Webミステリーズ!

〈Webミステリーズ!〉は、ミステリ、SF、ファンタジイ、ホラーの専門出版社・東京創元社が贈る月刊ウェブマガジンです。毎月5日ごろに更新しています。  創刊は2006年3月8日。最初はwww.tsogen.co.jp内に設けられました。創刊時からの看板エッセイが「桜庭一樹読書日記」。桜庭さんの読書通を全国に知らしめ、14年5月までつづくことになった人気連載です。  〈Webミステリーズ!〉という名称はもちろん、そのころ創刊後3年を迎えようとしていた、弊社の隔月刊ミステリ専門誌〈ミステリーズ!〉にちなみます。それのWeb版の意味ですが、内容的に重なり合うことはほとんどありませんでした。  09年4月6日に、東京創元社サイトを5年ぶりに全面リニューアルしたことに伴い、現在のURLを取得し、独立したウェブマガジンとしました。  それまで東京創元社サイトに掲載していた、編集者執筆による無署名の紹介記事「本の話題」も、〈Webミステリーズ!〉のコーナーとして統合しました。また、他社提供のプレゼント品コーナーも設置しました。  創作も数多く掲載、連載し、とくに山本弘さんの代表作となった『MM9―invasion―』『MM9―destruction―』や《BISビブリオバトル部》シリーズ第1部、第2部は〈Webミステリーズ!〉に連載されたものです。  紙版〈ミステリーズ!〉との連動としては、リニューアル号となる09年4月更新号では、湊かなえさんの連載小説の第1回を掲載しました(09年10月末日まで限定公開)。  2009年4月10日/2016年3月7日 編集部

戸川安宣/北村薫『ニッポン硬貨の謎』解説[全文][2005年6月]


あらずもがなのあとがき
(北村薫『ニッポン硬貨の謎』解説[全文])

戸川安宣 yasunobu TOGAWA

 

(同書の単行本版が2005年に刊行された際のものです)

 

 せっかくこのよくできたパスティーシュの中に、いろいろな形で登場させてもらっているのだから、この拙文も「あらずもがなのあとがき」というタイトルで、J・J・マックよろしく北村さんの小説に1章を書き足す感じで書くのが、もっとも相応しいやり方のように思う。あるいは、「解説」として中島河太郎調でいくか、とも考えたが、どうもうまくいかない。結局、才能がないのだから、と諦めざるを得なかった。
 それに対して、北村さんの達者さはどうだ。本書の冒頭、クイーン父子のやりとりを読んでいると、クイーンの未発表原稿が見つかったのか、と思ってしまうほどの名調子である。読みながら、思わずこみ上げてくる笑いを堪(こら)えることができなかった。
 だが、本書はただのパスティーシュではない。みごとなエラリー・クイーン論になっている。しかもその内容はきわめて独創的で、かなりクイーンの作品を読み込んだ人でないと論旨を追いかけるのは大変である。逆に言うと、クイーンを熱愛する人には堪(こた)えられない作品と言えよう。
 ところで、「あらずもがなの序」などで著者が書いているのとはちょっと違った形で、僕はこの作品の成立に関与している。その辺のことをお話しするために、些か個人的な思い出話に筆を費やすことを、お許しいただきたい。

