第一次大戦の戦勝に沸き、都市を中心に新しい文化の発揚が顕著だった1920年代のアメリカでは、それまで大部分が、イギリスのものか、そのイミテイションであったミステリを、自分たちのものに取り戻そうとする動きが起きました。そのひとつは、ダシール・ハメットを先頭として、ブラック・マスクを中心に発生したハードボイルドミステリでした。そして、その動きとほぼ平行して登場した彗星が、ヴァン・ダインという作家でした。
ヴァン・ダインについては、ジョン・ラフリーによる評伝『別名S・S・ヴァン・ダイン』も翻訳されて、その経歴や、ミステリについての意識が、修正を余儀なくされました。有名な謎解き小説6冊限界説も、なんらかの根拠があってというよりは、そのあたりで本人が金稼ぎを打ち止めにする予定だったという気配が濃厚です。ハメットもヴァン・ダインもともに、アメリカの現実を背景にしたミステリを書いたというと、同じものを背景にしながら、その両者の違いに戸惑うことになるかもしれません。しかし、このころのアメリカが、矛盾と不平等に満ちた、それも剥き出しのままに満ちた社会であったことを、忘れてはなりません。ある面で所得配分政策でもある、アメリカ史上画期的な政策ニューディールが始まるのは、ふたりの登場から10年近くの時を待たなければなりません。
もちろん、ハメットとヴァン・ダインとでは、作家としての実力に雲泥の差があります。ハメットはワン・アンド・オンリーのパイオニアですが、ヴァン・ダインは後続の才能溢れる作家に、すぐに追い抜かれることになりました。大不況の始まる1929年に登場し、ヴァン・ダインの凋落と入れ替わるようにして、謎解きミステリのスタンダードを確立した作家、エラリー・クイーンです。
クイーンの処女作『ローマ帽子の謎』の新訳が出たので、40年ぶりで再読してみました。最後に謎解きをするのが、父親の警視であることなど、すっかり忘れていて、微笑ましかったのですが、この小説が苦しいのは、警視が難しい事件だとくり返すわりには、その難しさが伝わってこないところにあります。処女作には往々にしてあることですが、読者に真相を見破られることを過度に恐れているのでしょう。小説の進行とともに、謎が深まったり、解けていったりすることがないのです。読者への挑戦を挟むということは、単なる趣向を超えて、ファアプレイというパズルストーリイに特徴的な概念を強調することになりました(ついでに言えば、この概念を文学的に評価したところが、評論家・笠井潔のもっとも大きな貢献だと、私は考えています)。しかし、一方で、謎解きミステリを問題編と解答編に分けてしまう弊害もあって、問題編を妙にスタティックにしてしまう傾きがある。ヴァン・ダインの『ベンスン殺人事件』にも、そういうところがありますから、謎解きミステリの陥りやすい穴と言えるかもしれません。ヴァン・ダインは連続殺人を導入することで、それを解消しました。ただ、それは抜本的な解決ではありませんでした。そのことは、同じ行き方をしたように見える、クイーンの『エジプト十字架の謎』を見れば明らかでしょう。『エジプト十字架の謎』の中盤を支えているものは、不気味な連続殺人でもなく、ラスト近くの追跡劇でもなく、首なし死体が増えていくことで、容疑者の範囲に変化が起き、謎解きの状況が刻々変わっていくその一点なのです。そして、ヴァン・ダインに決定的に欠けていたもの――鮮やかな推論の魅力が、『エジプト十字架の謎』にはあります。そう、たったひとつのヨードチンキ瓶から展開されるクイーンの推理です。
ヴァン・ダインやクイーンが長編小説で世に出たのは、謎解きミステリが長編の時代に入っていたということのほかに、ふたりが短編でデビューできる適当な雑誌媒体がなかったという事実があります。パルプマガジンに行くには、ふたりの狙った読者層は、やや教養が高めだったのでしょう。あるいは、ハメットやグルーバーのように、切羽詰ってはいなかったと言えるかもしれません。ヴァン・ダインには、そもそも、自身に啓蒙家としての自覚と、啓蒙することで支持が得られ、その支持が経済的な成功に繋がるという楽観的な思想があったようです。それに、ミステリを書くこと自体、恥じていたようなので、パルプマガジンに書くなど論外でしょう。ヴァン・ダインよりは現実的なクイーンは、デビューしてまもなく、スリックマガジンに短編を売り込もうと考えました。フランシス・M・ネヴィンズJr.の『エラリイ・クイーンの世界』には「エージェントに唆されて」となってはいますが、そのあたりのことも書かれていて、結局は失敗に終わり「エラリイが活躍する最初の短編はあまり続かなかったパルプマガジン(ドロシー・セイヤーズ、アール・デル・ビガーズ、それにサックス・ローマーの短篇もいっしょに載っていた)に掲載されただけで、わずか三十五ドルの収入にしかならなかった。これをダネイとリー、それにエージェントで分けたのである」とあります。1933年のことでした。その短編は「一ペニイ黒切手の冒険」。のちに『エラリー・クイーンの冒険』に収められることになります。
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