Web東京創元社マガジン

〈Web東京創元社マガジン〉は、ミステリ、SF、ファンタジイ、ホラーの専門出版社・東京創元社が贈るウェブマガジンです。平日はほぼ毎日更新しています。  創刊は2006年3月8日。最初はwww.tsogen.co.jp内に設けられました。創刊時からの看板エッセイが「桜庭一樹読書日記」。桜庭さんの読書通を全国に知らしめ、14年5月までつづくことになった人気連載です。  〈Webミステリーズ!〉という名称はもちろん、そのころ創刊後3年を迎えようとしていた、弊社の隔月刊ミステリ専門誌〈ミステリーズ!〉にちなみます。それのWeb版の意味ですが、内容的に重なり合うことはほとんどありませんでした。  09年4月6日に、東京創元社サイトを5年ぶりに全面リニューアルしたことに伴い、現在のURLを取得し、独立したウェブマガジンとしました。  それまで東京創元社サイトに掲載していた、編集者執筆による無署名の紹介記事「本の話題」も、〈Webミステリーズ!〉のコーナーとして統合しました。また、他社提供のプレゼント品コーナーも設置しました。  創作も数多く掲載、連載し、とくに山本弘さんの代表作となった『MM9―invasion―』『MM9―destruction―』や《BISビブリオバトル部》シリーズ第1部、第2部は〈Webミステリーズ!〉に連載されたものです。  紙版〈ミステリーズ!〉との連動としては、リニューアル号となる09年4月更新号では、湊かなえさんの連載小説の第1回を掲載しました(09年10月末日まで限定公開)。  2009年4月10日/2016年3月7日 編集部

文豪アンデルセンの初期作品に、カーネギー賞作家が新たな息吹をもたらす。幻想的な挿絵も魅力の『火打箱』サリー・ガードナー[2015年11月]


「きさまは恋に落ち、自分の王国を手に入れる」

 皇帝軍の兵士だったとき、おれは死神を見た。そのときおれは、同胞たちが流した血のなかに倒れていた。死神はおれにいっしょに来るか、と訊いたが、おれは断った。だが、戦いで死ななかったにせよ、森で死ぬことになるのは確かだと覚悟した。
 深い森の中でおれが出会ったのは、半人半獣のごとき男。男はおれの傷を癒やし、おれにこう告げた。「きさまは恋に落ち、自分の王国を手に入れる。遠からずして」

 そしておれはひとりの少女に出会った、おれたちは恋に落ち、そして……。

 元兵士の若者が深い森で出会う男装の美少女、狼の怪物、城に住む魔女。

 文豪アンデルセン最初期の作品に、カーネギー賞受賞作家サリー・ガードナーが新たな息吹をもたらす。
『モンタギューおじさんの怖い話』のデイヴィッド・ロバーツの挿絵満載。
 不思議と怪奇が詰まった美しくも不気味な物語。

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一度読んだら忘れられない見事な作品。予期せぬ展開が待ち受ける、ダークで魅力的な怖さに満ちた物語。(ベスト・ニュー・チルドレンズ・ブックス 2015)

ガードナーは独創的な真の芸術家だ。(タイムズ)

アンデルセン童話が、心をざわつかせるダークな物語として生まれ変わった。(カーカス・レビュー)

(2015年11月5日)



ミステリ小説の月刊ウェブマガジン|Webミステリーズ! 東京創元社

連載エッセイ 高島雄哉 『想像力のパルタージュ 新しいSFの言葉をさがして』 第8回(2/2)