 昭和41(1966)年4月、進学した立教大学にミステリ・クラブがなく、茫然とした僕はとりあえずハヤカワズ・ミステリ・マガジン・ファン・クラブに入会した(その後SRの会という全国規模のミステリ同人にも参加した)。契約問題から早川書房が〈エラリイ・クイーンズ・ミステリ・マガジン〉(EQMM)日本版から〈ハヤカワズ・ミステリ・マガジン〉(HMM)へと誌名を変えたのを機に、ミステリファンの交流の場を作ろう、というのがファンクラブ設立の趣旨であった。その会を主宰していたのが、ワセダ・ミステリ・クラブの米浪平記さんという方だったこともあって、ワセミスの人たちに後押しされて僕は母校にミステリ・クラブを作った。その縁で、頻繁に早大のクラブに顔を出させてもらうようになった。当時のワセミスの人たちは大学近くのモンシェリという喫茶店に集まって――というより、屯して、といった方が適切だと思うが――いた。日中にそこへ行けば、誰かが必ずいたし、いない人はその隣の雀荘かラーメン屋にいる、と言われていたが、これは決して大げさな表現ではなかった。モンシェリで本書の中にもちょっと触れられている柴隆夫さんなどと話していると、後ろの席にいたのが伊藤典夫さんだったり、大井良純さんだったりした。4月の末だったかに開かれた新入生歓迎会にも出席させてもらった。ゲストが作家になったばかりの生島治郎さんと宇宙塵の柴野拓美(小隅黎)さんで、柴野さんとはこのときが縁で機関誌を送り合うお付き合いが始まった。せっかくだから生島さんにも何か伺おう、と思ったが、僕は生島さんの小説を何も読んでいなかった。しかたなく、僕が尋ねたのは、「奥さんはもうお書きにならないんですか」ということだった。生島さんは一瞬むっとして、「もう書かんでしょう」とおっしゃった。言うまでもなく当時の生島夫人とは、『弁護側の証人』の小泉喜美子さんである。
 こんな具合にワセミスとのお付き合いが続き、3年生になったある日、僕の記憶では都筑道夫さんの講演会だったかがあったときに早大に出かけた。お話が終わり、二次会会場として設定された喫茶店に向かおうというとき、初めて見る顔の新入生が妙に親しげに近寄ってきて、さも嬉しそうに話しかけてきた。それが北村さんだった。
 その後、北村さんはワセミスの機関誌とは別に、〈じゅえる〉という個人誌を作った。創刊号の奥付には7月16日発行とだけあって、年号がない。4号のカー・ベストテンに僕が東京創元社の戸川として投票し、一つ違いの瀬戸川猛資氏がワセミスの現役として参加しているところからすると、この号は昭和45年発行ということになる。発行年月の記載はないが、第2期とあり、それから逆算すると創刊は昭和44年の7月と思われる。初めての出逢いの1年後である。
 ついでに言うと、本書の中で編集者の白井がエラリーたちを前にして歌舞伎の見得を切る場面の実演をしてみせるが、これは瀬戸川氏のイメージからきているのではないか。彼はなにより座談の名人だった。好きな小説や映画の話を、いかにも面白そうに話すのだが、目鼻立ちの非常にハッキリした人で、その太い眉をきっと吊り上げ、口をへの字にして、「だってそうでしょ~お」と言うのである。――要するに歌舞伎役者が見得を切るが如き形相をしながら語って聞かせるのだ。僕たちはその話に聞き惚れ、またその姿に見惚れていた。後の著作『夜明けの睡魔』『夢想の研究』などの名調子はご存じの通りだが、ご本人と面識のあった者は、読みながらついつい彼の表情を頭に思い浮かべてしまうのである。そして、北村さんはその瀬戸川氏の形態模写の名人であった。
 爾来、僕は〈じゅえる〉の7号で慶應大学推理小説同好会の松坂健氏とルパン雑談をやっているくらいだ(因(ちなみ)に、この号の編集後記には、はっきり昭和47年5月17日と日付がある)。それにしても、この個人誌には、折原一氏の「おじさんのベスト3」なんて記事が、さりげなく載っていて、今となっては、大変なお宝である。
 北村さんがお書きになっているものによると、その〈じゅえる〉を届けるために、たまたま通学途中にあった僕の家まで寄ってくださったことがあるらしい。そんなこんなで北村さんとのお付き合いは続いていった。
 僕は4年時にSRの会の機関誌の東京編集分を受け持ったが、東京創元社に入ることになってその任を降りた。推理文壇の野党的存在であるSRの会の機関誌を出版社の人間が編集するわけにはいかない。そこで後を瀬戸川氏や松坂氏に託したのだが、しばらくするとまた同人誌が作りたくなった。その2人と北村さんを誘って「正義の四人」The Four Just Men という同人を結成しようとしたこともあった。
 そんな頃だったと思う(北村さんは本書の中で、それは「一九七〇年の夏」だと記している)。北村さんからまとまった原稿をお預かりしたことがある。何かと思ってタイトルを見ると、エラリー・クイーン論とあった。北村さんはそれを読んでほしいと言いながら、実は未だ半分なんです――と照れくさそうに言ったのである。
 これが実に衝撃的な内容だった。国名シリーズから始まってライツヴィルものなどの中期作品に差し掛かったところまでが論じられていた、と記憶する。論文の前半は、国名シリーズの中で読者への挑戦状が挿入されなかった『シャム双子の謎』について、詳細に論じられていた。その部分は本書の第2部12節から18節にかけて小町嬢の説として紹介されている。そして後半は、クイーンの中期からの作品に表れるねじれ現象について論じられているのだが、この部分に関してはこの作品では触れられていない。当時も未完だった北村さんのクイーン論の後半部分は、また別の長編を支えるアイディアとして、いつの日かわれわれを楽しませてくれるのだろうか。大いに期待して待ちたいと思うが、ともあれ、興奮して読んだその時の僕は、原稿を返しながら、早く続きを読ませてほしい、と催促した。けれども、北村さんも、その後、就職活動やら卒論やらで忙しかったのだろう、続編はお預けになったまま時間が経過するうちに、肝心の前半部分の原稿が紛失してしまったという。
