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8月某日 メゾン・クローズでは、変態系は、圧倒的に幼児体験に根差したものが多く、「物語」も複雑を極めている。 ――『パリ、娼婦の館』 | |
猛暑は続く。 今日は夕方まであれこれ執筆して、角川書店の編集さんたちと打ち合わせ&ご飯の予定である。と、そのつもりでパソコンを切って、でかける用意をしていたら、〈野性時代〉の担当M宅氏から、単行本担当のK子女史が「倒れた!?」と電話があった。暑さと忙しさで昨日、バッタリ倒れたらしい。だっ、大丈夫か!? というわけで、急遽、M宅氏と二人でご飯になる。 そういえば編集さんと二人って最近めずらしいな。雑誌ごとに担当さんがいるし、単行本担当さんもいるしで、作家も含めて何人かで顔を合わせることが多いのだ。 外に出ると、とにかくビックリするぐらい暑い。ニュースでも毎日、今年は暑い暑いと言っているけど、本当だ。いまにもジュッと溶けて、アスファルトにへばりつきそうな気分でぺたぺたと歩きだす。靖国通りを渡って、近くて遠い歌舞伎町へ……。 普段歩いてる、本屋があったり、伊勢丹があったり、飲み屋街がある辺りとはがらっと変わって、歌舞伎町は人工的にギラギラしている。 別の結界であるその辺りに足を踏み入れてから、ぐっと暑さが増した。一瞬で燃えそうな化繊のぺらぺらドレスを着た、盛り髪にギャルメイクの少女が、電柱にもたれるようにたたずんでいたかと思うと、とつぜん、ゆっくり走ってきたタクシーに向かって「わたしを轢いてーっ!」と叫んだ。わっ、ビックリした。ギンギラのホストクラブの前で立ちどまり、あぁ、去年、I本女史が泥酔して「わたしは、すごく、頭が、いいから、ぜったいに、大丈夫なんです」「初回飲み放題1980円と、書いて、あります」と言いながら、行進するようにまっすぐ入っていこうとしたのを、K村女史と一緒に止めたなぁと回想していると、店の前になぜか二匹いた毛むくじゃらの巨大な外国の犬(白と茶色の色違い)が、胡乱な目つきでわたしをじっと見た。同じく店の前に、なぜかある、足を乗っけるマッサージ機に両足を乗せたパンチパーマのおじさん(テレビでよく見る名物店長?)が、金歯を見せてにっかり笑って「お嬢ちゃん、入っていきなさい」と言う。あっ。眼鏡の奥に、人攫いの目玉が二つ、歪んだガラスのように光っている(ような気がした)。 逃げるように、また歩きだした。 さっきまで人がまばらだったのに、日が暮れてきて、夜の匂いのする人間が大勢、だらだらと行きかっている。ウワッ。三年ぐらい前に高校生だった(すぐそこの空手道場にきてた)男の子が、いまどの店でなんの仕事をしているのか、猛暑をおしての黒スーツにごっつい革靴姿で、いかにも仕事中ですという風情で、イヤホンで誰かとせわしなく会話しながら、肩で夜の風切って通り過ぎた。 ようやく、待ち合わせの焼肉屋さんに着いた。 しかし暑いですね、あぁ暑い、K子女史は大丈夫か、とか会話しながら、マッコリをぐいぐい飲んで、レバ刺しを食べて、肉を焼いた。うめー。そういえばこの春、M宅氏は〈野性時代〉の編集長になった。リニューアルしたりいろいろあるらしい。フンフンと聞く。あと仕事の打ち合わせも、あまり酔う前にちゃんと話す。 そういえば角川書店の打ち合わせのときは、K子女史が木と話したり、G司氏が石と話したり、H内氏が伊勢丹になりたがる女の子の話をしたり、常になにかがワーッとなっていて、M宅氏とゆっくり話したことがなかった……気がする。おぉ。じつは外文の人だった、とわかる。ヘミングウェイのなんとかいう未発表原稿が面白い、という話を聞く。メモメモ。死後に発表された原稿で、いつもの抑制の効いた文章……にする前の、生の文章が多い。毎年、夏になると読み返すらしい。 ふーむ。知らなかったぞ。 店を出ると、まだ暑かった。今夜も熱帯夜だ。 ピンクや緑のぺらぺらのドレスを着て、哲学者の如く険しい目をした盛髪の女の子たちとすれちがった……。帰宅して、風呂に入って、マッコリが抜けないなーと思いながら、床に転がって『パリ、娼婦の館』(鹿島茂)を開いた。 19世紀末。パリ。第一次世界大戦前のベル・エポックの時代に流行した「閉じられた家(メゾン・クローズ)」すなわち、高級娼館の内部について詳細に調べて、わかりやすく解説してくれた本だ。道徳家として知られた法律家の名をとった「モンティヨン」(日本で言うなら「二宮金次郎」みたいな店名?)には「上院」「皇太子の部屋」などの部屋があった。また「1、2、2」という店の売りは、一階にある三ツ星レストランだった。全裸のウェイトレスが給仕するその店に、ある夜、パトロンのワイン商人と一緒にしずしずと入ってきたのは、有名なとある女優。彼女がすましてコートを脱ぐと、その下も裸! 女優は堂々と黙ったまま、すまして席に着いてみせた。 ここにはアラブの王様やインドのマハラジャのほか、ジャン・ギャバンにチャップリン、ハンフリー・ボガードに、一階だけとはいえ、マレーネ・デートリッヒ、キャサリン・ヘップバーンなどの銀幕のスターも訪れた……。 一歩、外に出れば政治家であったりする客たちの、不思議な嗜好を三つ紹介した章が面白い。一つは「子供」にもどる。もう一つは「死ぬ」。最後に「動物になる」。自分用の棺桶を持ちこんで、莫大な費用を使って盛大な葬儀をする客や、鳥になりきってサロン中を“飛び回り”、枕を割いて鳥の羽にまみれ、最後は空気銃を持った娼婦たちに追いつめられて撃ち落とされる客。理屈で説明しきれないなにか、無理に解き明かすと、茎を切られて萎れていく花のように命の輝きをなくしそうな、人間のザラザラしたなにかが、本の中でいつまでもずーっとのたうっている。 やがて時は移り、メゾン・クローズはすたれていく。読み終わってふっと顔を上げたときに、夕方、いまにも溶けそうな日射しの中「わたしを轢いてーッ」と急に叫んだ女の子の横顔をふっと思いだした。 しかし。まだ暑い。お酒も残ってる。 もうだめだー。寝た。 (2010年9月) | |
■ 桜庭一樹(さくらば・かずき) 1999年「夜空に、満天の星」(『AD2015隔離都市 ロンリネス・ガーディアン』と改題して刊行)で第1回ファミ通えんため大賞に佳作入選。以降、ゲームなどのノベライズと並行してオリジナル小説を発表。2003年開始の〈GOSICK〉シリーズで多くの読者を獲得し、さらに04年に発表した『推定少女』『砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない』が高く評価される。05年に刊行した『少女には向かない職業』は、初の一般向け作品として注目を集めた。“初期の代表作”とされる『赤朽葉家の伝説』で、07年、第60回日本推理作家協会賞を受賞。08年、『私の男』で第138回直木賞を受賞。著作は他に『荒野』『ファミリーポートレイト』『製鉄天使』、エッセイ集『少年になり、本を買うのだ 桜庭一樹読書日記』『書店はタイムマシーン 桜庭一樹読書日記』『お好みの本、入荷しました 桜庭一樹読書日記』など多数。最新刊は『道徳という名の少年』。 |
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