――パルタージュ partage とはフランス語で「分割」「共有」「分有」の意。
小林秀雄は〈美しい「花」がある、「花」の美しさという様なものはない〉と書いたが、想像力というようなものはなく、あるのはただ、個々の想像だけだとも思う。
それでもなお、想像力(を分有すること)をこの文章の目的に置いて、インタビューを含む取材を始めたい。予定しているインタビュイーはそれぞれの領域の最前線におられる方たちであり、そこはまさに想像と想像力の境界線なのだから。そしてこれまで同様、これからのSFの言葉もまた、その線の上に存在するに違いない。
第5回 幽霊のいる多宇宙――講談の世界から
高島 雄哉 yuya TAKASHIMA(写真=株式会社影向舎、著者/カット=meta-a)
●これまでの高島雄哉「想像力のパルタージュ 新しいSFの言葉をさがして」を読む 【第1回】 【第2回】【第3回】【第4回】
この夏、七月二十二日から九月十三日まで、東京藝術大学美術館では三遊亭圓朝の幽霊画コレクションを中心とした展覧会「うらめしや~、冥土のみやげ」展が開催中。会場では今回のインタビュイーである一龍斎貞水(いちりゅうさい・ていすい)先生の〈立体怪談〉の映像が流されている。この世ならざる存在を表現するための様々な試行錯誤を涼しく追体験できるはずだ。詳細はこちら。
(本連載の「第4回 想像の特異点――将棋の論理と取材の言葉から」でお世話になりました松本博文さんの著書『ルポ電王戦』が第27回将棋ペンクラブ大賞の文芸部門で大賞を受賞されました。おめでとうございます。)
修善寺(しゅぜんじ)に行ったのは二〇一一年の八月のことだった。
伊豆市修善寺には、修禅寺という寺がある。漢字が違うだけで、読みは同じだ。修善寺は温泉街の一つで、真ん中を東西に修善寺川が――地元の人は桂川と呼ぶ川が――流れている。
旅のきっかけは、講談師で初の人間国宝になられた一龍斎貞水(いちりゅうさい・ていすい)さんだった。
修禅寺の本堂で人間国宝の講談師が怪談を語るという、怪談好きな我々夫婦にとって、何とも魅惑的な公演のポスターを妻がどこかで見かけたのは公演前日の昼だったが、幸い修善寺の旅館の部屋が取れて、ぼくたちは身支度もそこそこに出発し、夕方には修禅寺の山門前の足湯に入っていた。
その日は、一九一〇年に夏目漱石が修善寺温泉を訪れたのと同じ八月六日で、他愛もない偶然だと思いつつも、漱石の愛読者としては中々に感慨深いものがあった。このとき漱石は持病である胃潰瘍の療養のために逗留していたのだが、次第に病状が悪化し、同じ月の二十四日には「忘れべからざる八百グラムの吐血」をして死線を彷徨い、結局十月十一日まで滞在――というよりは安静のために動けず、帰京後もしばらく入院することになってしまった。
ただ、漱石は修善寺の日々を後に懐かしく感じていたようで、帰京後に日記を元にして随筆『思い出す事など』を書いている。ある日には旅館の床で、当時アメリカで出たばかりの哲学書『多元的宇宙』A Pluralistic Universeを原文で――漱石だから当然だが――読み終えて、その随筆で「余の病中に、空漠なる余の頭に陸離の光彩を抛(な)げ込んでくれた」と評している。『多元的宇宙』を書いた哲学者ウィリアム・ジェイムズはアメリカの心理学の祖とも言われる人物で、弟はヘンリー・ジェイムズだ。漱石は弟ヘンリーについても同書で「有名な小説家で、非常に難渋な文章を書く男である」と書いている。
兄ウィリアムは、人間の思考や意識そして主観は論理的に分節化できるものではなく、様々な感情を含む一連の流れなのだとする〈意識の流れ〉という心理学上の学説を提唱したことでも知られ、弟ヘンリーはそれを「ねじの回転」などに取り入れて、人物の内面の時間変化を精緻に描いた。この小説技法を用いると、しばしば話の筋とは無関係な、非論理的な方向に思考が流れていくために、漱石のように「難渋な文章」と感じることもあるけれど、それは同時に人物を多角的に描くことに繋がるし、筋が複雑に絡み合いながら複線化するため、小説内世界は多層化する。だからこそ漱石も、〈意識の流れ〉の技法を『坑夫』などで用いているのだ。漱石は他にも兄ウィリアムの本を修善寺以前から読んでおり、〈意識の流れ〉もヘンリーの小説からではなくウィリアムの心理学書から学んだのだろう。それにしても、重篤な病の床にあっても勤勉な漱石は読書を欠かさなかったのだった。
