
 この時期(一九五六年)にどうしてこんな特集が組まれたかというと、火星が地球に大接近して話題になった年だったのです。特集には六人の科学者が協力しており、ロケット工学の糸川英夫や、宇宙旅行研究の原田三夫らが名を連ねている。
 岡部冬彦の代表作となるマンガは家庭や日常生活に密着したネタがメインだけに、このような作品を書いていたのは意外に感じられるが、よく考えてみれば彼はマンガ家やイラストレーターとしてだけでなく、科学ジャーナリストとしても活躍していたのだ。特に飛行機や鉄道が大好きで、『国鉄ものがたり』(東京堂出版/一九七四年)、『岡部冬彦のヒコーキばんざい』(青蛙房/一九九一年)などの著作もある。息子の岡部いさく氏が軍事研究家となったのも、そんな父親の影響があるのだろう。
 もしほかにも岡部冬彦SF(もしくは岡部冬彦がイラストを描いたSF)があるようでしたら、是非教えて下さいね、水玉さん。
 さあて、それじゃあ『SF図書解説総目録』をまたゆっくりと眺めることにするかな。

 

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(2010年10月5日)

●北原尚彦「SF奇書天外REACT」の連載記事を読む。
第1回第2回第3回第4回第5回第6回


北原尚彦(きたはら・なおひこ)
1962年東京都生まれ。青山学院大学理工学部物理学科卒。作家、評論家、翻訳家。日本推理作家協会、日本SF作家クラブ会員。横田順彌、長山靖生、牧眞司氏らを擁する日本古典SF研究会では会長をつとめる。〈本の雑誌〉ほかで古書関係の研究記事を長年にわたり執筆。主な著作に、短編集『首吊少女亭』 (出版芸術社)ほか、古本エッセイに『シャーロック・ホームズ万華鏡』 『古本買いまくり漫遊記』 (以上、本の雑誌社)、『新刊!古本文庫』 『奇天烈!古本漂流記』 (以上、ちくま文庫)など、またSF研究書に『SF万国博覧会』 (青弓社)がある。主な訳書に、ドイル『まだらの紐』『北極星号の船長』『クルンバーの謎』(共編・共訳、以上、創元推理文庫)、ミルン他『シャーロック・ホームズの栄冠』 (論創社)ほか多数。

北原尚彦『SF奇書天外』の「はしがき」を読む。


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