 こうして、北村クイーン論は幻の原稿となりかけたのだが、後に家捜しをしたところ、無事に発見されたと聞いて、ほっとした。では、続きを書いて公表しよう、と持ちかけると、その頃には北村さんは作家として歩み出しており、やがて小説の形にして発表したい、とのことであった。それが先ほども述べたように、ここにこうして実現を見たわけである。
 それからさらに数年の時が流れ、どういう経緯だったかハッキリ記憶していないが、〈EQ〉の創刊を傍観していた僕に、『王家の血統』を訳さないか、という話が舞い込んだ。好きなクイーンの、当時も今も第一級の研究書を翻訳する機会が与えられたということで、僕は嬉しくなって、まず僕以上にクイーンが好きな北村さんに一緒にやらないか、と持ちかけてみた。二つ返事で承諾した彼が、2人では大変だ、ということで三津木、折原の両氏を誘おう、ということになったのだと思う。それから4人でよく銀座の三笠会館のティールームで落ち合い、分担や進め方を相談したのである。訳者名は4人の本名から一字ずつを取ってひねり出した。こうして、フランシス・ネヴィンズ・ジュニアによるエラリー・クイーンの評伝『王家の血統』(1975年MWAのエドガー特別賞を受賞)は、光文社発行〈EQ〉誌の創刊第3号に当たる1978年の5月号から6回にわたって連載された。
 4人とも、プロの翻訳家ではなかったし、本書の中でも北村さんが触れているように、バールストン・ギャンビットなどという初めて聞く用語が飛び出したり、と手を焼いたが、クイーンに対する敬愛の念は誰にも負けなかったので、なんとか訳しきることができた。(後年、綾辻行人氏が『十角館の殺人』でデビューしたとき、その中にバールストン・ギャンビットという言葉が出てきて、仰天した。こんな言葉を、殆ど説明もなしに使って良いものだろうか、と思ったものである)
 さらに時は流れ、創元推理文庫に〈紙魚の手帖〉という折り込み冊子を挿入することになったのは昭和58(1983)年のことである。創刊号は同年5月。そして翌年8月の第16号から「女子大生はチャターボックス」というタイトルで、レギュラー3人とゲスト1人、ないし2人という編成でのしゃべくり書評を掲載した。対象は東京創元社でそのひと月に出した新刊全点。推理文庫はもちろんのこと、ジャン・コクトー全集から現代社会科学叢書まで、東京創元社で刊行したものは何でも扱ってもらった。当時、テレビの深夜番組で、女子大生に様々なレポーターをやらせたり、司会をさせたりする番組があったが、これを観ていて思いついたのが、このしゃべくり書評だった。そのレギュラーの1人、木智みはるというのが、本書の小町奈々子のモデルで、後の若竹七海さんである。(さらに言えば、ゲストの1人、奈々村ねこというのが、後に『いざ言問はむ都鳥』を書く澤木喬さんであった)
 そしてそれと同じ頃、僕は北村さんに電話をして、ある企画の相談をした。
 入社以来考えていたことだが、創元推理文庫に日本の作家を入れたい、しかしこれまで海外ミステリ専門の文庫と謳ってきたところに日本人作家を入れるには、それなりにエクスキューズが必要だろう。そこで考えたのが、文庫版の全集であった。僕の頭には、中島河太郎先生のことが浮かんでいたが、先生のところに相談に伺う前に、基本的な線を固めておきたい。そういう相談には、北村さんをおいてほかにない、と僕には思えた。
 こうして、日本探偵小説全集の第1回配本『江戸川乱歩集』が刊行されたのが1984年の10月である。そして、その解説などのお願いに鮎川哲也先生を訪ね、鎌倉を散策しながらお話ししているうちに、先生の事実上のデビュー作『黒いトランク』誕生にまつわるエピソードが頭に浮かび、東京創元社でも書き下ろしをやってみようか、と考えたのが《鮎川哲也と十三の謎》のシリーズであり、それが鮎川哲也賞誕生へと結びついていく。それと同時に作家・北村薫が誕生したのである。
 第1回鮎川哲也賞の贈呈式の夜、ということは平成2(1990)年秋のこと。何人かの若手作家が拙宅に集まり、徹夜でミステリ談義をしたことがあった。車座になってお茶を飲みながら延々話していたのだが、一段落したところで若竹さんが切り出したのが、50円玉20枚の謎、であった。書店のアルバイトをしていて、こういう奇妙な体験をしたことがある、と。解決のないリドルストーリーだが、若竹さんが実際に体験したというところに全員が強く惹かれ、解決編を考えてみよう、ということになった。こうして翌年の『鮎川哲也と十三の謎'91』誌上に法月綸太郎、依井貴裕両氏による解決編が載り、同時にこの問題の答えを公募しようということになった。その結果生まれたのが、『競作 五十円玉二十枚の謎』である。
 その徹夜に付き合っていた北村さんは、なにやら思いついたことがあったらしく、この競作集には加わらなかったが、ある時若竹さんを捕まえて、「若竹さん、あなたは大変危険な目に遭うところだったんですよ」などと謎めいた言葉をかけていたものである。それが、本書の最後で語られる真相だった、というわけだ。
 実はこの部分についても、僕は語る資格があるのだが、それはネタばらしになるので、控えることにしたい。