 ぼくと小池くんは駒場寮で演劇をしたり、小説を合作したりしていた。駒場は下北沢も近く、ぼくたちは様々な演劇を見て、自分たちでもやってみたくなったのだった。ベケットの『ゴドーを待ちながら』のような、二人の対話形式の不条理劇だったように思う。拙いながらもぼくたちのオリジナル戯曲だ。駒場寮では七月と十一月に寮祭をやっていて、そのどちらかで上演したのだけれど、他の寮生たちも寮前に作ったステージでカラオケ大会をしたり――歌うのは寮生以外のほうが多かったと思う――あるいはその隣で〈造反有理〉をもじった炒飯有理という屋台を運営したりと忙しく、我らが劇の観客は寮生三人だけだった。
 普段は何かにつけて弁舌を振るう寮生たちだったが、劇が終わると――終わりもぼくたち自身が「終わりです」と告げたように覚えているけれど――客の三人はきょとんとして互いに顔を見合わせながらも拍手をしてくれた。寮は互いに無遠慮になんでも批判し合う場だったが、同時に、真剣にやっていることを否定するようなことはなかったように思う。そのときの観客の一人に先日会う機会があって演劇のことを聞いてみたら、うれしいことに「行った行った」と覚えてくれていた。話しているうちに「二人で話し続ける劇だったよね。なんだかわからなかったけど」ということまで思い出してくれた。
 駒場寮では各部屋にサークル名があって、ぼくと小池くんは〈ぶ「て」〉という名前で登録した。手話を研究するサークルなのだが、どうして手話にしたのかはすっかり忘れてしまった。手話が非常に重要な言語であることに、当時のぼくたちは何となく気づいていたのだろうか。
 サークル名は、手話部だから部「手」で、それを平仮名表記にしたものに決めた。右の頬をぶたれたら左の頬も差し出しなさいというキリスト教の言葉から「ぶつなら、ぶて」という意味もかかっている。
 このサークル名というのは、一九六〇年代くらいまではきちんとその部屋の実体を示していて、たとえば物理研究会という部屋では朝から当時出たばかりの高木貞治の『解析概論』を読んでいたと聞いたことがあるけれど、ぼくたちがいた一九九〇年代末期にはほとんどは有名無実化していて、ぼくたち〈ぶ「て」〉も主な活動は演劇で、その演劇に手話を取り入れることもなく、半額ずつ出し合って買った手話の教科書を使って何度か練習したことがあるだけだった。覚えている手話は、左手で作ったコップのなかを右手のスプーンでかき混ぜる仕草をして、それから何かを置くように右手を下げる、というものだ。この一連の動作で「喫茶店」を表す。
 合作小説のほうは寮がなくなってからも書き続けた。初めに方針を決めて、あとはそれぞれ書きたい場面を手分けして書いていった。本郷に進学していたぼくは湯島のアパートに、駒場に進学した小池くんは都内の寺に住んでいたのだが、ぼくの部屋は狭くて、主に彼の部屋に隔週で集まって話し合い、昼食や夕食を作りながら書いていった。
 どういう小説かと言うと、主人公は自らの利己性を忌避して、真の自暴自棄を目指すのだけれど、何をしても回り回って利己的行動になってしまい、それはこの世界の構造が論理的だからであって、利や理からは逃れるためには世界の外に出なければならない――というものだったと思う。哲学や仏教を志向する小池くんと、物理や数学を志向するぼくが、あのころ考えていたことが詰め込まれていた。劇よりも鮮明に覚えているのは、長い時間をかけたからだろう。主人公は高校生だったはずだが、仏教的な思想の持ち主だし、物語はほとんどSFのようだ。あの頃から遠く離れて、それでもぼくたちはあまり変わっていないのかもしれない。
 書き始めて半年か一年か、どうにか新人賞の〆切当日に完成して、寺の彼の部屋で印刷して郵便局の深夜窓口に持って行った。消印有効だったからだ。その後、一緒に雑誌で発表を確認して、一次も突破できなくて二人で落胆したことは今では良い思い出――としたいところだが今でも悔しく思っていたりするのだった。ともあれ、戯曲や小説を彼と書いたことが、ぼくがこうして文章を書いているきっかけの一つなのは間違いない。
 小池くんにとってもそうなのだと思うけれど、いま彼は創作的な執筆活動はしていないという。〈想像〉をせず、〈今、ここ、ひと呼吸〉に留まろうとする仏教徒として、〈想像力〉を駆使するような創作はしないということなのかと尋ねてみた。
「うん。そうですね。創作は概念操作なので」
 どのように広義に考えても、あるいはどのような美学理論を用いたとしても、創作が想像力に関わる行為であることは否めない。創作とは、想像力によって事物を――小説であれば言葉を、演劇であれば身振りを、絵画であれば色彩を――〈概念〉と見なし、そのものから離れて操作することに他ならないからだ。どんな抽象彫刻も、真に物体の塊として見られるとしたら、それはもはや彫刻ではなくなる。事物ではない作品として見られるように概念操作をすることが、創作の根幹にある。
 小池くんは今、創作をしないのみならず、鑑賞もほとんどしていないという。ただ、寮時代に彼が好きだった中崎タツヤの漫画『じみへん』が終わったことも知らないかと思って話してみると、彼は「実は」と照れくさそうに笑いながら最終回だけは雑誌を買って読んだと応えた。

