ジャック・フィニイの第二短編集『ゲイルズバーグの春を愛す』は、『レベル3』が1961年に邦訳されてから、10年以上が経ったのち、72年に訳書が出たために錯覚されがちですが、原著刊行は63年で、57年の『レベル3』から6年後。意外と年代的には近いのです。それでも、『ゲイルズバーグの春を愛す』は、邦訳まで10年近くかかった計算になるうえに、紹介が遅れた感じは、その数字以上に否めない。このあたりは、ミステリもSFもともに雑誌の時代だった――あるいは、雑誌がミステリやSFの掲載に積極的だった――50年代アメリカの姿を反映した『レベル3』と、その後、ミステリもSFもともに大きな波に呑み込まれ(スパイ小説のブームとニューウェイヴ)、しかも、そこから少々離れた位置にあったため、波が引いてからの紹介となった『ゲイルズバーグの春を愛す』との間に、隔世の感があったということなのかもしれません。
それでも、私には『レベル3』と『ゲイルズバーグの春を愛す』の間には、実際の執筆時期以上に、内容に隔たりがあるように感じます。その隔たりは、フィニイの短編小説作法に長足の進歩があったためと言えるかもしれませんが、むしろ、作家としての方向を見定めた結果のように思えるのです。
「ゲイルズバーグの春を愛す」は、この短編集を代表するのみならず、フィニイという作家を代表する一編となりました。ゲイルズバーグはイリノイ州に実在する街で、同じ州のシカゴのような大都会ではないものの、19世紀に鉄道交通の要衝として発展しました。アメリカ史の上では、リンカーン対ダグラスの討論の会場のひとつとなったことで名前があがる、19世紀にもっとも栄え、20世紀にはひっそりと佇む小さな街です。「レベル3」に、重要なディテイルとして、この街の名が出て来たことは、前回指摘しておきました。「ゲイルズバーグの春を愛す」は、この街の新聞記者が、取材で実業家を訪ねるところから始まります。その実業家は、ある奇妙な体験の結果、ゲイルズバーグに工場を建てることを断念したのでした。不思議ではあるけれど、ショッキングなところはない、当人でさえ自分の錯覚だったかもしれないと思いそうな出来事。まして、体験した当人以外には、ありえない話として顧みられない。実は、ゲイルズバーグには、そうした不思議がしばしば起こり、そんな不思議を集めてまわるために、主人公の新聞記者は、この小さな街を離れずにいる。誰も気づかない野の花を、一息にスケッチしてみせたようなファンタジーでした。
ゲイルズバーグという街では、時に応じて、過去の世界が変化を拒否するために、突然20世紀の現在に現われる。時間テーマのSFと言って言えなくはないのかもしれません(SFの読者の見解を聞いてみたいものです)。しかし、そんなことよりも、この短編に顕著なのは、19世紀のアメリカに対するノスタルジーと、それが積極的に20世紀を否定する、勢いあまったファンタジーとでもいうべきところです。そして、そのファンタジーを支えたのは、突然ゲイルズバーグに現われる特異な現象を細かく描く、フィニイの筆でした。ところが、短編集全体を眺めてみると、収録作品に時間テーマのSFと呼べるものは、ほとんどありません。まず「愛の手紙」があって、あとは「時に境界なし」と「コイン・コレクション」くらいでしょうか。しかも、後の二作品は、集中でも出来がそれほど芳しくない。そこが『レベル3』と異なる表面上の特徴です。
たとえば「クルーエット夫妻の家」は、個人事業(ヨットの販売なのです)の宣伝を兼ねて、前世紀の大邸宅そのままを自宅として建てた夫婦が、その家に惚れ込んだあまり……という話。この短編は、私が初めて読んだフィニイですが、そのときは家に憑りつかれた人たちの話として、つまり、はっきり怪奇小説として読んでいて、今回ノスタルジーの小説と読んだのは、フィニイの全体像を知っていることが大きい――それだけとは言いません。クルーエット夫妻は幸せなのかもしれないなと思えたので――のでしょうけれど、この作品に関しては、十代の私を褒めてやりたい気もします。あるいは「大胆不敵な気球乗り」は、夜ごと、サンフランシスコの上空を気球でさすらうだけの話でしたし、「独房ファンタジア」は、死刑囚が執行を目前に、独房の壁に絵を描き始めて……というだけの話でした。これらの話は、単純ながら、ディテイルは細を穿っています。お昼休みに散歩に出るのが好きな主人公が、同好の士を見つけてというのが「悪の魔力」ですが、比較的ストーリイに起伏のある、この話でも、散歩のディテイルの細かさが目を引きます。
「大胆不敵な気球乗り」には、気球という19世紀的なテクノロジーを愛好する――その理由まで滔々と述べられます――という点で、「クルーエット夫妻の家」同様、ノスタルジックというか反現代の感覚が表れていました。しかし、それ以外の話には、必ずしも、ノスタルジーがあるわけではありません。こうして見ていくと、この短編集の特徴は、ノスタルジーであるよりも、リアリスティックな現実の中でファンタジーを描く際の、ディテイルの細かさにあることが分かります。しかし、他方で、その行き方がもっとも輝いたのは、ノスタルジーに溢れたファンタジーの場合でした。「ゲイルズバーグの春を愛す」と並ぶ集中の白眉は「愛の手紙」です。主人公がアンティークの机に見つけた、隠された引き出しを通じて、19世紀に生きる、望まない結婚を目前にした女性と文通する話です。手紙のやりとりをわずかな回数に限定することで、話に締まりが出たうえに、結末が秀逸でした。もうひとつ、大切なことは、主人公が当時の写真を見つけることで、彼女の生きた時代の街に思いをはせるというディテイルです。ここに晩年のフィニイの長編ファンタジーの萌芽があることは、誰の目にも明らかでしょう。
「レベル3」から「ゲイルズバーグの春を愛す」「愛の手紙」に到る過程は、さながら、ノスタルジーの作家ジャック・フィニイを形作っていく過程に見えます。そして「ゲイルズバーグの春を愛す」と「愛の手紙」という二粒の真珠を結晶させたフィニイは、その晩年には、ノスタルジックな個人がその想う力によって、過去に執着する作品だけを書いたのでした。
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