 独特のクイーン論を小説の形で展開しながら、神さまと仰ぐ作家の作中人物を自在に扱うというのは、北村さんにとってさぞや心地よい作業だったのではないだろうか。のびのびと筆を走らせる作者の姿が髣髴として、読む者の心をも温かくする、そんな会心作であると思う。

(2005年6月1日)


推理小説の専門出版社|東京創元社

中村融/H・G・ウェルズ『宇宙戦争』訳者あとがき[全文][2005年5月]


ふたつの世界の戦い――『宇宙戦争』をめぐって
(H・G・ウェルズ『宇宙戦争』訳者あとがき[全文])

中村融 toru NAKAMURA

 

宇宙戦争  夜空に輝く赤い星――火星は古来から人々の想像力を刺激してきた。見る季節によって明るさや大きさをドラマチックに変えるうえに、その色あいが炎や血を連想させることから、東洋では燃える「火の星」、西洋では「戦いの星」となり、人々はその姿に凶事の前兆を読みとってきたのである。
 そして19世紀末。この禍々しい星に新たなイメージが加わった。きっかけは、1篇の小説。地球人とはまったく異質な火星人が、圧倒的な科学力を駆使して、地球人を害虫のように蹂躙していく過程を克明に綴ったこの小説は、発表直後から大評判を呼び、無数の脚色や類似品を生みだして、「火星人=侵略者」というイメージを人々の頭に植えつけてしまったのだ。いうまでもなく、その問題の小説こそ本書『宇宙戦争』The War of the Worlds (1898)にほかならない。
 ちなみに原題は「ふたつの世界の戦い」くらいの意味。作者H・G・ウェルズにとって「ふたつの世界」とは、地球と火星であると同時に、現在と未来でもあったわけだが、そのあたりの事情はおいおい述べるとして、ここではこの戦いが、国家や民族という規模を超えた文明規模の衝突であったことを確認しておきたい。
 ウェルズの回想によれば、この小説の構想が芽生えたのは1895年の夏だったという。当時のウェルズは、科学伝奇物語(ロマンス)第1作「タイム・マシン」(1895)の成功で長い下積み生活からぬけだし、一躍時代の寵児となった新進作家だった。本書の舞台となるロンドン郊外のウォキングに居をかまえ、執筆にはげむいっぽう、気晴らしに当時流行の先端だった自転車に乗って、周辺各地を走りまわっていた。そんなある日、兄のフランクと散歩に出たところ、フランクがこんなことをいった――「ほかの惑星の生物が、いきなり空からやって来て、ここに根城を築きはじめたらどうなると思う」この言葉でウェルズの想像力に火がついたのだ。
 というのも、すでに下地ができていたからだ。ウェルズの『宇宙戦争』は斬新な小説だったが、まったくの虚空からポンと出てきたものではない。簡単にいうならば、当時の読書界でブームだった「火星人ロマンス」「未来戦争」「災害小説」という3つのジャンルを巧みに総合したものだったのである。

