Web東京創元社マガジン

〈Web東京創元社マガジン〉は、ミステリ、SF、ファンタジイ、ホラーの専門出版社・東京創元社が贈るウェブマガジンです。平日はほぼ毎日更新しています。  創刊は2006年3月8日。最初はwww.tsogen.co.jp内に設けられました。創刊時からの看板エッセイが「桜庭一樹読書日記」。桜庭さんの読書通を全国に知らしめ、14年5月までつづくことになった人気連載です。  〈Webミステリーズ!〉という名称はもちろん、そのころ創刊後3年を迎えようとしていた、弊社の隔月刊ミステリ専門誌〈ミステリーズ!〉にちなみます。それのWeb版の意味ですが、内容的に重なり合うことはほとんどありませんでした。  09年4月6日に、東京創元社サイトを5年ぶりに全面リニューアルしたことに伴い、現在のURLを取得し、独立したウェブマガジンとしました。  それまで東京創元社サイトに掲載していた、編集者執筆による無署名の紹介記事「本の話題」も、〈Webミステリーズ!〉のコーナーとして統合しました。また、他社提供のプレゼント品コーナーも設置しました。  創作も数多く掲載、連載し、とくに山本弘さんの代表作となった『MM9―invasion―』『MM9―destruction―』や《BISビブリオバトル部》シリーズ第1部、第2部は〈Webミステリーズ!〉に連載されたものです。  紙版〈ミステリーズ!〉との連動としては、リニューアル号となる09年4月更新号では、湊かなえさんの連載小説の第1回を掲載しました(09年10月末日まで限定公開)。  2009年4月10日/2016年3月7日 編集部

北原尚彦「ウェルズの時代に書かれたゴルフSF『21世紀のゴルフ』 」――SF奇書天外REACT【第10回】(1/2)[2011年4月]


◆SF古書と生きる。ひそかに人気の古書探求コラム
前回が合気道SFで、今回がゴルフSF。
世の中には、ほんとに色々なSFがあるものだなあ。


北原尚彦 naohiko KITAHARA

 

●これまでの北原尚彦「SF奇書天外REACT」を読む
 【 第1回第2回第3回第4回第5回第6回第7回第8回第9回

 

 