koike1.jpg  取材のことを訊かれて、彼が興味を持ちそうな三宅さんの〈世界を感じる身体を持った知能〉のことを話してみると、思ったとおり駒場寮でよくやった哲学の議論になった。まったく、十年一日のごとしだ。
 世界を単なる〈概念〉の塊として捉えるのではなく、身体によって手探りで理解しようとするAIの基本的アイデアは、三宅さんがフッサールの〈現象学〉をヒントに考えついたものだ。概念は世界を表現するものである以上、世界そのものとは乖離してしまっている。概念を処理するだけの知能は、世界を感じる身体がないため自意識もない、単なる機能だ。三宅さんの考える、身体によって世界を探る〈丸ごとのAI〉は、世界を概念の塊として見ず、自己と世界の関係性を探っていくという点で、小池くんの〈今、ここ、ひと呼吸〉にも通じるものがある。〈丸ごとのAI〉も〈仏教〉も、概念によって世界を単純化して把握することを拒否し、自らを内包する世界そのものを看取しようとするのだ。
 ただし、と小池くんは続ける。概念処理のみを行う現状の人工知能にしろ、身体や自意識を持つ――まだ見ぬ本当の意味での――人工知能にしろ、そして人間の自意識にしろ、仏教的にはすべて〈機能〉と考えるのだという。〈数える〉ことも〈計算する〉ことも〈顔を認識する〉ことも、そして〈自らや世界を意識する〉ことも、すべては平等に機能なのだ。
 機能という話から、カント哲学の話になった。小池くんの専攻はドイツ哲学で、物理専攻のぼくも興味があって、寮にいた当時よく話したものだ。
 ドイツの哲学者イマヌエル・カントは一七八八年の『実践理性批判』において、倫理的な法則をひとが自らに課す道徳上の命令すなわち命法と考え、「AならばBせよ」という条件付きの形式の命令を〈仮言命法〉、「Aならば」のような条件のない命令を〈定言命法〉とし、後者の〈定言命法〉こそが道徳法則なのだとした。条件が満たされるための行動には、必ず利己的な目的意識が含まれているからだ。条件や目的によって行動が変わることは自然なことではあるが、それは道徳ではないし、人間的な自由でもないとカントは考えたのだ。
 状況に応じて合理的に行動を導き出すことは――その状況を理解することが今のロボットやAIには難しいのだが――〈機能〉に過ぎない。カントの議論では〈自由意志〉だけは〈機能〉ではないと前提されているようだが、仏教的には〈自由意志〉も〈機能〉の一つと考えるのだ。自由意志についても、仏教と現代科学はかなり近い理解の仕方をしていると言っていいだろう。
 仏教には〈五蘊(ごうん)〉という考えがあるという。人間の〈意識〉は五つの〈蘊〉から構成されているとして、色蘊(しきうん)は肉体やそれを拡張した物質全体、受蘊(じゅうん)は感情や感覚を受け取る作用、想蘊(そううん)は概念に関わる作用、行蘊(ぎょううん)は意志の作用、そして識蘊(しきうん)は認識の作用をいう。そして〈意識〉は所詮この五つの作用から成る一つの〈機能〉に過ぎないし、〈諸行無常の事実〉から逃れることはできない。
 すべてのものを〈空〉に帰す仏教から見れば、電卓も人工知能も人間も〈機能〉であって、それらのあいだに大した差はないということなのだろう。科学的あるいはSF的にはその差こそが重要なのだけれど、しかし仏教的に考えれば、その差は人間が――現にある差を認識しているというよりは――概念的に〈想像〉しているものであり、つまりは〈空〉そのものなのだ。
 こうしてみると、仏教とSFは、〈諸行無常の事実〉を共有しながらも、〈想像〉することに関する態度は丸っきり正反対のものであるように思える。
 十年近く積もりに積もった話はいつまでも終わりそうになかった。いつもは留守番電話にしているという固定電話から小池くんは電話をかけてくれていて、携帯電話は持っていないし、インターネット環境もないという。〈概念〉あるいは〈俗世〉から距離を取るためだろう(だからこの連載も、印刷して送らないと彼は見ることはない)。
 その場で次に会う日時を決めても良かったのだけれど、ぼくたちはのんびりと旧交を温めていこうと、手紙でやりとりすることにして、電話を置いた。想像をしない仏教と、想像をするSFで想像力を分かち合うこと(パルタージュ)ができるのだろうか。かつて延々と話し込んだ小池くんとなら、分かり合うことくらいはできるだろう。でもぼくは何よりも、旧友と会話することが楽しみだった。

zazen1.jpg (次回は小池くんとの久しぶりの対話です。想像しない仏教、〈結び目〉としての煩悩あるいは世界について、話してきます)