 まず「火星人ロマンス」だが、その成立の背後には「火星の運河説」の流行がある。1877年の夏に19世紀最大の火星最接近があり、絶好の観測機会が訪れた。イタリアの天文学者ジョヴァンニ・スキャパレリは、火星の表面を網目状に覆う筋模様を観測し、これを「カナリ(canali)」と呼んだ。
 イタリア語でカナリといえば、「溝」や「水路」を意味する言葉だが、これがフランスの天文学者/作家のカミーユ・フラマリオンの著作を経て、「運河」を意味する英語の「キャナル(canal)」と誤訳されたために、火星には知的生物がいて、巨大な運河を築いているという説が生まれた。とりわけこの説を信奉したアメリカのアマチュア天文学者パーシヴァル・ローウェルは、精密な運河地図を発表し、「火星の運河説」の啓蒙に尽力した(現在では目の錯覚だったことが判明している)。おりしもスエズ運河をはじめとする巨大運河建設の時代。運河は科学技術のシンボルであり、もし火星全体を縦横に走るような運河網があるなら、火星には高度に発達した文明があるはずだと推測された。こうして火星人の存在が真剣にとり沙汰されるようになり、沙漠に大規模な火事を起こして、火星に信号を送ろうという提案まで大まじめでなされるようになった。
 ローウェルの広めた火星の姿は、冷却と乾燥が進んで全土が沙漠化するなかで、極冠の雪解け水を引いた運河のほとりにだけ文明の拠点が残っているというものだった。つまり、火星は地球より小さいために早く冷却が進み、生命や文明が生まれるのも早いかわりに、滅びるのも早いというわけだ。いい換えれば、人々は滅びゆく火星に地球の未来を見ていたのである。
 もちろん、文学者がこのイメージに触発されないわけがなく、多くの火星人ロマンスが生まれた。なかでも注目に値するのが、パーシー・グレッグの Across the Zodiac(1880)とクルト・ラスヴィッツの『両惑星物語』(1897)だ。前者には地球人の運んだ細菌が火星人に感染するというアイデアが見られ、後者には地球に植民地を築いた火星人が、地球の軍隊と戦うさまが描かれているからだ。とはいえ、どちらの場合も火星人は地球人とほとんど変わらぬ姿形と心理を有している。その点、火星人を徹底的に異質な存在として描きだしたウェルズは、非凡というほかない。
ウェルズの描いた火星人  だが、そのウェルズの火星人は、じつは地球人の未来の姿でもあった。文筆家としては駆け出しだったころ、ウェルズは〈ペル・メル・ガゼット〉という雑誌の1893年11月9日号に "The Man of the Year Million" と題された科学エッセイを発表し、ダーウィン流進化論に基づいて、はるか未来における人類の姿を想像した(この記事については、作者自身が本書第2部第2章で触れている)。ウェルズによれば、脳が高度に発達し、手以外の器官が退化した人類は、頭ばかりが大きい蛸のような姿になるという。つまり、ウェルズにとって、火星人は未来の地球人にほかならなかったわけだ。ちなみに、ウェルズの描いた火星人の絵が公になっている(図版参照)。ラルフ・ストラウスというジャーナリストの求めに応じて、ウェルズが『宇宙戦争』の扉にスケッチしたものだそうだが、この絵を見れば、「火星人=未来の地球人」ということが納得できるのではないだろうか。
 つぎに「未来戦争」だが、当時のイギリスでは英国本土が異国の侵略を受け、国土を蹂躙されるといった筋立ての小説が大流行していた。ブームの引き金になったのは、軍人ジョージ・T・チェスニー大佐の著した The Battle of Dorking(1871)。英国がプロシア軍に攻めこまれ、ロンドン周辺が荒廃するというだけの話だが、これが爆発的な人気を呼び、同工異曲の作品が雨後の筍(たけのこ)のようにあらわれたのだ。もちろん、背景にはヨーロッパ列強の覇権争いがあり、大英帝国の繁栄に翳りが見えてきたという亡国意識があった。しかも、1870年から71年にかけて起こった普仏戦争では、大国フランスがプロシア軍に敗北を喫し、ヴェルサイユ宮殿が占領されるという事態が起こっており、英国民の危機意識をいやがうえにも高めていた。異国に侵略されるという悪夢は、当時の英国民にとって切実なものだったのだ。こうした未来戦記のなかには、飛行機、潜水艦、X線銃といった未来兵器を登場させたものもあり、ウェルズの『宇宙戦争』もその系譜を引いていることはまちがいない。