『SF奇書天外』では、二十世紀(終戦後)のSF奇書を扱った。年代ごとに分けたので、最後は当然ながら九〇年代。しかしこの「年代」というのがクセモノで、「世紀」の分け目と一年ズレてしまうのだ。要するに二〇〇〇年は二十一世紀最後の年でありながら、ゼロ年代最初の年になってしまうのだった。
 それゆえ、『SF奇書天外』では二〇〇〇年刊行のSF奇書は扱わなかった。一方この『SF奇書天外REACT』は、なしくずし的に戦前アリ、二十一世紀アリと何でも来い状態。だから、かつては泣く泣く見送った「二〇〇〇年本」を、今度こそ紹介できるのだ。
 そんな一冊が、J・マックロウ 『復刻版 21世紀のゴルフ』(福島敏太郎訳/旺文社/二〇〇〇年)である。『SF奇書天外』連載当時は、これに全く触れずにいることはどうしてもできなくて、「これが推理小説? 『淫神邪教事件』」の回で、話のマクラに使わせてもらった。単行本化の際には、編集K氏も「この本、すごく気になるなあ」と興味を示してくれていた。
復刻版 21世紀のゴルフ
『復刻版 21世紀
のゴルフ』
 この本の刊行に気づいたのは、実は新刊書店でのことではなく、古本市でのことだった。それも早稲田大学の構内で定期的に開催される、さほど規模の大きくない古本市だ。外出するついでがあったので、まあ寄り道するかな、と覗いたのである。
 見つけた際には、タイトルは気になったものの、さほど中身に期待はしていなかった。二十世紀社会においては『21世紀の…』というタイトルの本は、SFか何かしらの未来予測要素のあるものだった。たとえば西村京太郎 『21世紀
のブルース』
とか。 だがその古本市が開かれていたのは、もはや二十一世紀に入ってしまった二〇〇一年のこと。だから、『21世紀の…』というタイトルの「SFではない本」が、既に新刊書店にごろごろしていたのだ。
 しかし念のため、と手に取って、開いてみて驚愕。これがしっかりSFだったのだ。しかも原作が書かれたのは一八九二年だという。H・G・ウェルズの時代じゃん!
 邦訳刊行年を見てまたびっくり。見つけた時点の前の年に出ていたのに、新刊書店では全く気づいていなかったのだ。
 版元は、文庫その他で割と熱心にSFを刊行してくれた旺文社。旺文社文庫の撤退と同時にSF出版からも徹底してしまった感もあったが、ひっそりとこんな本を出してくれていたのだ。
 そう、正にひっそりとだった。わたしだけでなく大多数のSF関係者は、この本が出ていたことすら気づいていなかったのだ。実例として挙げさせて頂いてまことに恐縮だが、SF書誌研究家の星敬氏でさえ、ご存じなかったのだ。
 入手したわたしは、あっという間に読み終わってしまった。ゲテモノかと思いきや、これが予想以上に面白かったのだ。
 主人公アレキサンダー・ジョンソン・ギブソンは、ヴィクトリア朝の男性で、ゴルフ好き。一八九二年のある日、彼はごく普通にベッドについた。だが目覚めてみると、なぜかベッドではなく箱に入っていることに気が付いた。しかも、やたらと長い顎鬚が生えている。球形の風呂桶で溺れそうになった後、見つけた服に着替えていると、一人の男性が現われ、動き回っているギブソンを見て大いに驚く。そして現在は二〇〇〇年であることを教えてくれたのだ。
「二〇〇〇年は二十世紀最後の年だから、二十一世紀じゃないじゃん。看板に偽りあり!」と思ってしまうが、当時の人の認識では「ゼロゼロ年」が新世紀の始まりだったのだ。昔の人のことゆえ、ご寛容に願います。
 その男性アダムズによると、彼が十年前に家を買い取った際、家に眠っている人間をそのままにしておくこと、定期的に医者に見せることが付随条件になっていたのだという。ギブソンは仮死状態にあったわけではなく、眠っていた間も身体は温かかったのだ。そしてギブソンの母が残した封筒には手紙が入っており、ギブソンが昏睡状態に陥って蘇生措置を行ったけれども目覚めなかった旨が記されていた。
 アダムズがギブソンの髭に瓶から出したブラシを走らせると、髭がなくなった。これは現代の電気シェーバーのようだが、髭を取り除くだけでなく成長を抑える作用もあるので、脱毛クリームのようでもある。
 髪の毛の長さを調節するブラシも出てくるが、これは現代の電動バリカンのようだ。
 アダムズの指輪は時計になっているのだが「6.34」という数字が表示されていたというので、これこそ現代のデジタル時計そのものだ。
 ドアは自動で開くし、照明は天井全体から電気の白色光が照らしている。後者は説明が微妙だが、太陽エネルギーを利用しているようだ。
 食事は、テーブルの上に自動的に現われるようになっている。
 廊下の壁に掛かっていたのは、絵画ではなくカラー写真だった(十九世紀には白黒写真しか存在しませんでした)。
 室内のガラス板には、遠方で上演されている芝居が映る。電波ではなくケーブルとミラーの反射によるものとシステムが説明されているが、これはもう現代のテレビジョンそのもの。
 ……といった具合に未来社会が描写されるうちに、ギブソンとアダムズはお互いにゴルフ好きであることを知り、意気投合。翌日、コースでプレーすることになった。
 プレーの場所はセントアンドルーズ。ずいぶんと遠くだが、地下を走る管状トンネル鉄道のおかげで、グレートブリテン島の端から端まで三十分で行ける時代になっていた。
 改札からエレベーターになっている部屋で降下すると、そこは長い部屋。ギブソンがいつまで待てばいいのだろうと思っていると、エレベーターで新たな客がやって来る。ふと気づくと、表示が「エディンバラ」となっている。つまりその部屋が列車であり、知らぬまにスコットランドまで移動していたのである!
セントアンドルーズに到着し、いよいよ未来のゴルフがスタートする。キャディーは機械仕掛けになっており、自動的にプレーヤーを追いかけ、ゴルフクラブを運んでくれる。
 ギブソンがスイングすると、着ていたジャケットが自動的に「フォアー」と叫び、ミスショットしてしまう(「フォアー」というのは、飛んだボールに注意するよう呼びかける言葉)。
 ゴルフクラブも未来的なものとなっており、ダイヤルが付いていて打数や飛距離を記録してくれるものや、二面のフェースがついていてバンカーから脱出し易くなっている九番アイアンなど、様々だ。後には、グリップの後ろの数字で転がる距離を調節できるパター、なんてのも出てきます。
 先述のミラー・システムによって、リアルタイムでゴルフの試合を遠方で観戦することもできる。
 プレーが終了し、未来描写がまたゴルフ以外のものへと戻る。人工降雨によって雨を降らせたり止ませたりすることができるとか、大西洋横断海底鉄道によってロンドンからニューヨークまで二時間三十二分で行くことができるようになったとか。
 またアダムズの妹が登場し、女性が男性と同じような服装をしていることや、女性が働くようになっていることが明かされる(ヴィクトリア朝英国において、女性が働くのは基本的に下層階級だけだったのだ)。アダムズの妹は、下院議員をしていた。女性が働いてくれるおかげで、男性はゴルフ三昧していられる、というわけ。
 静止画ではなく動画の人物像まで飾られていたり、本土から島へ行くのはアトラクションのようなウォーターシューターだったり。
 挙句の果てには、未来社会では戦争の代わりにゴルフの対抗戦が行われているのだった。
 一応念のために言っておくと、「全部主人公の夢でした」というオチではありませんので、ご安心を。
 なかなか正確に未来予測をしていて驚かせられる部分もあれば、奇想天外な微笑ましい部分(特にゴルフ関係)もあり、実に楽しませてくれる。「SF」という用語すらない「科学ロマンス」の時代に、既にこんなSF奇書があったということが分かり、わたしとしては非常に嬉しい。
 