小池龍之介(こいけ・りゅうのすけ/僧侶(僧名は龍照))
1978年生まれ。山口県出身。東京大学教養学部卒。月読寺(神奈川県鎌倉市)住職、正現寺(山口県山口市)住職、ウェブサイト「家出空間」主宰。住職としての仕事と自身の修行のかたわら、一般向け坐禅指導もおこなう。著作『考えない練習』(小学館)、『もう、怒らない』(幻冬舎)、『超訳 ブッダの言葉』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)など。

(2015年10月5日)



■ 高島 雄哉(たかしま・ゆうや)
1977年山口県宇部市生まれ。徳山市(現・周南市)育ち。東京都杉並区在住。東京大学理学部物理学科卒、東京藝術大学美術学部芸術学科卒。2014年、「ランドスケープと夏の定理」で第5回創元SF短編賞を受賞(門田充宏「風牙」と同時受賞)。同作は〈ミステリーズ!〉vol.66に掲載され、短編1編のみの電子書籍としても販売されている。



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連載エッセイ 高島雄哉 『想像力のパルタージュ 新しいSFの言葉をさがして』 第8回(1/2)


 ――パルタージュ partage とはフランス語で「分割」「共有」「分有」の意。
 小林秀雄は〈美しい「花」がある、「花」の美しさという様なものはない〉と書いたが、想像力というようなものはなく、あるのはただ、個々の想像だけだとも思う。
 それでもなお、想像力(を分有すること)をこの文章の目的に置いて、インタビューを含む取材を始めたい。予定しているインタビュイーはそれぞれの領域の最前線におられる方たちであり、そこはまさに想像と想像力の境界線なのだから。そしてこれまで同様、これからのSFの言葉もまた、その線の上に存在するに違いない。


『想像力のパルタージュ 新しいSFの言葉をさがして』
第8回 結び目としての世界と想像しないこと――坐禅の現場から【前編】

高島 雄哉 
yuya TAKASHIMA(写真=駒場寮同窓会(http://www.komaryo.org)、著者)

●これまでの高島雄哉「想像力のパルタージュ 新しいSFの言葉をさがして」を読む 【第1回】 【第2回】【第3回】【第4回】【第5回】【第6回】【第7回

 五月晴れの土曜日の朝、江ノ島電鉄線の稲村ヶ崎の駅を降り、すぐそこに広がる海を背にして住宅街を歩く。しばらくすると急勾配の坂がある。傾きは三十度弱、コンクリートで舗装されてはいるが、少しの雨でも登り下りは大変そうだ。

tsukuyomiji.jpg  坂の終わりに開けたところがあって、一息つきながら顔を上げると、正面の民家の土台部分に小さな登り口があり、チョークで「ツクヨミジ」と書かれた看板代わりの小さな黒板も見える。そこから入ると、ひと一人が通れるくらいの階段があり、頭上から木の枝だか根だかが行く手を阻むように伸びている。ぼくはもちろん、一緒に来た小柄な妻も、身をかがめないと通れない。階段を登り切ると、すぐ目の前が月読寺(つくよみじ)だ。