 この観点から見るなら、ウェルズが熱線、毒ガス、飛行機といった近代兵器を予告している点が特筆に値する。じっさい、本書が発表された当時の読者よりも、あとの時代の読者のほうが、その迫真の描写に慄然としたと思われる。とりわけ、毒ガス戦の恐怖を描いた部分は、第1次世界大戦後の読者に強い感銘をあたえたといわれている。いっぽう、現代のわれわれの目を惹くのは、レーザーを思わせる熱線と3本脚の戦闘機械だろう。後者はいまでいう筋力強化服(パワード・スーツ)を先どりしており、ウェルズの想像力には舌を巻くほかない。というのも、戦闘機械も多くの場面で「火星人」と呼ばれており、明らかに両者が同一視されているからだ。3本脚の戦闘機械は、いわゆるロボットではなく、火星人がまとうパワード・スーツなのである。
 じつは『宇宙戦争』には、もう1種類のパワード・スーツが登場する。いうまでもなく、土木工事に従事する小型の作業機械だ。ウェルズ自身が明記するように、火星人は用途によってパワード・スーツを使い分けているのだ。これに対し縦穴の建設に使われる掘削機械は、自律型のロボットらしいが、これは当時の運河建設に使われた蒸気動力の掘削機械(通称ナヴィー)を自動化したものだからだろう。いずれにしろ、ウェルズは、虚弱化した肉体を機械で補う人間の姿をみごとに描きだした。その意味でも火星人は、未来の存在なのである。
 つい話が脱線したが、当時の英国の「未来戦争」ものは、英国民の亡国意識に訴え、列強の侵略にそなえよと警鐘を鳴らすものだった。だが、ウェルズの意図がたんなる警世であったとは思えない。冒頭から明らかなように、火星人に侵略される英国は、ヨーロッパ列強に侵略される植民地になぞらえられている。ウェルズによれば、『宇宙戦争』の着想には、イギリス支配下で生じたタスマニア原住民の絶滅に関して兄のフランクと交わした会話がひと役買ったというが、『宇宙戦争』ではそうした運命が、イギリス本土に降りかかって来るのである。批評家のスティーヴン・D・アレータは、この背景にある心理を「反転した植民地化の不安」と呼んだが、ウェルズの批判はたんなる帝国主義批判にとどまらない。というのも、火星人と地球人との関係は、地球人と下等動物との関係に等しいと繰り返し強調されているからだ。つまり、ウェルズは人間という種(しゅ)そのものの驕りを批判していたのである。この意味でも本書は「ふたつの世界の戦い」を描いているといえるだろう。
 ――こう書くと思いだされるのが、1897年に発表されたブラム・ストーカーの『吸血鬼ドラキュラ』だ。同書もまたイギリスが辺境からの勢力に侵略される物語であり、『宇宙戦争』と同じように、病原菌の感染恐怖を主要な霊感源としていた。それよりなにより、どちらも敵の正体は吸血鬼なのだ。ウェルズの描いた火星人も人間の生き血をすする吸血鬼だったのである。一部の批評家は、ここに資本家と労働者、あるいは本国と植民地といった図式を重ねあわせるが、その妥当性はさておき、『宇宙戦争』『吸血鬼ドラキュラ』が同じコインの裏表であることはまちがいない。SFやホラーというジャンルの枠組みにとらわれているとなかなか気づかない点なので、あえて強調しておきたい。では話をもどして――
 つぎに「災害小説」だが、1890年代のイギリスでは、批評家のパトリック・パリンダーが「テムズ・ヴァレーの大災害」と名づけたタイプの小説が隆盛を見ていた。すなわち、風光明媚なテムズ川領域の田園地帯が大災害に見舞われ、崩壊がロンドンにおよぶという筋立ての小説である。この背景には、おそらく都市化の進展による田園の破壊という事態、さらには鉄道の発達によるテムズ川領域の郊外化という状況がある。後者について補足すれば、鉄道網が整備されたことで、テムズ川は商業用幹線通路としての役割から解放され、都会の住民が憩うレジャーの場と化したのだ。こうして美しい田園と、煤煙と騒音につつまれた都会の対比が鋭く意識されるようになり、都市化の進展に脅威を感じた人々が、それを想像の裡(うち)で逆転させるようになった。つまり、ロンドンは罪と悪徳の象徴であり、滅ぶべき存在となったのである。
 この種の小説の淵源をたどれば、ダニエル・デフォーの『疫病流行記』(1722)に行き着くわけだが、ブームの嚆矢は自然主義者リチャード・ジェフリーズが発表した After London(1885)だといわれている。ウェルズのライヴァル的存在だった科学ロマンス作家ロバート・バーには「ロンドン市の運命の日」(1894)という作品があるし、グラント・アレンにはそのものずばり「テムズ・ヴァレイの大災害」(1897)という作品がある。ウェルズ自身の「タイム・マシン」もこの系列にはいるといえるだろう。こうした「災害小説」の頂点に君臨したのが、『宇宙戦争』だったのであり、この系譜はジョン・ウィンダムの『トリフィド時代』(1951)、J・G・バラードの『沈んだ世界』(1962)、ブライアン・オールディスの『グレイベアド』(1964)などに引き継がれていくのである。