SF小説のウェブマガジン|Webミステリーズ! 東京 創元社

「あなたの復刊してほしい創元推理文庫2011」応募要項



東京創元社では、毎年秋に復刊フェアを実施しています。
創元推理文庫創刊50周年を記念して、読者投票をおこなった2009年に続き、昨2010年はtwitterユーザーの意見を参考にするべく、ハッシュタグを使って「あなたの復刊してほしい創元推理文庫」を広く募集しました。
●2009年復刊フェア(2009年9月中旬より実施)
http://www.tsogen.co.jp/np/archive/fair/2009082701
●2010年復刊フェア(2010年9月下旬より実施)
http://www.tsogen.co.jp/news/2010/07/10072112.html

今年2011年も、皆さまの意見を参考にさせていただきたく、「あなたの復刊してほしい創元推理文庫」をtwitterで募集します。下記の応募要項・注意をご確認のうえ、ふるってご参加ください。

■応募方法
「復刊してほしい創元推理文庫のタイトル(書名)」を、ハッシュタグをつけてつぶやいてください。
●ハッシュタグは「 #tsfukkan11 」です。ハッシュタグのないツイートは集計できませんので、必ずおつけください。
●応募期間は3月18日(金)~4月1日(金)となります。日付が2日(土)に変わるまではツイートを受けつけます。