『多元的宇宙』における〈宇宙〉というのは、一人一人が認識する世界のことだ。それが集まって一つの〈多元的宇宙〉を形成していると考える。
これはSFでも同様だろう。多元的なSFが存在するのであって、すべてが一様に融け合うということは決してなく、しかし何らかのメタ的な類似性が感じられるのも確かだ。
これは、ウィトゲンシュタインの『哲学探究』において示された〈家族的類似性family resemblance〉という概念によってある程度は説明できるかもしれない。ある一つの家族を考えよう。三人以上の家族であれば――夫と妻は元々は他人なのだし――その構成員全員に共通する、単一の類似性は存在しない。兄弟姉妹のような近い構成員であれば共通の類似性を見出せるだろうが、家族全体はパッチワークのように複数の類似性によって緩やかに繋がり合っている――このような関係をウィトゲンシュタインは家族的類似性と呼んだのだった。
また、批評家で哲学者のアーサー・ダントーは論文「アートワールド」“The Artworld”において、何がアートなのかを決めるのは――辞書的な定義などではなく――芸術理論から成る環境(an atmosphere of art theory)なのだとして、それをアートワールドと名付けた。
ダントーはその論文の後半で、アート作品が持つ〈属性〉について議論している。二つの属性AとBを考えると、AかつB、Aかつ非B、非AかつB、非Aかつ非Bという四種類に、作品を分類することが可能になる。さらに新しい属性Cが作り出されると、先の四種類がさらにCか非Cかの二通りに場合分けされるから、二倍の八種類になる。重要なのは、この属性の二倍化が過去の作品にも遡及的に適用されることだ。かつてはロボットSFだと見なされていたものが、ポストヒューマンSFという属性が開発された後は、ロボットSFかつポストヒューマンSFや、ロボットSFかつ非ポストヒューマンSFとして分類されることにある。こうして古典作品もアートワールドも二倍ずつ豊穣化し、様々な属性を類似性として共有する巨大な家族を形成しているのだ。
四年前の修善寺でぼくたち夫婦がすっかりファンになった一龍斎貞水さんに今回インタビューさせていただいた(以下では貞水先生と呼ばせていただきます)。貞水先生は今年で高座六十年の講談師で、十二年前には重要無形文化財保持者、いわゆる人間国宝に認定されている。講談では史上初だ。
講談は、落語や浪曲と共に日本三大話芸と呼ばれる。落語は会話が主であり、浪曲は三味線と共に語るが、講談は「話を読む」芸と言われる。
講談の歴史は古く、明治以前は講釈と呼ばれていたが、これは仏教の教典を解釈して講義したことに由来するという。平安時代末期から存在したとされる琵琶法師は、鎌倉時代には『平家物語』などを通じて仏教の思想を庶民にわかりやすく広めたことから、講談師の起源の一つだと見られている。戦国時代が終わり、戦がなくなって職を失った武士たちが寺社境内で庶民向けに講釈をし始めたといわれ、江戸時代後期には現在のような、釈台という小さな机の前に座り、張り扇(はりおうぎ)で釈台を叩いて語りに調子をつける形式が確立された。
「講釈師、見てきたようなウソをつき」「講釈師、扇でウソを叩き出し」という言葉がある。講談は、落語や漫談とも違う独特の間と抑揚をもった語り口によって、どんなに荒唐無稽な話でも本当のことのように聞かせることを旨とする話芸であり、明治時代に全盛期を迎える。