 さて、ここまでは『宇宙戦争』が生まれてきた背景について見てきたが、この辺で『宇宙戦争』そのものに目を転じよう。
 すでに記したように、ウェルズが本書の執筆を思いたったは1895年の夏だが、火星の生物にはもっと前から関心をいだいていたらしい。科学師範学校(いまのロンドン大学理学部)在学中の1885年には火星人の心理と生理を空想したそうだし、1888年にはある討論会で「火星には生物がいた」という説の支持にまわったという。1894年には「火星上に怪光が目撃された」という内容の記事を科学誌〈ネイチャー〉8月2日号で読んで、大いに想像力をかきたてられたようだ(ちなみに、この記事については本書第1部第1章に言及がある)。そこへ兄フランクの言葉が引き金になって、ロンドン近郊が火星人に侵略されるという物語が生まれたわけだが、執筆は難航をきわめ、1895年の秋から2度の中断をはさんで1897年の12月までつづいた。そのため、あとから書きはじめられた『透明人間』(1897)が、『モロー博士の島』(1896)につづく科学ロマンス第3作として、先に世に出る運びとなった。
 こうして難産の末に生まれた『宇宙戦争』は、まず雑誌連載の形で発表された。イギリスでは〈ピアスンズ〉、アメリカでは〈コスモポリタン〉の1897年4月号から12月号にかけて同時連載されたのだ。単行本化は翌1898年。イギリスではハイネマン社、アメリカではハーパーズ社から刊行された。
 単行本化に際してウェルズは、雑誌ヴァージョンに大幅に書き足した。具体的にちがいを述べれば、雑誌ヴァージョンが全22章から成っているのに対し、単行本ヴァージョンは第1部17章、第2部10章の全27章から成っている。書き足しは第2部に集中しており、第2部第7章「パトニー・ヒルの男」にいたっては、完全な新稿である(この邦訳版では〈ピアスンズ〉初出時に付されたウォーウィック・ゴーブルのイラストを厳選して復刻しているが、第2部のイラストがすくないのは、そういう事情による)。
 じつはこの部分は、ウェルズを理解するうえでたいへんに重要な部分である。というのも、のちにウェルズが展開することになった優生学の思想が萌芽的に語られているからだ。この点については、本文庫『モロー博士の島』の訳者あとがきで触れたので参照していただきたいが、優生学が人種の改良を標榜し、亡国意識の高まりのなかで大きな力をふるったことだけは指摘しておこう。語り手がウェルズの「現在」なら、砲兵は「未来」であり、宗教にとらわれている副牧師は「過去」であるといってもいい。あるいは、虚弱な享楽主義者の副牧師は「タイム・マシン」に登場するエロイに相当し、頑強な生存主義者の砲兵はモーロックに相当するといえるかもしれない。
 また話が脱線したが、ウェルズは1924年にアンウィン社から全28巻におよぶ著作集(通称アトランティック版)が刊行されたさい、本書の全篇に細かく改訂をほどこした。現在ではこれが決定版とされており、翻訳の底本にはこのヴァージョンを使用した。
 このほかのヴァージョンとしては、単行本が出る前にアメリカの新聞2紙に海賊版が連載されたことが知られている。ひとつはニューヨークの〈イヴニング・ジャーナル〉1897年12月5日号から翌年1月7日号にかけて連載されたもの。もうひとつはボストンの〈ポスト〉1898年1月9日号から2月3日号にかけて連載されたものである。海賊版というのは、どちらもウェルズの了解をとらずに舞台をアメリカに変え、文章を大幅に改竄したものだからだ。ちなみに題名も『火星からの戦士――宇宙戦争』Fighters from Mars: The War of the Worlds と変えられていた。
 ある意味でこの海賊版は、のちの脚色版を予告するものだった。というのも、原作刊行から40年後の1938年10月30日、若きオーソン・ウェルズ率いるマーキュリー劇団が、舞台をアメリカ東部に変えたヴァージョンをCBSのラジオ番組〈マーキュリー・シアター・オン・ジ・エア〉の第17回として放送したからだ。そのドキュメンタリー・タッチは、じっさいに火星人が侵略してきたと人々に信じこませるほど真に迫ったもので、全米に一大パニックが起きた。あまり知られていないが、同様の事件は南米でも起きている。ひとつは1944年にチリで起きたパニック、もうひとつは1949年にエクアドルで起きたパニックである。後者ではすくなくとも15名の死者が出たという。
 つぎに特筆すべき脚色は、ジョージ・パル製作のパラマウント映画「宇宙戦争」(1953)だろう。やはり舞台をアメリカに移したうえで、火星人や戦闘機械のデザインを大胆に変更し、まったく新しいイメージを作りあげた。この後も繰り返しTV化、音楽化、コミック化がなされたが、従来のイメージを一新させるにはいたらなかった。が、今年2005年にはスティーヴン・スピルバーグ監督の映画として、また新たに生まれ変わろうとしている。原作刊行から1世紀以上たったいま、どのような『宇宙戦争』が描かれるのか、公開が楽しみである。