kaidan.jpg  山門などはなく、白い壁の質素な一軒家はおよそ寺らしくない。磨りガラスの引き戸の、何の飾りっ気もない玄関の左には円柱型の郵便ポストが置いてある。これは投函用ではなく、この寺の郵便受けだというのは後で住職に聞いた。
 玄関をはさんでポストの反対側には小さな庭がある。庭と言っても、背の低い庭木は自然のままに任せて、草むしりもほとんどしていないようだった。そこに面して、玄関に隣接したガラス戸の部屋があり、なかに多くの人が座っているのがうかがえた。
 月読寺では毎月の後半の土曜日、午前九時から〈坐禅〉の会が行われている。第四回でお話をうかがった将棋記者の松本博文さんに誘われて、例によって妻と共にその会に参加することにした。松本さんとは現地集合だ。松本さんもぼくたち夫婦も、坐禅は未体験だし宗教にはほとんど関心がないのだけれど、この月読寺の住職がぼくと松本さんの共通の知人なのだった。
 玄関の引き戸を開けると、驚くほどの数の靴が並んでいた。脱いだスニーカーを隙間に置いて廊下にあがり、中の様子をうかがうと、松本さんが先に座っていて、ぼくと妻もそこに座ることにした。
 畳敷きのその部屋は西と南の二方向に伸びるL字型だった。先ほど外から見えた南の窓際にぼくたち三人は座り、坐禅セッションを主催する住職はL字の角に目を閉じて座っていた。あぐらをかいて、両足の甲を反対側のももの上に置く、結跏趺坐(けっかふざ)という座り方だ。参加者は全部で五十人ほど。そのうち半分くらいが結跏趺坐で、残りは正座だったり膝を立てたりして、みんな住職のほうを向いて座っている。静かにしなければというような緊張感はないけれど、喋っている人はいない。一人で来ている人が多いようだ。
 住職と端のぼくたちとのあいだには二十五人ほどがいて、首を伸ばさないと彼の顔は見えない。
 壁際のぼくの頭上に掛かっている鳩時計が九度鳴った。それからさらに五分ほどして住職が静かに、ゆっくりと参加者に語りかけた。
 ――それでは、本日の坐禅セッションを、始めましょう。座布団を用意してありますので、どうぞお使いください。
 西に延びるほうの部屋に座布団用の棚があり、参加者はそれを自分で取ってくる形式だったのだ。前方の、住職の近くに座っている人たちはもう何度も参加しているようで、九時前から身を正して座っていたが、ぼくたちのような初めての参加者も少なからずいて、慌てて座布団を取りに行く。
 それはやや固めの、丸い饅頭型の黒い座布団だった。直径は三十センチ、厚さは十五センチほどの小さなクッションだ。そのうえに腰をおろして、足は畳のうえで組むと、結跏趺坐をしやすくなるのだ。住職は座り方をゆっくりと説明する。
 ――結跏趺坐に慣れていない方は、半跏趺坐(はんかふざ)という、あぐらの足の片方だけをももの上で組む座り方もあります。自分の座りやすい方法を探してみてください。
 ぼくも座布団の位置を調整して、ようやく落ち着いてから――部屋に入るときに一瞥しただけの――彼の顔を改めて見た。
 気恥ずかしさと懐かしさがないまぜになって、思わず笑みがこぼれてしまう。きっと単純にうれしいのだ。時々視線が合うけれど、彼のほうはまだこちらに気づいていないだろう。
 彼というのは小池龍之介くんだ。坐禅会や講演をし、仏教関連の著作を多く発表している、活躍中の僧侶だ。山口市の正現寺と鎌倉市の月読寺で住職を務めていて、月の前半は山口、後半は鎌倉と、多忙の日々を送る。坐禅会は山口でも行っており、合間には各地で仏教の講演もしている。
 小池くんとぼくと松本さんは――三人とも山口県出身というのは単なる偶然だが――東京大学の駒場キャンパス内にあった寮に住んでいた。松本さんは少し時期も部屋も離れた先輩で、ぼくたちがいた頃もよく寮にいらしていたのだが、ぼくと小池くんはまさに同じ部屋で二年ほど暮らしたのだった。その頃の小池くんは今のように頭を丸めてはいなかった。
 駒場寮は、松本さんが入学する数年前に東大から廃寮決定の方針を出されていて、ぼくや小池くんのときには入試の最後に――つまり合格するかどうかも未定だった、ぼくを含む受験生たちに対して――あそこには入らないようにと試験官にアナウンスされるようなところだった。
 ぼくたちの在学中、二十一世紀の初めの夏に駒場寮はなくなってしまった。今そこには生協食堂や図書館が建っていて、それらに囲まれた中庭みたいな場所の一隅に、寮の自転車置場の一部だけが移設されて遺っている。ささやかなモニュメントのように。
 駒場寮は、一九二三年に起きた関東大震災レベルの地震にも耐え得るよう、一九三五年に建てられた旧制第一高等学校の寮だった。設計者は安田講堂など多くの東大の建築物を手がけた内田祥三(うちだ・よしかず)。このとき彼は東京帝国大学の建築学科教授で、十九世紀末に開発された鉄筋コンクリート工法などの講義をしていたという。
 それまで一高は文京区弥生にあった。同じ敷地内にあった木造二階建の寮は、全寮制で八棟あり、一八九〇年の建設当初から学生自治に委ねられていた。関東大震災後に東京帝大は、当時は目黒区駒場にあった農学部と文京区の一高との敷地を交換することにし、一高生たちに意見を求めた結果、新築で鉄筋コンクリート造三階建の寮が駒場に建てられたのだった。内田は一八八五年生まれで、一高から東京帝大に進んでいるから、文京区にあったときの一高の寮に住んでいたことになる。
 駒場寮は、東西に延びた長方形のフロアの中央を長い廊下が通っていて、南側のS部屋と北側のB部屋がそれぞれ十一部屋ずつ向かい合う。入り口と階段が東西にあって、炊事場と便所は各フロアの西側に一箇所ずつあった。
 Sはスタディstudyで机のある勉強部屋、Bはベッドbedのある寝室で、どちらも一部屋およそ二十四畳の広さだった。一高時代は向かい合うS部屋とB部屋同士を一組として十二人ほどが暮らしていたという。一フロアにはSB合わせて二十二部屋、三階合計で六十六部屋があった。それが三棟、川の字を描くように並んで建てられて、さらに四年後の一九三九年には、三棟の北側に、一フロアが十二部屋の、つまりほぼ半分の長さの棟が――それも同じく三階建で――建てられた。長い三棟のうち、一番南側の南寮(なんりょう)は一九五〇年から研究棟として使われるようになっており、ぼくも数学のレポートを出しに行ったことがある。なので、ぼくたちが暮らしていた頃の駒場寮は南から、長い二棟の中寮(ちゅうりょう)と北寮(ほくりょう)、そして短い明寮(めいりょう)の三棟だった。