■注意事項
1:期間内であれば、ひとりで何作品あげていただいてもけっこうですが、集計の都合上、タイトル(書名)は1ツイートにつきひとつでお願いします(上下巻はひとつと数えます)。
2:復刊対象となるのは「かつて東京創元社から文庫サイズで刊行されていて、2011年3月現在品切れとなっている書籍」です。以下のような本は対象外となります。
  a:東京創元社以外の出版社から刊行された本
  b:東京創元社の文庫サイズ以外の本(単行本など)
  c:現在新刊で購入できる東京創元社の文庫本
※逆に、「昨年名前があがったけれど復刊が見送られた本」は対象となりますので、昨年と同じ本を再度あげていただいてもかまいません。
3:シリーズまとめての復刊は企画の性質上できませんので、ツイートの際は「○○シリーズ」というかたちではなく、その中の特定のタイトル(書名)をご指定ください。
4:人気投票企画ではないので、いちばん多く名前のあがった作品が復刊されるとはかぎりません。ご了承ください。
5:応募ツイートにつけられたコメントは、後日小社ホームページ他の媒体で使わせていただく可能性がございます。
6:そのほか不明点は@つきツイートで問い合わせいただければ、可能なかぎり返答させていただきます。

たくさんのご応募、お待ちしております。

(2011年3月18日)



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【特別公開】乾石智子『夜の写本師』[2011年3月]


 右手に月石。
 左手に黒曜石。
 口のなかに真珠。
 カリュドウは三つの品をもって生まれてきた。

数奇な運命のもとに生まれてきたカリュドウ。
大型新人が放つ、驚異の物語。
数多くの名作ファンタジーを刊行してきた東京創元社が自信をもっておくる本格ファンタジー、先行公開!
夜の写本師