 翻訳にあたっては、前記アトランティック版がおさめられた A Critical Edition of The War of the Worlds with Introduction and Notes by David Y. Hughes and Harry M. Geduld(1993, Indiana University Press)を底本として使用した。同書には詳しい註が付されており、付録ともども、翻訳やこのあとがきの執筆にさいして、大いに助けられた。また本文庫には井上勇氏による訳業がすでにあり、今回の新訳にあたって、訳文を大いに参照させていただいた。記して感謝する。

(2005年5月23日)


SF小説の専門出版社|東京創元社

山岸真/グレッグ・イーガン『万物理論』訳者あとがき[部分][2004年10月]


グレッグ・イーガンの長篇は
読者に壮大なめまいを引きおこす。

(山岸真/グレッグ・イーガン『万物理論』訳者あとがき[部分])

山岸 真 makoto YAMAGISHI

 

万物理論  豪快で意表を突く奇想。論理のアクロバットとも呼ばれるほど大胆にして、偏執的なまでに緻密なロジック展開。
 それが混然となって、グレッグ・イーガンの長篇は読者に壮大なめまいを引きおこす。そのめまいこそは、《F&SF》誌で本書を書評したロバート・K・J・キルヘファーのいう“圧倒的な知的スリル”――SFの魅力にとりつかれたころはつねに感じていた、ほかでは味わえない興奮――にほかならない。
 さらに、惜しげもなく投入された長篇数冊分のアイデアが、そのめまいに輪をかける。
 『宇宙消失』(創元SF文庫)や『順列都市』(ハヤカワ文庫SF)で多くの読者を熱狂させたこうした特徴は、現時点での作者最長の作品(『宇宙消失』の5割強増し)である本書にも、もちろん共通する。イーガンの長編は1冊ごとにタイプが違うので、面白さを比較しても意味はないのだが、あえてどれがいちばんの傑作かといわれれば、個人的には本書だと思う。
 以下、読みどころのいくつかを中心に本書の内容を追いつつ、若干の解説を加えていきたい――のだけれど、最大の読みどころであるメインの奇想、肝心のSF的大ネタがどんなものかは、当然ながらバラすわけにいかない。また、その大ネタにつけられた造語(『順列都市』での“塵理論”のような)も、ストーリーの関係でここには書けないのである。ただ、作者が本書を、『宇宙消失』や『順列都市』と並んで“主観的宇宙論もの”と呼んでいることは、(本書刊行前のインタビュウでの発言でもあることだし)書いておいていいだろう。つまりこれは前の2長篇同様、宇宙の秘密についての物語なのだ。
 その大ネタと密接に絡むのが、邦題になっている万物理論(Theory of Everything の頭文字をとって、作中ではTOEと略されることが多い)。とはいえ万物理論自体はイーガンの奇想でも造語でもなく、現実に研究がおこなわれているものだ。たとえばサイエンス・ライターのJ・D・バローに、ずばり『万物理論』(みすず書房)という著作があり、この訳書のカバー裏から引けば、万物理論とは「あらゆる自然法則を包み込む単一の描象」、「物理的実在の根底にある論理」ということになる。本書第11章の前半でも同様のことが、より踏みこんで語られているが、現実の研究や議論については、本書末尾の「作者より」にあがっているワインバーグの『究極理論への夢』などを参考にしていただきたい。
 本書の舞台となる2055年、その“夢”の理論が完成寸前になっていた。アインシュタイン没後百周年記念の国際理論物理学会議の席上で、3人の学者がそれぞれに異なる理論を発表する予定になっていて、もちろん正しいのはどれかひとつだけ。3人の理論の中で、万物理論の最有力候補と目されているのが、まだ20代のノーベル賞受賞者ヴァイオレット・モサラという女性のものだった。
 主人公アンドルー・ワースは、バイオテクノロジーに精通した科学ジャーナリストで、《シーネット》という世界規模の放送局(テレビとコンピュータ・ネットの性格をともにもっている)の専属で番組を製作している。モサラを軸に万物理論をあつかう番組を作ることになったワースは、会議がひらかれる南太平洋の人工の島、ステートレスにむかう。だが、そこで彼は次々と予期せぬ事態に遭遇し、命の危険にすらさらされることに……。
 というストーリーが展開されるのは、第2部にはいってから。第1部では、ワースが約一年がかりで取材してきた『ジャンクDNA』という番組を、シドニー郊外の自宅で編集する過程を通して、2055年のテクノロジー世界がスケッチされていく。そこで披露されるアイデアの数々がこのパートの読みどころ(その意味では『宇宙消失』の第1部と通じる)。そもそもワース自身が、視神経にチップを直結して“見たまま”の映像を撮影できたり、仕事が修羅場になるとホルモンを制御して睡魔を遠ざけたり(心底うらやましい!)という、時代の申し子なのである。
 そんな彼も、『ジャンクDNA』用に取材した4つの事例には、トラウマになりそうな衝撃を感じていた。それはいずれも、人の生死/人類という種(しゆ)/余命/人間性といったものの定義をバイオテクノロジーの力で平然と崩そうとする、フランケンサイエンスと蔑称されるたぐいのものだったからだ。たとえば第1章でワースが取材する“死後復活”は、殺人事件の被害者の生命活動を臨終直後に短時間復活させて、犯人の名前をききだそうというもの。そんなショッキングで悪夢めいた事例とばかり接しつづけた彼は耐えがたくなって、思わず畑違いの万物理論の番組作成に名乗りをあげてしまうのだった。
 ところで、第1章の死後復活もそうだが、本書では『ジャンクDNA』のほかの事例や、全篇に出てくるそれ以外のさまざまなテクノロジーも、別に伏線というわけでもないのに微にいり細をうがって説明されている。それはイーガンのほかの作品でも見られることだが、本書にはその理由を語ったくだりがある。第4章でアーサー・C・クラークの第3法則(『じゅうぶんに発達したテクノロジーは魔法と区別がつかない』)に言及した部分がそれで、人間の生んだテクノロジーを人々が魔法あつかいしないようにするのが科学ジャーナリストの使命だ、と主人公はいう。詳細な説明は、いわばその実践なのだ。
 (そういう主人公も、物理学には門外漢であるわけで、だから読者は、本書のその方面の記述に理解できないところがあっても、気にせずに読み進めばいいのである……というのはまあ半分冗談だが)
 この“使命”は、科学やテクノロジーに対するイーガンのスタンスでもあるといっていいだろう。このほかにも、本書では作者の科学観、人間観、社会観などがいたるところで語られ、それを抜きだしていけばイーガン論ができそうなほどだ。

(2004年10月10日)


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