明治の中頃には講談を〈速記〉して文章に起こしたものが新聞に連載され、一八八九年から一九〇〇年まで落語と講談の速記の専門誌『百花園』が東京金蘭社から発行される。また、明治末から流行した立川文庫(たつかわぶんこ)という叢書は、刊行当初は講談の〈速記〉だったが、講談を書き下ろした〈書き講談〉が中心となり、『猿飛佐助』『大石内蔵助』『宮本武蔵』など二百近い作品が、十年あまりのあいだに出版された。〈速記〉は紀元前五世紀のギリシアでも使用例が発見され、日本で知られるようになったのは明治維新後だったが、一八九〇年の第一回帝国議会から採用された。この〈速記〉や〈書き講談〉は二葉亭四迷などによる〈言文一致体〉の成立にも大きな影響を与えたと考えられている。
一九二五年に開局したNHKラジオでも講談は人気を博したが、次第に落語や浪曲が盛んになっていった。貞水先生が十六歳で高座にあがった一九五五年には、東京の講談師は――最盛期に八百人以上だったのだが――二十数人にまで減っていた。きっと若い頃には御苦労もされただろうが、
「自分が好きで選んだ仕事だったら苦労するのは当たり前でね。若い頃の苦労をとくとくと話すようなやつは良いところで飲んでないよね」
と笑い飛ばしておられた。
現在、貞水先生は数多くの公演をこなされていて、この翌日も朝から徳光和夫さんの番組に出演されるということだった。
インタビューの前には東京郊外の市民ホールで行われた学校公演を取材させていただいた。高校の芸術鑑賞教室ということだった。その前半部で最初に出演された一龍斎貞橘先生は貞水先生のお弟子さんだ。二年前に真打ちになられた。「好男子じゃなくて講談師です」という話の入りから軽快に高校生を笑わせていらっしゃったが、実際はすらりと精悍なお顔立ちの若手講談師だ。
続いて林家正楽師匠の紙切りの名人芸と、桂文治師匠の『転失気(てんしき)』の巧みなお噺で大いに場が盛り上がって、十分間の休憩となった。ホールの八百の座席を埋め尽くした生徒たちが大人しくしているはずもない。後半部の幕があがる直前まで、引率の教師の方々が静かにするように言ってまわるが、ざわめきは収まらない。
そこに貞水先生が登壇する。淀みない語りが始まって、ぼくが気付いたときには、高校生たちはもう誰も私語をしていないのだった。
舞台が終わるとすぐに貞水先生はいらっしゃった。ぼくは先の〈ざわめき〉のことからインタビューを始めた。
「人間が人間に人間の心をもって話していく。高校生だって十五年生きている人間なんだから、彼らの人間性や立場をわかった上で、向こうとこちらの〈接点〉を作るということだよね」
貞水先生はさらりとお話しになる。
「お客さんの気持ちや会場の状況が読めなかったら、プロの演芸家じゃないよね。『読める』というのはプロの条件の一つだから」
聞き手のことが想像できなければ、人間同士の話にならない。講談師の〈芸〉とは〈想像力〉と不可分のものだ。そこを伺いたくて今回インタビューをお願いしたのだった。
「講談師は優柔不断だからね」
優柔不断というのは、話しかけている相手に応じて話を変化させていくことを先生流に表現された言葉だ。先生は続けて、このインタビューも高座の講談と大差はないとおっしゃった。インタビューに慣れていないぼくに合わせていただいたのだと今はわかる。
「芸は教えるもんじゃない、伝えるもんだ。って、これはうちの師匠の言葉だけどね」
貞水先生の師は五代目一龍斎貞丈先生だ。貞水先生が真打ちになったときに御礼を言うと、「礼なんか言うな。自分の力で真打ちになったんだから。俺にしてもらったことで有り難いなと思うことがあったら、それをこれからは後輩にしてやりな」とおっしゃったという。
では師と弟子はどのように〈芸〉を分有するのだろうか。あるいは舞台と客席のあいだで、どのように〈芸〉は分有されるのだろうか。
このような繊細な部分については自分で考えるべきであって質問するものではないという考え方があり、ぼくもある程度そう思うのだけれど、ここを聞かなければせっかく時間を取っていただいた意味がない。貞水先生は丁寧に答えてくださった。
「人付き合いとか口の聞き方とか楽屋の作法は教えるわねえ。だけど芸はね。教えた通りにできるっていうなら教えるけど。ウチで稽古をやるとね、今日は腹いてえとか二日酔いだとか言ってね。稽古では芸はやってないですよね。『ネタをつける』って言うんだけど、話の筋を教えることはできる。でも芸は、お客さまのいる前で喋っているのを聞きなさい、と弟子には言ってます。舞台だったらどんなに具合が悪くなったって手を抜かない。芸をやるんだから。我々っていうのはそういう伝え方だよね。一番シリアスなやり方だと思うよ」