1


 右手に月石。
 左手に黒曜石。
 口のなかに真珠。
 カリュドウは三つの品をもって生まれてきた。
 産婆もつとめる女魔道師のエイリャは、驚き青くなった両親をなだめて口止めをした。 そうしてそれら三つの品を深紅の木の小箱におさめ、赤子といっしょに御天守山(ごてんしゅやま)の魔道師の館に持ち帰った。
 キーナ村はエズキウムの近郊の豊かな土地である。都から村へと走る一本の道の、北側と南側に広がっている。北側にはカラン麦の畑が湖のむこうまでつづく。南側には、起きあがろうとしている一頭の馬の背のようにいくつかの丘陵がつらなり、やがては隣国パドゥキアとの境をなしている〈夕陽連山〉に変わっていく。御天守山は、丘陵の頂上にあり、その昔、パドゥキアの軍勢をくいとめるために建てられた館跡で、初夏には白い梨の花が青空にゆれ、秋には色づいた雑木林や青ブナの森の甘い香りに満たされ、冬になると深く雪が積もり、青藍石(せいらんせき)の影と水晶の光が交錯する。
 カリュドウは山羊の乳と犬のぬくもりと女魔道師の言葉で育った。年中風邪をひいただの、熱を出しただのとさんざん手をかけさせたが、九歳をすぎるころからめっきり丈夫になり、十二歳になるころには村の子どもたちとも遜色なく山野を駆けまわり、浅黒い肌と、 麦酒色の髪と目の、細身だがばねのある少年に成長した。
 村の誰が本当の親であるのかわからなかった。エイリャを「大おば様」と呼んだが、 血のつながりがないことは知っていた。人の常としては、両親を求めおのれの血のつながりを求めるものだ。しかし一切そうしたことを気にしなかった。三つの品をもって生まれたことを小さいときから聞いていたので、(もし前世というものが本当にあるのなら)前世と今をつなぐなにかのしるしであって、そのなにかのために生まれてきたのであろうことは察していた。時がくればいずれわかるだろうと思っていた。生まれてきた意味というものは、血のつながりとは一切関わりのないところで、ひらかれる本のように静かにあらわれてくるものだろうと感じていた。
 本。
 エイリャは物心つくころからカリュドウに本を与えた。カリュドウは一人ですわれるようになるころには、すでにエイリャの書庫にいた。魔道師ならではのたくさんの巻物、古い羊皮紙の束、葦(あし)紙や綿紙のつづり、上等な仔牛皮紙(ヴェラム)の書籍、木簡の山。カリュドウの最初のおもちゃだった。さらに、したたる蝋燭を気にもせず、エイリャは毎晩声に出して読んで聞かせた。わかろうとわかるまいと。カリュドウの子守唄。
 少年となったカリュドウは、その頭のなかにすでに偉大な世界を築きあげていた。マードラ語やイスタイル語、パドゥキア文字、イスリル文字と、世界中の言葉が宙を飛びかい、文字がおどった。内容も多岐にわたった。ひと粒の種子の名前から草花の種類、一個の石に含まれる生成物から城砦の建築法まで。岩塩の生産地の坑道の掘り方から今着ている服の仕立て方も。自国エズキウムの歴史から世界の果ての南方の国々の政情も。十二歳もあと数日で終わるころには、晩秋のキーナ村の小道を、エイリャの代理として調合した薬をわたして歩き、相談事にのったりもしていた。
「あの子のなかには年をとった知恵者がいるみたいだねえ。あたしらよりはるかに年をとった人がね」
と齢九十になるアメアル婆さんが、もぐもぐ口を動かして、ようやく考えを口に出す。
「遊んでいる様子なんかは、まるっきり子どもなのに、病人を診るとなると、顔つきはまるっきりおとなだぜ。うちの坊主よりひとつ年上なだけなのにな」
と賞賛と少しの哀れみをまぜた口調で梨作り名人のクレールは言う。
「薄気味悪いやつだ」
 と十五歳のスパニーグは唾を吐いて足元の草を蹴り、敵愾心をあらわにする。
「あの目つきが気に入らねえ。こっちのことをなにもかもお見通しって目で見やがる。殴ってやってもいいんだけどな、あとでなにをされるかわからねえ。いまんとこはエイリャがおさえてるからおとなしくしてるが、あいつの腹のなかは真っ黒な魔道師そのものだ」
 なにはともあれ、キーナ村の住民は、エイリャは後継者となる少年を育てていると信じていた。
 当のカリュドウは誰にもなにも心のうちを語らなかったが、ひとつ年下の村の少女フィンがエイリャと同じくらい上手に動物たちを手なずけ、あやつるのを見るにつけ、後継ぎは自分ではないと思うのだった。そのことはぐらぐらゆれる大岩に立つような不安定さを彼の内側にもたらした。フィンへの憧れと怖れが、きらめく泉がもたらす光と影のように、彼の心をしとどに濡らした。フィンは首の細い、漆黒の瞳をもった内気な女の子で、その外観も大きなとまどいのもとになった。
 エイリャは、突然不機嫌になったり快活にしゃべりだしたりするカリュドウの視線の先をたどり、やがて問題のありかに気づいた。
 そこで十三回めの誕生日の夜、林檎(りんご)の木のはぜる暖炉のそばに彼を呼んでさとした。
「フィンを護っておあげ。あの子の魔力はこの御天守山の根とつながっている。あの子はやがて、ここを護る占い女になるだろうよ」
「占い女? 魔道師ではなく?」
「あの子は魔道師にはなれない。アンジストがいるかぎり。あいつの目にふれたら殺される」
「アンジストって……」
 エズキウムの支配者の名が突然出てきたので、カリュドウはぽかんとした。国中を統すべる偉大な魔道師、世界一の魔法使い、首都エズキウムを五百年にわたって護ってきたアンジストがなぜフィンを殺すのだろう。
「しっ」
とエイリャは警告した。
「ともかく、 女は魔道師にはなれない。今度くる 〈収穫めぐり〉ではあの子を魔道師どもの前に出してはいけない」
「じゃ、ぼくは?」
「おまえの役目はフィンを護ること」
「そうじゃなくて、そんなことを聞いているんじゃなくて――」
 もどかしげに身体をゆすると、エイリャは両手で彼の顔をはさんだ。鳶色(とびいろ)に緑の斑(まだら)が浮く不思議な目をしている。
「答えは、いつか、おまえ自身の手でひらく本のなかにあるよ」