nakaryou.jpg  駒場寮には最大で八百人ほどが暮らしていたという。ぼくが寮にいた頃には――学校から「あそこに入るな」と言われれば入らないのが一般的なのかもしれないけれど――かなり減って、寮生は全体で百人ほどだった。
 ぼくと小池くんは中寮の二階のS部屋の一つ、18Sに二人で住んでいた(新制大学制になった頃には、S部屋とB部屋は別々に使われるようになっていた。B部屋には備え付けの棚がある以外は、SもBも同じ長方形の部屋だったし、十二人で二部屋を使うよりも、六人で一部屋を使うほうが合理的だったのだろう。ぼくたちの頃はどの部屋も二、三人で使っていた)。かつて寮には様々な政治的拠点もあったということだが、二〇〇〇年前後の寮生は〈ノンポリ〉というか、政治一般に関心はあっても党派性といったものとは無縁の学生ばかりだった。それでも駒場寮は旧制一高時代から学生による自治寮であり、寮自治会を中心とした廃寮反対のための〈学生運動〉はあった。それは――大学生活から遠く離れた政治的信条のためのものではなく――共に生きる〈当事者〉として大学や教育に意見するためのものだったように思う。
 二人で二十四畳というと贅沢なように思われるかもしれないが、それは大学が廃止を宣言したために入寮する学生が激減したからで、寮自治会は新規入寮募集を続けていた。しかし廃止の手続きは事務的に進み、ぼくが入寮するときには既に電気が止められており、工学部の電気に詳しい寮生を中心にみんなで工事をして近隣の施設から電気を引いていた(ノーベル物理学賞受賞の小柴昌俊さんは一高出身だが、その頃も寮の風呂を沸かすために同様のことをしていたという。寮の歴史に関しては、後述の松本博文『東大駒場寮物語』に詳しい)。その電気も使えなくなると、業務用発電機の導入が決まったけれど、しばらくはひとりに一つ配られた灯油ランタンで過ごすことになったのだった。
 他にも色々とあったけれど、総体として、ぼくは駒場寮で非常に贅沢な時間を過ごしたように思う。駒場寮での友人たちとの日々は、今のぼくの基礎を形作っている。SFに関しても、駒場寮には東大SF研の寮生がいて、ぼくは彼にグレッグ・イーガンの『宇宙消失』を教えられたし、今も親しくしているのだった。
 もちろん孤独な時間はとても大事なものだし、ぼくが地元を離れたのも一人暮らしをしたかったというのが大きいけれど、友人と夜を明かして話ができる場は――しかも学内寮だから教室でも自室でも同じ時間を共有する生活は――寮を出て妻と暮らすようになるまでの五年間の一人暮らしに比べて、遥かに豊かなものだった。

shitsunai.jpg  小池くんは〈坐禅〉の会を七年ほど前から開催しているが、それは共に座禅を組む、ゆるやかな〈共同性〉を実現するための会でもあるだろう(ちなみに参加費は任意の額をを御布施として賽銭箱に入れることになっている)。
 宵っ張りの寮生たちのなかで小池くんは珍しく早寝早起きで、退屈したぼくはよく別の部屋に遊びに行った。あるいは誰かがやってきて連れ立って近所のラーメン屋に行き、夜明けまでそいつの部屋で話をして、いつのまにか眠ってしまうことが多かったと思うけれど、必修が一限にあったりすると、そのまま起きていて授業に出るなんてこともあった。部屋から教室までは二分とかからない。
 こういう人と人の、あるいは生活と学問の、時間的空間的な〈身近さ〉は、〈寮〉しかも学内の寮という物理的な条件がなければ成立しないものだ。だからこそ多くの人がそこで暮らしたのだし、廃止が宣言されてからもぼくや小池くんはそのような環境を是として、そこに住み続けたのだった。
 東大は昨年、駒場キャンパス内に新たな学生宿舎を作ることを決定した。