ここには精神論などはない。ウィリアム・ジェイムズが『多元的宇宙』で指摘したように、ぼくたち一人一人が一つの〈宇宙〉として各々異なる世界を認識しているのだとすれば――何を伝え、何を分有(パルタージュ)するにしても――連絡は困難なはずであり、だからこそ〈芸〉はこれほど誠実でシリアスなやり方でなければ伝えられないのだ。
物理学ではいくつもの多宇宙が提唱されている。
その一つが相対性理論およびインフレーション理論に基づく多宇宙の概念だ。ぼくが一般相対性理論を教わった佐藤勝彦・現東大名誉教授は、1982年に論文『宇宙の多重発生』“Multi Production of Universes”を書いた。
宇宙は誕生した後の一瞬のあいだに――10のマイナス36乗秒後からマイナス34乗秒後のあいだに――10の43乗倍に急膨張したと考えられている。それをインフレーションというのだが、そのとき急膨張と同時に、ある宇宙を母宇宙として、その内部とワームホールで繋がった子宇宙がいくつも生まれ、子宇宙からも同様に孫宇宙が生まれ、さらに曾孫宇宙が――と次々に生まれることを佐藤教授は示したのだった。へその緒のごときワームホールは速やかに閉じて、それぞれが独立した宇宙となり、たとえばぼくたちが暮らしている宇宙が母宇宙なのか孫宇宙なのかはとりあえず今のところ知るすべはない。これらの宇宙は――観測方法はさておき――物理的な実体と考えられている宇宙であり、全体としてマルチバースmultiverseと呼ばれることが多い。また、数学上存在する可能性としての宇宙の総体は〈ランドスケープ〉と呼ばれている。こちらのほうはすべてが実在するわけではなく、ほとんどは潜在的に「ありうる」だけだ(このランドスケープという概念を提唱した物理学者の一人、レオナルド・サスキンドは多宇宙のことをメガバースと名付けたけれど定着していないようだ)。
また、ヒュー・エヴェレットが提案した〈多世界解釈〉というものもある。量子力学によれば、物理状態というものはいくつもの状態が重なり合っていて、観測によって状態の一つだけが確率的に顕現すると考えられている。しかし残りの状態がどうなったのか、観測が状態にどのような影響をもたらしたのか、などは物理学者のあいだでも意見が分かれていて、量子力学の〈観測問題〉と呼ばれる。解決法として主に二つの〈解釈〉がある。 一つはコペンハーゲン解釈と呼ばれるもので、人間が観測するという物理的な行為によって状態が一つに収縮、収束したのだとする。これはただの解釈であって、観測によって状態が収縮するメカニズムが解明されているわけではない。基本的に大学ではこちらの解釈が教えられる。
そして、もう一つの解釈が多世界解釈だ。重なり合う物理状態という考えを拡張して、そもそも世界全体が重なり合っていると考える。その世界が人間に観測されることによって多世界に分岐する。人間を含む世界全体に量子力学を適用するのだ。こうして分岐した世界同士のあいだに連絡はなく――だから多世界を確認する手立てはなく――観測者には状態が一つに収縮したように見えるだけだ、と解釈するのだ。コペンハーゲン解釈よりも遥かに壮大な解釈で、大学の量子力学の講義では簡単に触れられる程度のことが多いだろうが、物理学者のなかにファンは多い。
こうした理論は二十世紀後半に出てきたものだ。二十世紀初頭のウィリアム・ジェイムズの〈多元的宇宙〉はあくまで哲学ないしは心理学のもので、物理や数学とはほとんど関係なかった。とはいっても二十世紀になってから〈世界の複数性〉やその〈観測(不)可能性〉についての議論が、様々な領域で盛んになったことは留意しておいてもいいだろう。大航海時代から何百年も経って、ようやく世界の多義性が認識され始めた、と言ってもいいのかもしれない。
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