 それ以上のことを聞きだすことはできないだろうとカリュドウは悟った。エイリャの、夏の木洩れ日のような瞳には、断固としたなにかがあって、一枚板の大きな樫(かし)の扉のように、秘密をしっかりとその奥にとじこめている。
「その日はいつくるの?」
 仕方なくカリュドウは別の質問をした。
 エイリャは諦念にも似た微笑を浮かべた。
「十年後かね。二十年後かね」
 カリュドウはためいきをついた。そんなに待たねばならないのか?
「で、その本は? なんていう本? どこにあるの?」
 エイリャは彼からはなれると暖炉の火をすくいとった。節くれだって皺の深い両手のあいだで、炎はしばらくもがいていたが、やがてあきらめたようにおとなしくなり、深紅の革の表紙をもつ大きな本を形づくった。
「それが――?」
「よくお聞き、カリュドウ。いい機会だと思うから、話しておこう。一度きりしか言わないよ。これがおまえの本だ。『月の書』という。魔法がかかっていて、おまえしかひらくことができない。しかもひらくには鍵が必要だ。さらにこの本は、自分で姿をくらますことができる。つまり、時がきて、おまえのなかの新月が育って力をもたないかぎり、姿をあらわさない。ほかのものがたまたま手にとったとしても、興味をまったくひかない、つまらぬ小さな本にしか見えない。どんなに魔力のあるものでもなにも感じず、書架に戻すだろう。けれどおまえが手にすれば、三人の魔女たちの運命の重さを感じることになる」
 エイリャが重さに耐えきれなくなったように両手をぱっとはなした。炎の本は四方八方へ火の粉となって飛び散り、あとには黒々とした闇が残った。揺り椅子に腰をおろし、大きく吐息をついた女魔道師の膝のそばに、カリュドウはひざまずいた。
「意味がわからないよ、大おば様。 鍵ってなに。なんでぼくのなかに新月が育つの。三人の魔女ってだれ。ねえ、大おば様」
 エイリャは片目だけあけてじろりとにらみ、
「おば様とおよび」
 と凄む。しかし幼いときからくりかえしてきたことなので、カリュドウにはきかない。 二、三度揺り椅子を動かすカリュドウに、面倒くさそうに口をゆがめて言った。
「あたしにも全部わかっているわけじゃないよ。おまえが生まれたときから、あたしなりにいろいろ調べたさね。あっちの文献、こっちの巻物、親しい魔道師仲間、伝説をその片耳の裏側に縫いこんで野山をはねまわる獣たち。御天守山の頂上の杉の木にさえ聞いてみたさ。誰も確かなことは知らなかった。長い長い糸口をさがすように、時をはるかにさかのぼらないと見えてこないらしい。その糸の先は秘密の暗い瓶のなかにおしこめられている。でも焦りなさんな。言ったろう? 待っていればそのときがくるよ。あたしはおまえには村の魔道師として安穏に一生をおくってほしいよ。だから、その時なんかきてほしくないけれどね」
 次の日からカリュドウは、エイリャがしたようにありとあらゆる書物をひっぱりだしてきて、自分の出生に関わるなにかをさがしはじめた。しかし彼には、頼りになる魔道師仲間の助言も、言うことを理解してくれる山野の獣もおらず、本と本の谷間ではなにひとつ得るものがなかった。探索は一年におよんだが、月が十三回姿を変えてめぐったあと、とうとうカリュドウは女魔道師の言葉に屈服する。その時がくるのを待つ、と。
 しかしその探索は、求めているもの以外のほとんどあらゆることを知らせてくれた。幼いがゆえにそれまで目が届かなかったエズキウムの政治や機構、魔道師同士の友情の実体、人生の裏には、かくされたたくさんの暗い川が流れていることなどを、読みとることができるようになっていった。
 キーナ村はエズキウムに属している。エズキウムは西に大海をはらんだ大陸のほぼ中央に位置す。千年のあいだ、他国の侵略の危機にさらされてきた。しかし一度も屈服したことがない。他国からは〈嘆きの地〉として知られる。堅固な街壁をもつ首都エズキウムと塩の街オイル、それにたくさんの近郊の村々。治めるのは首長会議と魔道師どもの協議会。しかしそれは表むきのことで、実際にすべてを手中におさめて支配しているのは魔道師長アンジストである。アンジストは五百年ほど前の〈エズキウム大戦〉で難攻不落の街壁を建造したエズキウムの守護者だ。他国からの魔道師の流入をふせぐ目的で、街壁に魔法をかけたという。以来一人たりともエズキウムに他国の魔道師が入ることはかなわなくなった。大戦後、名声を高め、以来第二次エズキウム大戦でもマードラやパドゥキアなどの南国連合からこの地を死守してきた。南の二つの大国をたたいたあと、 平和が百年つづき、エズキウムに繁栄をもたらした。それは一般庶民にはありがたい陽光となったが、魔道師どもには旱魃の強烈な陽射しとなったらしい。権力争いと謀術呪殺が日常茶飯事、とうとうこの混迷に堪忍袋の緒が切れたアンジストと四人の大魔道師によって〈粛清〉がおこなわれ、忠誠と服従を誓わなかった魔道師は根絶やしにされたという。そればかりではない。三年に一度の〈魔道師狩り〉と八年に一度の〈収穫めぐり〉で、地方の魔道師 〈検査〉を受け、魔道師の卵になりそうな子どもたちは早々とエズキウムに連行されて教育を受けることになったとか。こうしてさらに平穏と安逸の果実がたわわにみのった。エズキウムはさらに栄え、村々は収穫に酔い、アンジストと魔道師たちは、守護者として大いに人気を博した。しかしカリュドウは、熟した果物が内側から腐っていくことを学んでいった。魔道師どもはふたたび傍若無人のふるまいにおよぶようになり、忠誠を誓ったはずのアンジストの権力の座を虎視眈々とねらうようになった。仲間うちでの暗く醜い争いが再燃し、アンジストの足元をさえ焦がしはじめている。
「魔道師の役割は人々の日々の生活を助けること」とエイリャはカリュドウに教えたが、その言に従うのは権力に縁のない地方の魔道師たちばかり。中央の〈実力者〉たちは、人々の訴えなどには耳を貸さず、賄賂をうけとる袖ばかりが長くなっていった。