 坐禅会の参加者たちがめいめいにとって座りやすい足の組み方を見つけ、ざわつきが収まってからさらに十分ほどして、小池くんは再び話し出した。
 ――自然に腰を伸ばして、両手はひざの上か、前に組んでもいいでしょう。目は開けていても閉じていてもいいでしょう。
 この午前中の回は初心者向けで、午後からは慣れてきた人向けの指導をするということだった。
 全開の窓からは五月の風にまぎれて鳥の鳴き声が聞こえてくる。
 ――感じることを感じるままに、何かに集中しようとせずに、ああ鳥が鳴いているなと、感じるまま、執着もせずに感じましょう。
 そう言われて、せっかく朝早く起きてわざわざ鎌倉まで来たのだし、十年ぶりに見た小池くんにどう声をかけようか、向こうはぼくに気づいていないだろうなと考えながらも、とりあえず彼の言葉に従って、真面目に坐禅というものをやってみることにした。
 少しくらい調べてくれば良かったのだが、このときのぼくは坐禅についてほとんど何も知らず、心を落ち着かせるためにやるのかなという程度の認識だった。坐禅を本格的な深呼吸のように考えていたのだ。それはまったくの間違いではないものの、坐禅の一側面でしかないことは徐々にわかってきた。
 もう何年も東京や山口で坐禅の指導をしている彼の言葉はさすがと言うべきか、とても滑らかで、すっと耳に入ってくる。ぼくのような初心者が坐禅の〈意味〉を考えたり、痛くなった足のほうに気が取られたりしていることも、お見通しのようだった。
 ――足は自由に動かしてくださいね、トイレは玄関の隣にあります。ああ、外をリスが歩いています。
 坐禅というものは精神統一のような状態を静かに追求するものかと思っていたのだけれど――上級者はそうするのかもしれないが――小池くんは数分おきに言葉を投げかけてきた。いま思うと、あれは参加者が何かに集中しないようにしていたのだろう。坐禅しようと意識しないように。心に現れる思念に執着しないように。
「今、ここ、ひと呼吸」
 坐禅中に小池くんが何度か言った言葉だ。坐禅中の彼の言葉の中でも、この言葉は特に心に残っている。妻も同様だったらしく、時折どちらからともなく、この言葉について言及する。慌ただしい日々のなかで、無理に何かに集中せず、〈今、ここ、ひと呼吸〉に立ち戻ろうとする、その合図みたいに。
 十二時になって、小池くんと参加者が共におむすびを食べる。彼のホームページに、おむすびを一つか二つ持参するように書かれていたのだ。
「目を閉じて食べてみてください」
 何度も噛んでいると、デンプンが唾液中の消化酵素であるアミラーゼによって分解され、麦芽糖になって甘く感じるという、中学校の理科か家庭科の話をするのかなと思ってしまったが、小池くんはさらに続ける。
「舌が巧みに、上に下に、右に左に、米を動かしているのがおわかりになると思います。下の動きを感じながら、ゆっくり、ゆっくり味わってください」
 舌はぼくの意志とは無関係に、舌自体に意思があるかのように、口に含んだ米を運んでいく。
 これもまた坐禅の一環なのだ。いつもならば食事という言葉や目的意識のなかに雲散霧消してしまう舌の感覚が、目を閉じて坐禅を組んで静かに咀嚼することで〈今、ここ、ひと呼吸〉のなかに強く感じられる。非常に面白い体験だった。
 そうして午前の会が終わり、松本さんとぼくたちは玄関に向かった。午後の会の参加者が既に十人以上待機していた。小池くんをこうして見るのも十年ぶりで、坐禅の雰囲気を壊してしまうことにならないかと躊躇もしたが、小池くんのほうも時折こちらを見ていた気もしたし、意を決して、彼を囲んでいる参加者のあいだを抜け、声をかけた。ついさっきまで僧侶として話していた小池くんは「高島くんかなと思って、でもまさかとも思って」と、急に素に戻ったように、ぼくと笑いあった。それから松本さんが、十二月に刊行される『東大駒場寮物語』を準備していて、そこに小池くんやぼくのことも書くつもりだとお話になり、ぼくたち三人は寮にいるかのようにしばし談笑したのだった。
 帰り際、よかったら連絡してよと名刺を渡したところ、数日後に小池くんから電話があった。当然のように、いま何をしているのかという話になり、この連載をしていることを話すと、彼は〈仏教は想像しない〉んだと返してきた。