〈収穫めぐり〉の魔道師たちがキーナ村にやってきたのは、冬のはじめだった。ある寒い夕刻のこと、不意に館中に身体中の毛が逆だつような空気が満ちた。不審に思ったカリュドウが書庫から這いだすと、目の前に四人の大魔道師が立っていた。
 小太りできんきんした声を出す男、二本欠けた指以外の指に、それぞれ二つずつ宝石をつけた男。眉毛のやたら太い男と、栄養の足りない白樺のように背の高い男。いずれもみな若く見える。だが見かけとは裏腹に、エイリャ同様、御天守山の礎と同じくらい年をとっていて、二つの魔道大戦を生き残ったつわものばかりだと直感した。
 すぐに村中の子どもたちが集められた。七歳から十五歳まで、エイリャの広間に並べられ、さわられたり質問されたりした。子どもたちは生まれてはじめて見るエズキウムの四大魔道師に怖れをなし、ふるえて立ちつくすばかり。カリュドウでさえ、彼らの身体から発せられる冷たく暗い異様な空気に、言葉もなかった。しかしそのなかに、フィンの姿はなかった。
 魔道師たちは来たときと同様に、いつのまにか姿を消していた。子どもたちは誰も選ばれなかった。おとなたちはわが子がエズキウムに連れ去られることもなく、エイリャの後継ぎのカリュドウをとられることもなかったので、大いに満足し、安心した。カリュドウは拍子ぬけもし、ほっとしてもいた。
 ともかく、誰もフィンのことを思いださなかったのは、エイリャがなにか呪まじないをかけたからに違いなかった。

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