 アーサー・C・クラークの一九五三年の長編『地球幼年期の終わり』Childhood's Endでは、二十世紀末に現れた異星人〈上主(オーバーロード)〉によって地球は支配され、犯罪も戦争もない、科学技術の進んだ世界が描かれる。そこでは二十一世紀になると仏教以外の宗教はなくなっている。

 Profounder things had also passed. It was a completely secular age. Of the faiths that had existed before the coming of the Overlords, only a form of purified Buddhism ? perhaps the most austere of all religions ? still survived. The creeds that had been based upon miracles and revelations had collapsed utterly.(もっと深奥な変化も起きている。完全な世俗化、非宗教の時代が来たのだ。〈上主〉たちが来る前にあった諸宗教のうち、まだ生き残っていたのは純化された仏教(おそらくすべての宗教の中でもっとも厳正な宗教がこれである)の一種だけだった。奇跡や神の啓示に依存する教義のたぐいは全部瓦解(がかい)してしまった。)――Childhood's End(沼沢洽治訳)より


 前に読んだのは高校生の頃だったろうか。その時は、どうして仏教だけなんだろうと思いながらも、疑問を追求せずにそのままにしていたのだが、小池くんの話を聞いた今は何となくわかる気がする。
「今、ここ、ひと呼吸」
 仏教では妄想ないしは広義の〈想像〉を否定し、生まれては消えていく現実を見つめる。〈今、ここ、ひと呼吸〉から離れて、いつかの別の世界を考えたりはしないのだ。
 仏教の根本的な思想の一つ〈諸行無常〉は、すべてのものは生成し消滅し、永遠に存在するものなどないという思想だと思うけれど、小池くんはこの〈諸行無常〉を〈事実〉と考えるのが仏教だと言った。すべてはいずれ消え去るという〈事実〉、この〈諸行無常の事実〉だけが不変なのだということだ。
 仏教にも色々あって、たとえば〈輪廻転生〉を〈事実〉として信じる/考えるかはさておき、仏教徒でなくても〈諸行無常〉は多くの人が〈事実〉に近いものとして受け入れるものだろう。
 現実に対する仏教の姿勢は、科学と極めて近い立場と言える。現象は移ろい、法則は変わらない。クラークも〈諸行無常の事実〉を見つめる仏教だけは未来世界でも――〈上主〉が現れても――存続すると書いたのだろう。
 しかし科学やSFがどこまでも〈想像〉するのに対し、仏教は〈想像〉することをよしとしない。同じ〈諸行無常の事実〉を受け入れている点では一致しているのに、だ。
 小池くんは〈事実〉という言葉を使ったけれど、仏教は〈諸行無常〉を――あたかも事実であるかのように――〈想像〉しているのだとするのが中立的な表現だろう。そもそも、現実をありのままに把握することなどできないというのは仏教の主張でもある。
 前回の、AI研究者の三宅陽一郎さんのインタビューで、〈阿頼耶識(あらやしき)〉という概念が仏教にはあることを教えていただいた。人間の認識は、眼識(げんしき)、耳識(にしき)、鼻識、舌識、身識、意識を六識として、七番目が我に執着する末那識、そして八番目が現実を生み出す無意識的な作用としての〈阿頼耶識〉という、八識から成るという。人間の認識は、外部にある現実を感知するようなものではなく、〈阿頼耶識〉にもともと森羅万象を生じさせる種子(しゅうじ)があるだけなのだと、仏教では考える。三宅さんは古今東西の知性に関する知見を広く研究されており、この〈阿頼耶識〉のような現実「認識」の仕方をAIに取り込めないかと試みてもおられるのだった。
 つまり、この〈阿頼耶識〉上の映像は、ぼくたちにとって世界そのものであるのだけれど、結局は心の作用によって生み出された幻に過ぎないということだ。幻に、さらに〈想像〉を重ねてしまっては、〈今、ここ、ひと呼吸〉の境地に至ることなどできるはずもない。




■ 高島 雄哉(たかしま・ゆうや)
1977年山口県宇部市生まれ。徳山市(現・周南市)育ち。東京都杉並区在住。東京大学理学部物理学科卒、東京藝術大学美術学部芸術学科卒。2014年、「ランドスケープと夏の定理」で第5回創元SF短編賞を受賞(門田充宏「風牙」と同時受賞)。同作は〈ミステリーズ!〉vol.66に掲載され、短編1編のみの電子書籍としても販売されている。



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